第32話 王位を継ぐ資格
『一度ゆっくりお話がしたいのです』
一枚のカードをつけて、薄桃色の薔薇をレオンに託した。彼はわたくしを気の毒そうな目で見た。わたくしはそれに微笑で答えた。
「エルメラ様、間違いなく王子にお渡しします。ですからそんなに悲しそうなお顔をなさらないでください。心が痛みます」
彼は最大限の同情をわたくしに向けてくれた。その翠色の瞳がさみしく曇る。
「お願いね」
教室に向けて歩き出すとミサキが後ろから跳ねるようにやってきて、わたくしの背中を軽く叩いた。
「エルメラ様! なんだか元気がないですよ!」
「おはよう、ミサキ。そんなに大きな声で喋るものではないわ」
「え? そう言えばいつも辛気臭いと思ってたんですけど、みんな元気がないんじゃなくてここってそういう場所なんですか?」
「そうね。両家の子女であることを忘れずに振る舞わなくては。ここで結婚相手を見つけることも多いですから」
そうなんだ、と頭に大きなリボンをつけたミサキはわたくしの言ったことを理解しようとしていた。
わたくしの知っている『エルメラ』はミサキにとって良い先輩だったように思う。たぶん。彼女の振る舞いはいつでも淑女のそれだった。いきなりゲームの世界に飛び込んでしまったわたくし、エルメラとミサキ。プレイヤーキャラと悪役令嬢という差はあるけれど、同じ立場だと言えなくもない。
わたくしはもっと柔軟になるべきかもしれない。
「落ち込まないでくださいよ、エルメラ様。ヴィンセント様が皇太子じゃなくなっても素敵な男の人ばっかりじゃないですかー?」
「ミサキはヴィンセントが皇太子じゃなくなったらどうするの?」
「どうかな? でもヴィンセント様とのフラグがずいぶん立っちゃったしなぁ」
「フラグ?」
「ああ、こっちの話ですよ、えへ」
フラグなら攻略チャートにすべて書き込まれてる。
でもエルメラについてのフラグはどこにも書かれていない。わたくしの指針となるチャートはどこにもない。自分自身で判断していくしかないのだわ。
とりあえず、ヴィンセントと話し合わなければ。
授業が終わる鐘が大きく鳴り響く。その鐘を見上げるように顔を上げて、深呼吸をした。
「エルメラ様、こちらへ」
さっと目立たないように現れたレオンが導いてくれたのは、庭園奥の小川のほとりのガゼボだった。
ヴィンセントはそこに浮かない顔で座っていた。元々気の強い方ではないとはいえ、いまの彼は空気の抜けた風船のようだった。
「エルメラ」
わたくしは最上級の礼をした。いつもは簡略化されているものを正式に。
「ヴィンセント様、なにも気に病むことなどないのですわ。誰でも具合の悪い時はあるものです」
「·····具合が悪いのでは」
ふぅ、とため息をつく。ため息をひとつつくと、しあわせがひとつ減るという。それでもわたくしには必要なため息だった。
「ヴィンセント様、差し出がましいことではありますが、それは『恋の病』ではありませんか?」
「··········」
美しいプラチナブロンドが風にそよぐ。いままでこの美しい
「エルメラ、僕に王位を継ぐ資格があると思うかい?」
「ええ、次の試験でいつも通りの成績をお取りになればなにも問題はありませんわ。わたしたち、またお揃いのブローチを着けられます」
「もうその資格はないんじゃないか? 僕が王位を継承しなくともエドワードが控えている。僕は不必要だ」
「そんなことございません」
わたくしは、初めて自分から彼の手を握った。外にずっといたのでその手はすっかり冷えきっていた。
「いままで、共にがんばってきましたでしょう? わたくしにあの日の約束の冠をくださるのではないのですか?」
そっと躊躇いがちにヴィンセントからわたしの髪に手を伸ばしてきた。顔周りの緩く巻いた髪を彼は指で梳いた。
「ああ、僕は間違っていたのかもしれない。ずっと窮屈に思っていたんだ、王位の継承なんて縛り付けられるだけじゃないかって。きみという美しく賢い妃をもらう資格は僕にはないと思ってた。でも違うんだね、もう一度チャレンジすればいいんだと、きみはそう言うんだね」
ええ、とわたくしは彼の折れそうな細い指に頬を寄せた。わたくしを支えるには少し頼りなく思えるように感じたけれど、この国のためにもわたくしこそ強くならなければ。彼を支えていくためにずっと学んで用意してきたのだもの。
「エルメラ、僕の美しい人」
わたくしと彼は初めて口付けを交わした。
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