第35話 自由を求めて

 日の曜日でさえも午前中はそれぞれの勉強に費やした。


「レディ、皇太子妃とはいかなる存在だと思ってらっしゃいますか?」

 鋭い眼差しのドーラ夫人がわたくしに強く尋ねた。

「……皇太子妃になるということはひとつの大きな『責務』であると思います。一口に言えば『公私共に皇太子を支える』立場であると言えますが、妻として、そして行く行くは国民の母となり国を支える力が必要だと思います。ですからわたくしは学生のうちに勉学に勤しみ、国のこと、社交界のことなど多方面に渡って知識を身につけようと考えております」


 ドーラ夫人は目を大きく開き、いつもは突き刺さるような物言いを、考えられないほどやわらかくわたくしを評した。

「エクセレント! これまでもいろいろお教えしてきましたが、お嬢様の責任感の強さは目を見張るものがあります。よくぞここまで物事を複雑に理解できるようになりましたね。私もうれしく思います!」

 思わずハグされて、なんだか子供の頃に戻ったような気持ちになる。学園に入ってからはもちろん、親とハグするようなことがなかったからだ。




 どこの家でもそうだと思うけれど、お父様は家柄と出世にご執心で、お母様は社交界の華やぎにいつでも囚われていた。

 わたくしはアイリーンのもう年老いてしまった母親を母代わりに育ち、アイリーンを姉のように頼りに思い育った。

 だからわたくしにとってアイリーンが特別なのだ。




 お昼は天気も素晴らしく、陽光が輝いていた。冬間近であるのに日差しには暖かさが感じられ、お日様に包み込まれているようだだった。


「こちらのバスケットにはサンドイッチをたくさん用意いたしました。それからこちらには鶏の……」

 なにやらご馳走らしい。アイリーンが細々と説明をしてくれる。確かに前回のピクニックを考えると、我が家としても威信がかかるのかもしれない。


「静かだね」

「そうですね、冬の訪れる音は静かだと思います」

「『冬の訪れる音』か。エルメラは詩人だな」

 ヴィンセントは不意に口を閉じ、遥か先を見つめているようだった。

「僕はね、王位を継承できないのではないかと思っている」

 思わぬ言葉にわたくしは息を飲んだ。

 だって今までなんのために――?


「僕がいなくてもエドワードがいる。妾腹なのが気に入らないと言うなら兄上が。エルメラは兄上にお会いしたことがあるかい?」

「……ええ、温室で偶然」

「兄上は美しく聡明な方だ。戦は兵に任せればいい。本来なら兄上が王位を継承するはずだったんだ。僕には……その資格がないよ」


 わたくしは彼の手に手を添えて、瞳の中をじっと強く見据えた。

 かわいそうな彼は、たった一度の過ちでプライドの全てを失ってしまった。いままでだってきっと、自分とリアムの違いを比べたことが何度もあったのかもしれない。かわいそうに――!

「リアム様は王位に関心はございませんわ。エドワード様だって兄君であるあなたを尊敬なさってるじゃありませんか? なにをそんなに不安になる必要があるというの?」


「『自由』を知ってしまった。『自由』は僕を魅惑してそして誘い続ける」

 ミサキだ……。

 それはミサキのことを言い表しているんだと思った。

 彼女の弾むような歩き方、誰もしないような大きな口を開けて笑い声を立てる、学園のみんなの、社交界の全ての常識から外れた自由――それにヴィンセントは魅せられてしまったんだわ。


「……わたくしではお手伝い、できませんね」

「そうは言っていない」

「ヴィンセント様。あなたには王家の者としての責任と義務がおありになります。けれどもそれを受け入れるかどうかはあなたにかかっているんです。わたくしにできるのは、王位を継ぐまで共に手を取り合い助け合うことだけ。それ以上はあなたが望まないのではなくて?」


 王位を継がないならヴィンセントを失う……。

 それはわたしの好むと好まざるを抜きにして政治的に知らないところで決定するのだろう。わたくしには彼を自由にしてあげられるだけの力がない。


 彼に飛び立つための翼を用意してあげることはできない――。

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