第34話 悪役令嬢
別々の入口から入ってきたわたくしとレオンはまるで素知らぬ顔をしながら、挨拶を交わした。『秘密の共有』――子供の頃の楽しみを思い出す。
くすっと笑みをこぼしそうになるわたくしを、レオンが生真面目な顔をしてたしなめる。
「ようやく終わったよ、いままでどれだけ怠けていたかを思い出させられてしまった」
広間におりてきたヴィンセントは、最近見せなかった純粋な瞳の煌めきを見せた。
王位を継ぐ者というものはこういうものなのか、という彼を包むオーラが目に見えるようだった。
「エルメラ、父君にお礼を。きみも少しは羽を伸ばせたかい?」
「……ええ。お父様も喜びますわ」
「レオンも僕がこってり絞られている時の方がよほど余暇を楽しめるというもののようだな。いつもと顔が違うよ。野趣あふれる手入れの行き届いた庭園は、きみの故郷を思い出させたのではないか? ここの庭園は自然を生かした素晴らしいものだから」
「殿下、私の故郷は今頃、既に雪で薄化粧を施されていることでしょう」
「そうか。山村というのも大変だな。僕も一度、見聞を広げにいってみたいものだ。その時は共に来てくれるかい?」
「もちろんですとも。できる限りのおもてなしをお約束します」
そういうものではないのだけど、とヴィンセントは微笑んだ。
微笑んだ!
久しぶりに本物の彼に出会った気がする。その頬にそっと手を触れたくなる。
子供の頃からこの歳になるまで共に育ってきた記憶が再生されて、彼への愛しさが戻ってくる。
「エルメラと花摘みに行きたかったんだが、今日はもう遅くなってしまったね。残念だが僕の勉強不足が招いたことだ。きみを楽しませてあげられなかったことを詫びるよ」
「そんな。それなら明日、庭に出ましょう。明日は来客を招かないように人払いしているんです」
「そうか、それはいいかもしれないね。……この前の埋め合わせになるといいのだけど」
気弱な一面をちらりと見せる。
放っておけない。いいのです、と言ってあげたくなる。この気持ちはなんなのだろう?
その気持ちに名前をつけられなくても、わたくしたちの間には確かに『時間』が横たわっていた。それは先程レオンと共有した『ちょっとした秘密』と比べるにはあまりにも大きすぎた。
「皇太子殿下、本日は我が屋敷にご滞在、まことに恐悦至極でございます」
「いや、トゥルーズ卿、ゆくゆくは父上となるのだからそれほど凝縮しないでほしい。卿の育てられた美しいバラの輝きに私はどうも努力が足りなかったようです。彼女のおかげで目が覚めたようなもの、卿にも礼を尽くさねば」
「もったいないお言葉。さぁ、ささやかではありますがあちらでささやかなもてなしを受けて下さい」
家人も交えた『晩餐会』。余興でわたくしも一曲歌うことになった。戦に出る王子を慕って、行かせることを拒み悲しむ王女のアリアを歌う。心配だった高音部も今日は伸びやかに出て、お父様も満足そうだった。
「我が娘ながらなかなかのものではないでしょうか?」
それは言い過ぎなのではないかしら?
「エルメラほどの女性を僕は見たことはありませんよ。子供の頃から変わらず美しく、そして気品とやさしさを兼ね備えている」
立ち上がって逃げてしまいたいと思うほど恥ずかしかった。と同時に彼の王子らしさが少しでも戻ったことに安堵する。
元々の気品とやさしさを兼ね備えているのは彼の方なのだから。
食事が終わるとわたくしたちは暖炉の前で歓談した。
たったそれだけのことなのに、離れていた心が少しずつ少しずつまた近づいていくのを感じる。
素知らぬ人のようだった彼は、子供の頃からのよく知った人に戻ってきた。
「心配をかけたね」
「いいえ、いいのです。まだ先の、確かでないこととはいえ、わたくしがあなたを支えるのは当然のことですもの。この先、その時のために、あなたと共にがんばりたいのですわ」
エルメラ、と彼の手が膝の上のわたくしの手の上に重なる。
これでいい。
こうすることが正しいんだ。
わたくしは『悪役令嬢』。プレイヤーに王子を奪われないように守る立場。ヴィンセントを王位につけてみせる――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます