第49話 貞淑な女性

 王陛下が暖かい微笑みを残してわたくしから去っていく。

 嘘。待って。わたくしはどうしたらいいの?


 ――結局は最後、ヴィンセントの妻になって共に国を支えるんだろうと心の中ではずっと思っていた。

 あの人もこの人も素敵だけれど、その前にわたくしには敷かれたレールがずっとあった。

 そもそも、ヴィンセントはどう思ってるの? わたくしと同じく、ミサキと楽しい時を過ごしていても最後はどうやってもわたくしと結婚するんだと思っているのかしら······。

 そしてそれは諦め?

 それとも愛はそこにある?


 わからない。

 エルメラから見たヴィンセントの気持ちはわからない。だってわたくしはいつもこっち側じゃなかったんですもの。

 画面の上には自分のパラメーターが並んでいて、どれくらいの数値ならどの男性キャラとのエンディングを迎えられそうかわかったから。

 

 そして、エルメラの気持ちも······。


 エルメラはミサキの行動ひとつで行き先が変わる······。

 わたくしの行き先が不安定なのはあの子が不安定だから? それともただわたくし自身の問題なの?

 ――わからない。




「父上とのダンスなんて、思ってもみなかったから少し妬けてしまったよ」

 ビクッとして顔を上げるとそこにはヴィンセントがいて、わたくしの向かいに腰を下ろした。

「王陛下は意外とユーモアのセンスがおありになるのね?」

「ユーモア? まさか? きみに冗談のひとつも言ったってこと?」

 まさか、と言って彼は破顔した。


 ヴィンセントのお付きの者が飲み物と軽い食事を持ってきてくれた。

「父上はいつもしかめっ面だよ。笑ったりなんかしない。子供の頃は、父上の顔は岩でできているのかと思ったくらいさ」

 ふふっと思わず笑いがこぼれる。ヴィンセントから家族についての話を聞くのは初めてのような気がした。


「そうなの、普段はとても真面目な方なのね」

「仕事熱心ではあるよね」

「お母様は?」

「母上はもちろん社交界さ。きみのお母様とはずいぶん仲がいいのではないかな?」

「さぁ。わたくしは社交界に詳しくないのよ。そんなこと初めて知ったわ」

「いい意味できみは男顔負けだからね。女王になってもきっと上手くやって行けるさ」

 曖昧に笑う。そういうエンディングがあるから。エルメラは孤高の人になる。


「でもどんなことがあっても、僕たちがあの花の冠で結ばれたことに違いはないだろう?」


 不意にヴィンセントの顔が真剣になる。ホールでは優美な音楽とお喋りが場を満たしていた。

「ヴィンセントは、わたくしよりも好きな方がいらっしゃるんじゃなくて?」

「············」

 黙り込み。

 胸の奥がずんと重くなる。

 聞かなければ良かったことを、なぜわざわざ自分から聞いてしまったのか――。

「それはミサキなの?」


「僕は······僕は父上たちの期待を裏切りたくないんだ。正直に言えば確かに彼女に惹かれるものはあるけれど、でも彼女はきみではないし、僕はきみと結婚するんだよ。そう決めている」


 膝の上に置いた指先がじっとしていてくれない。どう受け止めたらいいんだろう? 少なくともヴィンセントはわたくしと結婚することを約束してくれた。でも気持ちは少しはミサキにあると······。

 わたくしたちは王と王妃になるためだけに結婚するのかしら? そこに気持ちは? 気持ちを求めたらいけない?

 みんな、わたくしを「愛している」と言ってくれた。なんの確約もなく。

 ヴィンセントに同じことを求めてはいけない?


 ぽたっと、膝の上に雫が落ちて自分の情けなさが身に染みる。王妃になったらもっと辛いことがたくさん待っているに違いない。

「エルメラ? ひょっとして結婚が怖いの?」

「そうとも言えるかもしれません。でも······いちばん怖いのはあなたなの。あなたの気持ちなの。わたくしお化粧を直してまいります」


「エルメラ!」

 手首を掴まれて、危うく転びそうになる。

「お願いだから今日はもうほかの男性と踊らないでほしい。僕だけの貞淑な女性でいてほしい」

「今日だけですか?」

「······そうだね、これからもずっと」

 腕の力が弱まり、わたくしはするっと彼から逃れた。


 そうなの、周りの目が気になるの。それで今日はミサキと踊ったりせずにいたわけなのね。

 ――でも王陛下のお話を聞いた限り、わたくしにはヴィンセントの妻は務まらないと思われているのかもしれない。

 わたくしは王妃になりたいわけでは、本当のところなかった。


 でも、確かに周りに望まれていたし、それしか選択肢はないんだと思っていた。だってそうでしょう? 貴族の娘は親の言うことを聞いて結婚するもの。ほかの殿方を知っても意味は無いのよ。

 わたくしはヴィンセントと結婚するしかないと、そう、ずっと思ってきたのだもの。彼を責められない。

 演じ続けなければならない。

 ヴィンセントの婚約者としての自分を――。

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