第三幕 短い蝋燭、影集う

3-1

 早朝。シンプルなトレーニングウエアに着替えて、ハンドタオルを手にする。運動靴を履いて部屋を出て、静かに廊下を進む。

 まず右手にユアンの部屋のドアが見え、その隣はベルテの部屋。最後にシエルの――いや、シエルと彼の部屋が見えて、それを横目に階段へ。一階の舞台裏に降りると、隅にある大型の操作卓の前に、ずんぐりとした人影がいつもと変わらず座っていた。声をかける。


「ガストン、おはよ」

「おう。こっちゃいつでもいいぞ」


 小さな丸椅子の上で器用に胡坐をかく彼は、膝の上で用途不明の小型機械を弄り回しながら、卓の電源を入れた。

 タオルを適当な床に置いてステージへ向かう。

 まずは入念にストレッチ。きちんとと体をほぐしたら、彼に向かって告げる。


「始めて」


 その瞬間、ステージ各所の床から蒸気が噴き出し、自分の周りにいくつもの穴が開く。次いでその中からは、支柱で固定された等身大のサンドバッグが次々飛び出した。




 連続する打撃音が、床から伝わってくる。ステージ空調用の配管がこの部屋の真下を通っているせいだと、前にガストンが言っていた。他の部屋では聞こえないらしい。

 騒音、と言えるのかもしれないが、自分は別に気にしない。むしろこの朴実な目覚ましは好きだった。とても、彼女らしくて。エリザベートはどう思っているか知らないけれど。


「……そうだ。今日食事当番だった」


 ベッドから起き上がり、ルームシューズをつっかけてカーテンを開ける。そばに吊った鳥かごの中では、エリザベートがしきりに首を伸び縮みさせていた。


「……何してるの?」

「くぅ、くぅ、くぅくぅ」


 よく見れば、タイミングは打撃音に合っている。どうも、遊んでいるだけらしい。

 ひょうきんな彼女に小さく笑いかけ、手早く身支度を整える。


「確かハムと野菜が残ってたよね」


 保冷庫の中身を思い出しながら、部屋を出た。




 隣の部屋から人が出ていく音がした。それに気づいてベッドからのそのそ起き上がる。


「ふぁぁ……」


 パジャマの袖を少しまくって手を出し、目をこする。ベッドから足を降ろし、パジャマと同じデザインのスリッパを履いて洗面所へ向かう。

 洗面台に水をためて、丁寧に顔を洗う。洗っているうちに目は覚めてゆく。洗ったらすぐ化粧水と美容液と乳液の小瓶を用意。朝と晩、毎日欠かさぬレディのたしなみだ。歯磨きをして服を着替え、髪を丁寧にブロー。リボンでいつものツーテールを作る。


「うん、うん」


 右から、左から、いつも以上に入念に最終チェック。昨日、素晴らしい〈公演〉を演出してくれた素敵な彼に、不格好な姿を見せるわけにはいかない。


「むふふ。ばっちりですの」


 最後に鏡の前でキメ顔を作る。これは密かな日課だった。




「ん……」


 目を開けると、だいたい部屋の壁を最初に見る。

 横向きに寝る癖があるためだった。仰向けだと髪が引っ張られて痛い。

 カーテンの隙間から差す朝日を睨みながら、ゆっくりベッドの上で起き上がる。

 寝相で乱れた部屋着を直しつつ、向かいのソファを見る。そこには毛布を被った彼が横になっていた。普段着の上だけ混紡シャツに変えた、ラフな格好で。

 昨日、寝場所は交代にしようと言ったのに、ソファでいいと彼は頑なだった。


「よく寝てるな」


 毛布は静かに上下していた。眠りは深いのだろう。昨日の〈公演〉の疲れと、その前日に一晩かけてあれこれ準備してくれた疲れの、ダブルパンチというところか。思わず笑った。


「変なの」


 あの大怪盗が、自分の部屋でこんなにまで無防備に眠っている。警察でも――公安でさえも手に負えなかった孤高の怪盗が。

 同じ眠っているのでも、彼の店で介抱した時の感じとは、また違う。盗みを終えてアジトに戻ったランスロットも、こんな感じだったのだろうか。

 そこでふと、思いついて。


「……ちょっとくらい、いいよね」


 誰にともなく言い訳して、ベッドを抜け出した。

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