第48話 王陛下のお招き③

「待って!」

 ギュスターヴがわたくしの手を引く力は強かった。レオンは振り向いてもなにも言わず、静かにわたくしを見送った。

 これじゃわたくしはギュスターヴの花嫁のような扱いだ。王室のパーティーでそんなことをしたら大変なことになってしまう。


「待って、お願い。許してちょうだい」

「なぜ? 舞踏会なんだ、踊るのは当たり前だろう?」

「そうかもしれないけど。でも、今日はあなたと踊れない」


 ギュスターヴがわたくしの心のいちばん、と決まったわけではなかった。だけどヴィンセントの前で気持ちを揺らしながら踊るのは気が引けた。

 ヴィンセントの前で、リアムの、レオンの前で――。


「レディ、私と踊ってはいただけないでしょうか?」


 脇からさっと現れて手を差し伸べたのは、信じられないことにエドワードだった。エドワードの褐色の手が差し出されている。

 ギュスターヴは臆した。

 エドワードは末子といえ、王家の人間だから。渋々、ギュスターヴはわたくしの手を離した。


 差し伸べられた手に掴まれて、滑るようにまた輪の中心へと戻っていく。

 第三王子の出現にみなが気を利かせたから。


 踊る人が少しずつ減って、わたくしたちの独壇場へと変わる。

 以前踊った時のことを思い出す。彼の情熱的なステップは魅力的ではあるけれど、わたくしはついていくのが精一杯だということ。


 単調なステップは次第に素早い、複雑なものへと変わる。でもエスコートが上手い。わたくしを転ばせることはない。

 息が切れる。

 汗ばむのをじんわり感じる。

 なにも考えられない――。


 うわっと、耳の奥まで響く歓声が上がって呆然と立ち尽くす。

 エドワードがわたくしの名を呼んで、ハッとする。ダンスは終わったんだ。

 ホールを揺るがす歓声に丁寧に挨拶をする。


「これで今日のエルメラがなにをしていたのか、もう勘ぐるやつはいないよ。義兄上のそばにずっと大人しくしていれば手を貸してやる必要もなかったのに」

「わたくし、目立っていた?」

「エルメラが目立たないなんてことがあるか? 思っている通り、みんながエルメラを見てる。次期皇太子妃のひととなりを知ろうとじっと見ているんだ。ほら、またミサキがヴィンセントと踊ったりしないうちにもう一曲、義兄上と踊ってきたらどうだい」


 エドワードはわたくしを言葉とは裏腹に実に紳士的にエスコートして、ヴィンセントに渡した。

 わたくしたちのダンスを見ていたヴィンセントは思うところがあったようで、わたくしたちの手を取って「素晴らしかったよ」と何度も言った。


 エドに促されてまた広間に下りたわたくしは、ヴィンセントと礼儀正しく優雅なダンスを踊った。――そう、教科書通りの。

 それでこそ、王子とその婚約者に相応しいと思えるダンスだった。

 ······逸脱しないこと。

 手を握り合って瞳を合わせる。ずっとそうだった。ずっと許嫁だったのだから。申し合わせたように微笑む、その瞬間までいつも通り。


 そう、だからそのまま変わらないでいてくれたら良かったのに。

 わたくしだってなんの疑問も持つ必要はなかったのに。

 彼女が現れなければわたくしは今頃······。今頃? なにも自分の頭で考えることなくこの位置に収まっていたかもしれない。

『わたくし』を疑うことなく――。


 ワルツはかわいらしく短いフレーズを繰り返すようにして終わって行った。

 また暖かい拍手がホールを満たす。わたくしを包み込む。


 ここがわたくしの本来の居場所だと決めてしまっていいのかしら?

 教科書通りに、昔から教えられていた通りになにも疑わず王家に身を委ねればいいのかしら?


 王陛下は壇上からわたくしたちを見守っていらしたけれど、ゆっくりと腰を上げて階段を下りていらした。

「エルメラ、貴方は実に素晴らしい踊り手だね。私の自慢の個性的な三人の息子、それぞれに合わせて踊るなんて大したものだ。どれ、この爺ともひとつ踊ってはみないかな?」

「おやめ下さい、陛下。わたくしのようなものには勿体ない申し出です」

「なに、近い将来、娘となるのだから構わないだろう」


 王陛下の手は国を支える手。

 肉厚で硬い手のひらをなさっていた。

「音楽を」と一声かけて、わたくしをお連れになる。これは夢なのか、現実なのか、ホールがぐるぐると回転して万華鏡のようだ。


 ダンスを終えると陛下はほかの方には聞こえない小さな声で呟くように言った。「貴方はヴィンセントには勿体ないのじゃないかな?  もちろん、私は貴方を迎えたいと思っているが、息子はどうにも気が弱くてね」

「いいえ。滅相もない。わたくしにそんな価値はありませんわ」

「レディ、きみはやさしい人だね」

 わたくしたちの手はゆっくり離れ、拍手の波は遠ざかるように消えた。

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