第51話  ゲームの行方

「なんでもないんだ、兄上。あまり歩かない方がいいんじゃないのかな?」

 ヴィンセントはリアムの足を気遣って、リアムに走り寄ろうとした。

 でもリアムはそれを聞かなかった顔をして、わたくしたちにゆっくり歩み寄った。杖をついた姿は、さっき共に踊った時とあまりに違った。


「そこの部屋で休ませてもらってたんだよ。そうしたらきみたちの声が聞こえてきてね。内容はわからなかったけれど、エルメラが追い込まれているような気がしてね」

 ヴィンセントもわたしも答えなかった。なぜなら答えがなかったから。リアムが来てくれて本当に助かったけれど、気まずさは拭えなかった。


「違います。どちらかと言うと、わたしがヴィンセント様を追い込んでしまったんだと思うんです」

「いや、エルメラは悪くないじゃないか。今回のことはそもそも――」


 リアムは黙ってわたくしたちのやり取りを見ていたけれど、そっとやさしくわたくしたちを誘った。それは春のそよ風のようなさり気なさだった。

「なんだい、この間、せっかく温室を貸したのにまだ仲違いをしているのかい? ふたりとも自分の気持ちに素直になればいいだけだろう?」


 わたしにも、恐らくヴィンセントにも、素直な気持ちは既にぐちゃぐちゃに混乱してとても話せなくなっていた。

 手をぎゅっと握る。

 手袋をしていても爪が手のひらにくい込みそうだ。


「リアム様、物事はなるようにしかならないのだと思います。わたくしはヴィンセント様とこのまま結婚をするでしょう。それが幼い頃から決められていた運命だから」

「運命? きみのような強い女性でもそんなことを気にするのかい? 幽霊に徹している僕が言うのもなんだが、運命なんて自分で決めるものだろう? 違うのかい?」


 ヴィンセントはずっと口をつぐんでいた。

 なにかを言おうとしている顔だ。

 廊下の向こう側からは華やかな音楽がまだ響いていた。


「ヴィンセント、ミサキを選ぶのかな?」

 ズキン、と後ろから矢で射られたような痛みが体を走った。次にヴィンセントの言うセリフは聞きたくなかった。

「僕は王位継承者です。王位は遊びで継ぐものではありません」

「奇遇だ、僕もそう思うよ。僕がお前なら気に入らない娘とも素知らぬ顔で結婚しただろうよ」

 ヴィンセントの顔に朱が走った。

「僕はエルメラを幸せに」

「自分の利益のためにかい? それでは僕がこの先描くであろう彼女の何枚もの絵は、次第に暗い色相のものになるだろう。お前はわかっていない。エルメラは選ばれるだけの女性ではないだろう。お前も選ばれなければならないんだよ」


 部屋はリアムのいつも通りの静かな口調にしんとした。

 静かな言葉がリアムを中心に拡がって、部屋全体を逃げ場なく覆ってしまう。何を言ったらいいのかわからなかった。

 ヴィンセントの顔色は青ざめていた。


「次の試験では必ず首位を」

「そういうことじゃないだろう? お前だって子供じゃないんだからそれくらいわかるだろう?」

「しかし兄上、僕にはそれ以外にエルメラに振り返ってもらう方法が見つからない⋯⋯」


 部屋はまたしんと沈黙に満たされて、整理整頓された部屋はなおいっそう物事を静かにしているように思えた。


「ヴィンセントはエルメラが好きなんだね?」


 ヴィンセントは一瞬、見間違いでなければビクッとした。いちばん訊かれたくないことだったのかもしれない。

 かわいそうなくらいそのブルーの瞳は澱んで、彼は俯いたまま「はい」と答えた。


「エルメラを手に入れるにはライバルが多いことはわかっているね? もちろん身分というのが条件なら、問答無用でお前がいちばんだろうけど。彼女の心を掴むにはそれだけじゃダメなんだ」

「⋯⋯はい。情けないです。僕とエルメラの仲は『絶対』だと思っていた」

「そこに不確定要素であるあの子が現れて、きみたちはぐちゃぐちゃになってしまった。ヴィンセントはあの子との仲を切ることはできるのかい?」


「リアム様、おやめ下さい! こんな尋問めいたもので気持ちは動いたりしません⋯⋯。時間がきっと、ヴィンセント様の愛情を思い出させてくれると期待しております⋯⋯」


「わかったよ。ヴィンセントにもエルメラにもこの話は辛かったようだね。すまなかった」


 いいえ、と答えた。

 ヴィンセントはそうじゃなかった。突然立ち上がって、感情を表に出して声にした。


「兄上は決まっていた自分の将来に『自由』という魅力的な要素が転がり込んできたら、そうやっていつも通り落ち着いていられますか? 僕はずっと言われた通りになんでもがんばってやってきた。彼女の話は面白かったし、毎日の忙しさを忘れるのに十分だった。それ以上でもそれ以下でもないです。彼女だけが僕を王子ではない、本当の僕として見てくれたんです」


 カタン、と音を立てて立ち上がったのはわたしだった。

 なんのこと?

 わたくしだってヴィンセントに相応しいレディになるためにどれだけ⋯⋯。

 なにも、考えたくない。

 これは夢だ。

 大好きだったゲームの世界の中で、大好きだった人の口からあんなことを聞かされるなんて⋯⋯今回のゲームの敗者はわたしなのだわ。

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