4-4
クローゼたちが煙に呑まれるのを見て、シエルはドミノマスクに叫んだ。
「今だよ、ライル!」
『大丈夫だ! 見えてる!』
声と共にグラン・ミネラ東側、その植え込みの中から一台のキャリッジが飛び出す。空色のキャリッジ――ジェスターは、ヘッドライトを消して闇に紛れつつクローゼの部隊に突撃してゆく。さらにジェスターのルーフが開いて、そこからミアが飛び出した。〈ハチャトゥリアン〉の白煙と燕尾コートが夜の闇に踊り、次いでルーフにはベルテとユアンも顔を出す。
――あの後、ライルとシエルは一度ジェスターに戻り、ユアンたちに状況を説明した。同時に緊急〈公演〉を実行したいとも告げると、彼らは快諾してくれた。その後はライルが手早く打ち合わせを行い準備。一団はジェスターごとグラン・ミネラ内の敷地内で待機した。
再侵入には直接側面の塀を乗り越えた。塀は高いが〈ハチャトゥリアン〉装備のミアに抱えてもらえば問題はなく、ジェスターもベルテに放り投げてもらえばいい。アルカンサーカスだからこそできる強引な侵入方法だ。
「さぁて、ボクも出番だ」
ジェスターとミアが煙に消えるのを見て、シエルは〈モナ・リザ〉と黄色のボールを取り出した。煙幕がもつのはおよそ五分程度。その間に決着を付けなければならない。
「シュタルニア国宝、返してもらうよ」
ボールを階下に放り、シエルはそこへ飛び降りた。
白煙の中をミアは駆ける。ジェスターの排気音が遠ざかるのを聞きながら、注意深く周囲に視線を配る。
自分の役目は、煙幕の中の敵の数を少しでも減らすこと。煙幕の外にいる敵は無視だ。時間がないこともそうだが、視界不良なうえ味方が――それも自分たちのボスがいる場所に射撃などできまい。まさか、自ら煙の中に飛び込んでくることもない。
「いた」
煙の中、最初に見えた影に突撃する。まだこの場には敵しかいないのだ。全て蹴り飛ばせばいい。〈ハチャトゥリアン〉を唸らせて肉薄。得意の回し蹴りで相手の脇腹を蹴りぬく。すぐ隣に影が見え、今度は飛び上がって相手の肩口に踵をめり込ませ、その場で昏倒させる。
即座に次の敵を見つける。接近し、蹴り飛ばす。蹴り飛ばして跳ぶ。煙の中で踊る。
プリマ・バレリーナ。彼の言葉を思い返しながら。
ホール内で見た時より、相手の動きは緩慢だった。技能が高かろうとあくまで人間。予想外の状況には動揺するものだ。視界が利かないのはこちらも同じだが、突然目の前に現れるターゲットの対処には慣れている。ガストンのトレーニングシステムに比べれば、こんなもの。しかも敵もむやみには動かない。彼女らはとても優秀なのだ。
しかしミアは一つ違和感に気づいた。
「……数、少ない」
煙幕が広がる前、この場には一部隊――およそ二十名近くがまとまっていたはずだが、片付けた敵はまだ五人。しかもそれぞれ微妙に散開している。
おそらく敵の隊は二手に分かれ、一方は指揮官を連れて既にこの場から逃げているのだろう。ここにいるのは背後の防衛のために残した人員というわけだ。
「すごく、優秀」
六人目の敵を沈黙させて、ミアはぼそりと呟く。しかし気づいた違和感を、わざわざ仲間に伝達することはしない。する必要がない。プログラムは組まれているのだ。その通りに舞台は進行している。ピースのはまるこの快感は前の〈公演〉その通りで、自然と心が浮き立つ。
「やってること、泥棒なのに」
善悪を超えたその不思議な感覚を噛みしめながら、ミアは次の敵影に襲い掛かる。
ライルの運転するジェスターは、濃密な白煙の中、目的のポイントに向かって突き進む。
(敵影は、ないね)
ジェスターのルーフにしがみついて、ユアンは周囲の白煙に目を凝らした。隣にはベルテもいて、彼女は彼女で鼻息も荒く前方を見据えている。
まさか下見のはずが、こうなるとは。
自分たちにシエルの頼みを断る理由などないが、その場で盗みの計画を立てて実行するなど、今までならば不可能だった。それを平然とやってのけるライルの能力には、改めて舌を巻く。無論危険ではあるものの、勝算も見えている。もうはっきり言おう。盗みにおいて彼は天才だ。
「二人とも、もう少しだ! 準備しとけ!」
運転席からライルの声が飛ぶ。位置関係などほとんどわからないというのに、彼のハンドル捌きに迷いはなかった。しかも散らばった瓦礫やクレーターも確実に避けてゆく。まさか、その位置まで覚えているのか。
「やっぱ変だ」
くつくつとユアンは笑う。
しかしベルテが、ぼそりとツッコんだ。
「……ユアン、変ですの」
ほどなくして、ジェスターがドリフトして停止した。ライルの感覚が正しいなら、ここは敵の初期位置と飛空船との直線上。それも飛空船を背にして船体にかなり近い位置だ。
「パペッター! このまま正面だ!」
ライルが叫ぶ。別行動するであろう指揮官は、必ずこの直線のどこかにいるはずなのだ。
「了解ですの!」
ベルテが答えて、左手の〈ゼペット〉を起動させ、ユアンはそのワイヤーを腰に巻き付ける。さらに顔には〈カルロッタ〉も装着する。
「ワイヤーアクションは初めてだから、お手柔らかにね」
「努力しますの」
言ってベルテは右手一本でユアンを持ち上げた。
「飛んでけぇっ! ですの!」
(クソッ、何だあいつらはっ……!)
ヴァレリーと他のイクリプスに四方を囲まれて、クローゼは独りごちる。まさか他にもシャドーエメラルドを狙う奴がいたとは。もしかするとこの宝石の力を知っているのかもしれない。
(渡すもんか……!)
警戒しながらであるせいか、サジタリウスまでの距離がひどく遠く感じる。
だがこんなところで躓いていられない。もう少し。もう少しのはずだ。
そう思った矢先、声が響いた。
『アブラハダブラ! かの者たちの動きを止め、声を奪え!』
「!」
クローゼたちは足を止めて周囲を警戒する。声は先ほどの少女のものだった。しかし彼女の声は不思議に広がり、出どころが全く分からない。全員がばらばらの方角に目を配る。
『ははは! どうです私の魔法は? なかなかのものでしょう?』
(あいつ……!)
完全になめられている。何が魔法だ。こんな状況で出どころのわからない声が届けば、足を止めざるを得ない。それに声など出せばこちらの位置情報を教えているようなものだ。
「ああ、今ペテンだと思いましたね? いいでしょう。本当の魔法の声を聞かせて差し上げましょう――ハンドラー!」
その瞬間、煙の奥に人影が着地した気配がした。少女の声に気を取られていた部隊は一瞬反応が遅れる。直後、甲高い音が鳴ったかと思うと視界がゆがみ、平衡感覚が失われた。次いで襲ってきたのは酷い耳鳴りと吐き気。
「うっ、ぐ……」
脳を直接揺さぶられたような感覚に、クローゼはその場で膝をついた。イクリプスの面々も銃を取り落としてその場で呻いている。
「抵抗しないでね。お姉さんたち」
その一声が、独特の響きで鼓膜を揺さぶる。同時に体の力が抜け、四肢が言うことを聞かなくなる。意思がせめぎ合うが、かき消されて。また、少女の声がした。
「じゃあマイレディ。これは貰っていくよ」
声と共に、手からアタッシュケースが抜ける気配がする。もはや抗いようがなかった。
だが。
「させま……せん!」
霞む視界の向こうで、彼女が躍り出た。
猛烈な不快感と体の不自由を意志の力でねじ伏せる。噛み切った唇に走る鈍痛が意識の糸を繋げてくれている。
ヴァレリーはナイフを取り出し、今まさにクローゼからアタッシュケースを奪わんとしている少女に飛びかかった。奥には緑色の髪をした――おそらく青年が一人見えたが、とにかく少女に刃をふるう。
「っち!」
少女はケースを手放し距離を取る。その間にヴァレリーはケースを確保した。
「これは、渡せません」
だが少女はニヤリとした。
「そんなケース、欲しければあげるよ」
「な!?」
言葉の意味を察し、ヴァレリーは思わずケースを開けて中身を確認する。だがそこにはシャドーエメラルドが収まっていて――
ぱかぁん!
軽い破裂音がして、衝撃と共にアタッシュケースが手から弾き飛ばされた。少女の手には古臭いリボルバーが握られていて、ケースから放り出されたシャドーエメラルドが中空に舞う。
「くぅっ!」
ヴァレリーは飛びあがって手を伸ばすが、少女はシャドーエメラルドに向かって銃を連射した。普通の弾丸ではないのか、シャドーエメラルドは銃に弾かれ上へ上へと跳んでゆく。
カジノの照明が、きらりとその宝石を光らせた。その瞬間、緑髪の青年が叫ぶ。
「エリザベート!」
「くあー!」
黒い何かが、空中でシャドーエメラルドをかっさらった。見ればそれは小さな黒いカラスで、カラスはシャドーエメラルドをくちばしに咥えたまま飛び去ってしまう。
ヴァレリーは地上に視線を戻したが、灰色髪の少女は緑髪の青年に抱えられ、何かに引っ張られるように煙の中へ消えていくところだった。
「ち!」
ヴァレリーが追おうとするが、背後で気配がした。
「行かせない」
振り返るとそこには紫髪の少女がいた。彼女は素早く足を引いて、こちらを狙ってくる。咄嗟に両手で蹴りを防ぐが、骨まで響く強力な一撃にヴァレリーは後退する。だが彼女は謎のブーツで加速し、怒涛の勢いで足技を繰り出してくる。
「くぅっ……!」
縦横に迫る連撃に、ヴァレリーは押される。さっきの高周波の影響が残っていていつも通りに動けない。反撃の糸口を掴めない。
その時、キャリッジの排気音が近づいてきた。
「アクロバット!」
煙の中から声がして、少女は攻撃を止めて身を翻す。仲間と合流する気だ。
(させない……!)
ヴァレリーは背中を向けた少女に突進し、ナイフを全力で凪ぐ。
しかし彼女のスピードにはわずかに届かなかった。ナイフは彼女の衣服の背中を裂いただけで、それ以上の手ごたえを感じない。
だが。
「!」
ヴァレリーは裂けた衣服の奥――少女の背中に、黒い円を見つけた。
縁が白いそれは、自分の背中にあるものと同じ、『
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