第50話 婚約解消
化粧を調えにいくと、ほかの女性たちが次々にわたくしにお辞儀をした。わたくしはまるでその列の中を通っていくような奇妙な錯覚を覚えた。
わたくしも挨拶をしないわけにはいかないので、頭を下げて一言、二言話をする。
みんなの話題は決まって『今日のダンス』だった。
王陛下とその三人の息子――考えればよく踊ったものだわ、と苦笑する。
中には大きな声で長々とお喋りの続く夫人がいて、こういう方と社交界で会ってしまったらどんな風に上手くかわしたものかしら、と考えた。
「失礼」とわたくしは用を済ませて席へ戻った。そこに後ろからミサキがやって来た。
「エルメラ様も王子もどちらもいらっしゃらないと思ったらこちらだったんですね」
ええ、とわたくしは答え、ヴィンセントも曖昧に笑った。
「おふたりのダンス、素敵でした! わたしも踊りたいんだけど、こういう場所で踊るのは失礼に当たります?」
「今日はそんなにお堅いパーティーというわけではないんだ」
「うわぁ、じゃあ――」
隣にすっと腕の長くてスタイルのいい男性が現れた。
「失礼。踊りませんか、ミサキ」
「エド! エドのダンスは難しくてついて行くので精一杯だもの。さっきのエルメラ様みたいにカッコよく踊れるならいいけど、無様な目にあうのはイヤだな。それよりヴィンセント様とエルメラ様が踊ったワルツをわたしも踊りたい!」
エドワードもヴィンセントも困った顔をした。そして恐らくわたくしも困った顔をしていたのだと思う。場の空気が悪くなった。
「ダメなんですか? いつもはヴィンセント様は一緒に踊ってくださるでしょう?」
「その······今日はダメなんだ。今日の僕のパートナーはエルメラなんだよ。それにもう踊り疲れてしまったし」
「えー? いつもみたいに耳元で『一、二、三』ってリズムをとってください」
場の空気は悪くなるどころか冷えて固まった。ヴィンセントはバツの悪い顔をして、エドワードはそんなヴィンセントを軽蔑するように見た。
わたしは――わたしはといえば、もう逃げ出したいくらいだった。
「エルメラ、どこかふたりきりになれるところへ」
震える声でヴィンセントは言った。エドワードが嫌がるミサキを剥がすように連れて行った。
廊下に出て、ヴィンセントの震える指先から手を離す。こんなのは全然自然じゃない。どうしてこんなことに······それはわたくしが散々楽しんできたゲームが始まったから······。
自業自得、というのかしら?
死ぬまでたくさん楽しんできた
「エルメラ」
気がつくとヴィンセントはわたしを壁際に追い込んで、壁についた両手でわたくしの自由を奪った。
「僕はもう決めたんだ。弱い自分から卒業しようって。卒業する夏までの間にまた首席を取り戻して、きみに相応しい男になる」
一瞬、黙り込んで彼の言葉のひとつひとつを噛み締める。人気のない廊下は足元が冷える。わたくしは彼の目を正面から見ることができなかった。
「問題はそこではありませんわ」
「これ以上、気持ちを揺らさないといまここできみに誓うよ」
「本心は? 本心では彼女に惹かれているのでしょう? ······わかるんです」
彼の右手は下げられて、大きなため息をついた。ガヤガヤという声は近いようで遠く、まだ誰もここに来そうにはない。
「エルメラ。生涯、きみ以外の女性を愛さないと誓うよ。どう? これでもダメかな?」
「誓うとか誓わないとか、そういうことじゃないわ! わたくしはただ、そうただ、あの子のいなかったあの頃に戻りたいのよ」
走り去ろうとするところをヴィンセントに捕まる。いつもはそんなになにかに執着するようなひとではないのに、今日はなぜかしつこいくらいだ。
「お願いだよ、エルメラ! 僕と結婚してくれ。父上がきみとの結婚を解消しようと言い出したんだ。理由はきみじゃない、僕だ。不出来な僕を皇太子から下ろすことを考えていると――」
「わたくしは王位に着くための道具じゃないわ!!」
ヴィンセントの手が緩んだところに人影が現れ、聞こえてしまったかもしれないと不安になる。これほどスキャンダラスな会話を誰かに聞かれるわけにはいかない。ヴィンセントのところに戻ろうかと気持ちが右に左に揺れる。
「そんなに大きな声を出してどうしたんだい?」
現れたのはリアムだった。
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