第四幕 長い夜。明けぬとすら思えるほどに

4-1

 突然の事態に、ホールにいた客たちはパニックになった。雷鳴のような突発音と揺れは数回続き、照明が明滅する。黒服たちも慌てふためいていて、ライルとシエルも床に投げ出され、状況を把握しかねていた。

 ほどなく音と揺れは収まって、二人はなんとか立ち上がる。だがしばらくすると正面ロビーの方から銃撃と悲鳴が聞こえてきた。さらにホール中央にある入場ゲートから、防毒マスクと黒い戦闘服に身を包んだ十数名ほどの集団がなだれ込んでくる。


「っ……!」


 その集団を見て、ライルの体が反応した。戦闘服越しでもわかる体つきは、明らかに女性のもの。それも全員だ。

 マシンカービンと大型ナイフで武装した彼女らは、合図もなく散開した。常人とは思えぬ身ごなしで疾駆すると、ホールにいる黒服に片っ端から襲い掛かる。客を巻き込むのも恐れずマシンカービンを乱射し、ナイフを閃かせて黒服を一刀の下に切り伏せる。

 黒服も拳銃を取り出して応戦するが、彼女らはその銃弾を身一つで回避して見せた。そのまま接近し、黒服たちの顔面を、喉を、心臓を――急所をそれぞれ的確に突いて彼らを絶命させてゆく。戦意喪失した黒服も呵責なく切りつけ、逃げ惑う客が突然間合いに入ってきても攻撃を止めない。その挙動に容赦はなく、また性差における身体能力の差も一切感じさせなかった。


「な、なんなんだ貴様らはぁっ!!」


 ホール二階で黒服にかばわれるように立っていたドラモンドが、この場の全員の気持ちを代弁するように絶叫した。だが黒の集団は一切答えず、ホールには淡々と死が積み重なってゆく。

 あまりの凄惨さにライルもシエルもその場から動けず、ただ茫然と事態を見つめていた。

 するとその時、ホールに女の声が響いた。


「よぉ! ドラモンド!」


 ライルが声のした方――中央入場ゲートに視線を向けると、そこからは黒い部隊がさらに侵入してきていた。だが彼女らは、今度は中心に黒スーツの女を一人擁していた。セミロングの黒髪をソバージュにしたその女は、咥え煙草のままドラモンドに向かって黒瞳を眇める。


「はン! こんなド真ん中にいてくれたとはね! 探す手間が省けたよ!」

「ク、クローゼ……! 貴様何のつもりだ!」

「何のつもりも何も、予定通り商談に来たのさ!」

(知り合い、なのか……?)


 ライルは察するが、続いた女の言葉に驚愕した。


「あの宝石は――シャドーエメラルドはあたしのもんだ! ――行け!」


 その一声で、漆黒の戦闘員たちは一斉にドラモンドに襲い掛かった。



『――ライル君! 変な黒い集団が、突然!』

『――飛空船ですの! カジノの上に飛空船が飛んでますの!』


 ユアンとベルティナの報告が飛んできたのはほぼ同時だった。集団が攻め入ったのは中央ホールだけではなかったようだ。ライルはシエルが手にしたドミノマスクに指示を飛ばす。


「ユアン! とりあえず逃げろ! ジェスターで合流だ! ベルテはその場を動くな!」

『了解!』

『待ってますの!』


 バルコニーでは、既にドラモンドが黒の部隊に捉えられていた。例の女――クローゼと言ったか――もそこに移動していて、床に膝をつくドラモンドを満足げに見下ろしている。


「逃げるぞ!」


 ライルはシエルに告げ、ホール右端のゲートから正面ロビーへ出る。幸いにもロビーに黒部隊の姿はなかった。客もおらず静かだったが、無人であったかというと、少し違う。


「……くそったれ」


 その光景に、ライルは思わず足を止めた。ロビーの床には警備の黒服と客の死体がいくつも転がっていた。床や壁はおびただしい血で汚れ、赤黒く染まっている。


「ひどい……」


 同様に立ち止まったシエルがつぶやき、ライルも唇を噛む。

 ふと見れば、正面の庭園も酷いありさまだった。植え込みの草木が燃え、ところどころ黒煙が上がっている。地面には巨大なクレーターがいくつも見え、その周囲には人が幾人も倒れていた。例の黒部隊の姿もあり、彼女らの警備網はいずれこのロビーにも届くだろう。また上空には、ベルティナの報告通り謎の飛空船が不気味に滞空していた。カジノの照明に照らされた船体は黒く、そのゴンドラには複数の砲門が覗いている。


「攻撃飛空船か……」


 あの飛空船がカジノを空爆したのは明らかだった。


(連中の狙いはシャドーエメラルド……けどどうしてここまで……)


 あれは確かに国宝だが、こうまで犠牲を出して手に入れたい宝かといえば疑問が残る。いや、ここまでのことをしてまで手に入れたい美術品などそうそうないだろう。

 先の女――クローゼと言ったか――の言動をそのまま解釈するなら、何かしらドラモンドとの話がこじれ、シャドーエメラルドの強奪に至った、とそんなところだろうが。


「プリュイ……ちゃん……?」


 かすれ声が、妙にはっきりと聴覚に滑り込んだ。首を巡らせると、近くの壁にもたれかかるように座り込んでいた黒服の一人が、虚ろな眼差しをこちらに――正確にはシエルに向けていた。顔は青ざめ、目元には酷い隈ができていたが、彼には見覚えがあった。先ほどシエルが情報を引き出していた黒服である。彼の脇腹はざっくり裂けていて、大量に出血していた。


「…………」


 シエルが無言で近づいて屈む。何事か話しているようだったが、ライルには聞こえなかった。

 やがて会話が途切れて、シエルがこちらに背中を見せたまま立ち上がった。


「無事でよかったって。早く逃げろってさ」

「……そうか」

「ねぇ、ライル」


  シエルは振り返る。その眼差しには瞋恚の気配が漂っていた。


「あいつらの盗み、美しくない」


 その一言で、ライルは察した。彼が何を思っているのか。少し考えて、口を開く。


「……シエル。お前の読みは正しいだろう。あの連中はドラモンドを確保した。つまりもう少しすれば、金庫室からシャドーエメラルドを


 シエルは、静かに頷く。


「けど今回は危険だ。連中の情報はないし、あの戦闘員の動きも尋常じゃなかった。それに相手が女である以上、俺が足を引っ張る可能性がある」


 モノクルは女性をイモに変えるが、それは同時に、相手の挙動が見えなくなるということでもある。対女性の戦闘に使えないのが、モノクルの弱点だった。


「それでもこんな盗み方、認められない。認めたくないよ。知恵を貸して。ボク頑張るから。ユアンたちもちゃんと説得する」

「…………」

「ライル、お願い。あんな奴らに、シュタルニア国宝は渡せない」


 シエルは決然と灰色の瞳を向ける。


(……いい顔すんじゃねーか)


 盗みへの誇りを、美学を瞳に宿せるのは怪盗の資質だ。彼の決意の証明に、それ以上は必要なかった。それにライルからしても、奴らはやはり美しくない。

 もはや否定の言葉など、浮かぶはずもなく。


「わかった。俺に任せろ」


 顔の横で、指をはじいた。

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