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 片付けを終えたライルは一息入れようとカップに紅茶を注ぎ、店の奥にあるカウンターに向かった。小ぶりな丸椅子に腰掛け、ため息と共に肩の力を抜く。足の痛みがひいていることにほっとしつつ、カウンターの上に放置していた朝刊を何気なく手に取る。

 新聞の一面には、先日、第七国立美術館で起こった国宝盗難事件についての記事が載っていた。内容は美術館の警備不行き届きを指摘するもので、文化省大臣の記者会見の様子も掲載されている。また警察省の顔であるカール・ベイドリック警視監もコメントを出していて、国宝盗難が続く国内治安の危機は、我々警察がなんとしても解決すると、決意を表明していた。


「……悲しいもんだな。美しいものがなくなるってのは」


 この手の事件は、シュタルニアでは昔から後を絶たない。現存する国家の中で最も長い歴史を持つシュタルニア帝国は、相応に国宝級の美術品も多く、それゆえに窃盗団やそれを擁する犯罪シンジケート、マフィアから標的にされやすい。警察も頑張ってはいるが、無数にある犯罪組織の悪行を完璧に防ぎきるなど、結局は不可能なのである。

 その結果、今では美術館に展示されるものもレプリカや模造品フェイクがかなり多くなってしまっている。また本物があっても、国はそれの公開を渋って金庫に固く幽閉する。

 結局、盗まれるかどうかにかかわらず、古の息吹を感じる美術品は次々大衆から切り離されることになるわけだ。おまけに裏の市場に回った品は、多くが味気ない麻薬や銃弾に変わってしまう。なんともやるせない話である。


(まぁ、俺もあんまり人のことは言えないんだけどな……)


 苦笑しつつ新聞をカウンターに放り、紅茶に口を付ける。

 その時、声がした。


「こんにちは」


 わずかにハスキーなソプラノに顔を上げると、カウンターを挟んだ対面に、いつの間にか灰色の長い髪を持つ小柄な少女が立っていた。


「!?!?!?!?」


 彼女を目にしたライルは全力で慄いた。紅茶を噴き出すのだけはなんとか堪えたが、身を引こうとしてバランスを崩し、椅子ごと床にひっくり返る。カップは手放さなかったものの中身は暴れ、ライルは紅茶を頭からかぶった。


「……大丈夫?」


 カウンター越しに覗き込む少女に、ライルは床にへたり込んだまま、身を縮こまらせた。


「お、女ぁっ……!?」

「うーん……」


 少女は困ったような顔で、頬に人差し指を当てる。

 声と外見から察する年齢は、十代半ばといったところか。華奢な体と艶やかで長い灰色の髪が特徴的で、長い睫の奥では髪と同色の大きな瞳が瞬いていた。


「あの、起きられる? 手貸そうか?」

「へ!? い、いや!? だ、大丈夫だ! それよりきき君はっ……いいったいど、どどこから入ってきたんだ!?」

「普通に表からだけど……」

「えっ、あっ、じゃあお、おお客さんっ!?」

「まぁそう……かな」


 それを聞いて、ライルは血の気の引いた体に鞭打って立ち上がった。ひとまず空のカップをカウンターに置いて、服の袖で顔をぬぐう。転んだ時にひっかいたのか頬に擦り傷の気配があったがそれは無視して、無理やり少女に笑いかけた。


「い、いいらっしゃいませぇっ!」

「真面目だね……」


 少女がツッコむが、ライルにそれを拾う余裕などない。乾いた笑いでごまかしつつ少女を見返し、続けるべき言葉を模索する。

 ――彼女はやはり、十五歳前後の少女らしかった。着ているのは白のブラウスと、インバーテッドプリーツの入った黒のミニスカート。足には、同じく黒のロングブーツを履いている。全体的に色の少ない少女であったが、そうした服も彼女にはよく似合っていた。


「あ……えと、そ、それでっお客様っ……きき今日は何を、おおおお求めですかっ」

「いやあの……そんなことより体大丈夫? 顔真っ青だけど……」

(っは!?)


 しまった、やってしまった。お客が困惑しているじゃないか。こんなことでは商売人失格だ。まったくもって美しくない。


(ああもうしっかりしろ俺! 落ち着け! 心を強く持てっ!)


 必死で自身を鼓舞し、奮い立たせる。


(っていうかそもそも、こんな病気をいつまでも引きずってんのが美しくない! いい加減克服するべきなんだっ!)


 そうだ。これのせいで、今までどれだけ不都合を被ったことか。

 店に来た女性客とはうまく話せず商機は逃し、日々の買い物は女性店員のいる店を避けるので極端に時間がかかる。路線車などはもはやパンドラの箱なので利用できないし、女性に触れられようものならじんましんが出る。世の中にこんなにたくさん女性はいたのかと枕を濡らす日々。だが生物学的に言って男性以外は女性なのだから、それが苦手となればこうなるのは必然で、生活に極端な不便が出るのは当然だった。


(……よし。俺は今日ここで乗り越えるぞ! 全ては、平穏で自由で美しい日々のためにっ!)


 ライルは何度目かの決意を胸に、カウンターに勢いよく両手をついて身を乗り出した。


「お客様ぁっ!」

「ひぃっ!」

「さ、先ほどは大変失礼いたしましたっ! あああ改めてご用件をっ――」


 だが少女を見つめ続けるライルの脳内に突然、あの光景がフラッシュバックした。


 ――あっ。


 その瞬間、落ち着きも決意も掻き消える。代わりに湧き出た恐怖は濁流の如く思考に氾濫し、猛烈なめまいに襲われる。同時に全身の力が抜け、ライルはカウンターに突っ伏した。


「え!? ちょっとキミ、しっかりして!?」

「ああ……やっぱ……きっつい……」


 意識が飛んだのは、それからすぐのことだった。

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