【完結】いつか王子様が~悪役令嬢なりにがんばってみます!
月波結
第1話 花冠のきみ
――なにをしているの?
振り向くとそこには逆光で見えない黒い影だけが立っていた。
「お父様のお仕事が終わるまで、遊んでいろと言われたの」
「そうなんだ。……でもね、ここは怖いヘスティング公爵領。勝手に花を積んだりしたらなにが起こるかわからないよ」
さっと座ったのはわたしと変わらない年頃の男の子だった。金髪碧眼。細い髪が顔のラインを縁どっている。その肌の色は雪のように白い。まだ年端の行かなかったわたしでも反射的にさっと手を隠してしまった。
それを彼は、わたしが摘んだ花を盗られることを嫌がったのだと解釈したらしく、やさしくわたしの手を前に引き出すと、木漏れ日のように微笑んだ。
「ごめんね、意地悪しちゃったみたいだね。大丈夫だよ、好きなだけ花摘みして。僕はヘスティングの第一王子ヴィンセント。そうだ、驚かせちゃったお詫びにきみに花冠を作ってあげよう。僕がここでいくら花摘みをしても怒る者は誰もいないからね」
その話に驚く間もなくつるバラのアーチの向こうからやって来たのは知らない侍女とアイリーンだった。
「王子! お探しいたしておりました。早くお戻りにならないと陛下がお待ちです」
ヴィンセントの顔は一瞬のうちにさあっと青ざめ、編みかけの花冠はぽとりと彼の膝の上に落ちた。
「まあ、エルメラ様もご無事で。お父様がお呼びですよ。ひとりであまり遠くに行ったりしてはいけないお約束でしたよ」
「……ごめんなさい、アイリーン」
「よろしいのです。しかし、まさかヴィンセント王子とご一緒とは天の采配。さあ、急いで身支度を調えましょう」
まだ青ざめたまま立とうとしないヴィンセントを残していくのは躊躇われたけれど、お父様の言いつけは絶対だ。ふだん子供たちにお優しい方だけれど、躾に関わることには厳しい。
わたしたちはあわてて植物園をあとにした。
客間に戻ると、まずアイリーンはわたしに付いていた草の葉などをはたいた。そうして真っ直ぐ立つように申し付けると、わたしはTの字になって両手を水平に上げる。来ていたドレスが少しずつ脱がされていく。
すべてのリボンを解いて、はらり、はらり。
そうして今度は臙脂のベルベットのドレスに着替えさせられる。さっきまで着ていたドレスより重々しい。
「エルメラ様のプラチナブロンドにはやはり濃い色が映えますね。先程までの小花模様も年相応でかわいらしかったですけれども」
ふふっ、と微笑むと彼女はわたしの前にしゃがんでわたしの二の腕をぎゅっとつかんだ。
「この日を待っておりましたよ」
「どうして?」
アイリーンの深い茶色の瞳にはわたしが映っていた。
「よくお聞きになってくださいね。姫様は今日よりヴィンセント様の婚約者となられます。婚約者という言葉はご存知?」
「……ええ。侍女たちが見えないところで」
「まあ、どの者たちでしょう! とにかく姫様はいまから、あのお方のお妃様になることをお約束するのです。まだ八つにおなりになったばかりですからピンと来ないのは当たり前ですわ。十二になってモンテーニュ王立学園に入学されるまでに、できるだけのことはお教えしますから、不安はいりませんわ。もちろん、殿方に好かれるコツも」
にこっと抜けるような空を思わせる笑顔でアイリーンはわたしを見た。
その頃のわたしには世の中の価値観がなにもわかっていなかった。
公爵という言葉にも、王立という言葉も、なんにも響いてこなかった。
ただ、花冠を頭の上にあの男の子の手で乗せてほしかったのに、ということだけを考えていた。手を引かれて、ヘスティング公爵の前に連れていかれる時にもあの花冠ばかりが気になって、その後のことなど考えられなかった。
ヴィンセント――。
わたしがお嫁に行ったら、花冠をまた作ってくれるかしら?
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