第33話 そよ風に揺れる草花
前例のないことだけれど――土の曜日には屋敷にヴィンセントを招いて共に勉強をすることになった。これはお互いに話し合って決めたことで、ヴィンセントが王位を継いだ時のために協力しようという、これから先、将来まで続く約束だった。
とはいえ、殿方とは習うことが異なるので別々の部屋で、別々の教師に勉強を教わる。
国の成り立ちや仕組みなどに加え、ヴィンセントは帝王学や戦術なども勉強しているはず。王位につくというのは並大抵のことではない。
わたくしは音楽やダンスなど華やかな授業が今日は続いて、ミカの手入れしている庭園を花を見ながら歩いていた。一日一日寒さが増し、こぼれるように咲いていたバラも疎らになった。
時に立ち止まって花の香を楽しみ、心を満たしていく。
なんといっても自宅に帰るということは心を休ませるのに十分だった。
「失礼」
気が付かない間にレオンが向かい側のバラの列から現れて、一瞬、混乱する。彼も今日はリラックスして見えた。
「ヴィンセント様に付き添わなくて良いの?」
「ええ、歴史学の授業を今日はみっちりなされるとのことで、外に出ているように申し付けられました」
レオンはそう言って微笑んだ。
どちらからというわけでもなく、わたしたちは庭園を散歩し始めた。
「エルメラ様はこちらで育ったんですね。よく手入れのされた庭園だ」
「そうでしょう? ここの庭師は、わたくしの小さい頃の遊び相手だったんだけども、バラの手入れに関してはかなりの腕前よ」
「季節にはきっとこぼれるように咲くんでしょうね」
「そうね、よかったらあなたもその頃·····」
レオンはやさしい微笑みをたたえてわたくしを見ていた。いけない。わたくしたちは将来、主従関係になるのだし、親しくしすぎるのはいけない。
「レディ、いいんです。いまだけの言葉でも。ここのバラがこぼれるように咲く季節に、私もあなたを私の素朴な故郷に連れていきたいものです。丘の上の足元に広がるのは決して手入れの行き届いたバラではありませんが、かわいい山野草のカーペットはあなたを喜ばせるのではないでしょうか?」
心をレオンの故郷に飛ばす。
囁くように滑らかに語られたその風景はもしかするとわたくしの求めるものなのかもしれない。
皇太子妃になることだけが運命じゃないのだもの。ただ、わたくしはその運命とある意味契約してしまっている。ここがゲームの世界だとしても逃げるわけにはいかない。
悪役令嬢だからこその『責務』があるのだわ。
「考えただけでも素敵な光景ね。風にそよぐやさしい花と小鳥のさえずり、そしてわたくしはできたら裸足でその草の上に立ちたいわ」
「いいえ、そうはさせませんよ。あなたは私の腕の中、馬上の人です」
意地悪ね、とわたくしは気分を害したふりをした。レオンはふっと、大人びた笑みをこぼした。
「もしもそれが叶った時には、あなたは私の言うことを聞くのですよ。小さな城の中では浮気も叶いませんから。独り占めです」
「·····冗談が過ぎますよ」
「·····たまには夢物語も良いでしょう」
空の彼方が薄紅に染まりつつあり、彼はわたくしを促した。
夢物語は夢物語で、わたくしの生きる世界を変えてしまうほどの強い力はそこにはなかった。ほんの一瞬、小さな城の女主人になって、都から帰ってくる夫のために城を切り盛りする想像をした。
くすり、と笑ってしまう。
レオンはなにがあったのかと訝しんだ顔をしてわたくしを見た。
「ひどい人。そうして一年のほとんどを都で警備をして過ごすのでしょう? あなたは優秀な騎士ですもの。わたくしを長い間ひとりにしておくのでしょう?」
レオンは目を逸らし、夕焼けの真ん中を見つめるふりをした。逆光になったその顔はよく見えなかった。彼がどんな表情をしているのか、見てみたいように思った。
「その時には騎士をやめてただの田舎領主になっても構いません。近衛騎士になったのは親の、家のためであり、私は故郷を愛しています。·····ひとりで置いておくなんて、できませんよ」
では、と別々の戸口を選んで館に入る。
ミカは、花の具合はどうでしたか、と訊ねてくる。
「そうね。丁寧に手入れをされるバラはしあわせね。バラは花の女王のようだけど、単なる一輪の花として見られたい時もあるのかしらね? どちらにしても魅力的な花だけれど」
ミカはよくわからないという顔をしたけれど、明日の朝いちばんに咲いた花をお届けしましょう、と言ってくれた。
庭園を飾らなければいけない義務を持たない独立したバラの一輪を、わたくしはうらやましく思った。
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