第40話 異世界からの闖入者
ミサキから聞いたという話にヴィンセントはあまり興味が無いようだった。そんなことより、繋がっているふたりの指の方がずっと大切だと、彼の目はそう語っていた。
「きみたちは恐らく、同じ国からやって来たんだろうと言っていたよ」
心臓が飛び跳ねる。
さすがミサキだ。事をそのままの形で伝えるなんて、わたくしには遠い昔の習慣だ。
ここではなにもかも匂わせて誤魔化す。
「そこにはね、いろんなものがあると言っていた。クッキーを簡単に焼くための装置もあるって。おかしいよね、クッキーを焼くためだけの装置なんてさ」
「·····クッキーだけじゃないんです。オーブン料理を手軽にできる装置があるのです。向こうの世界には」
「·····エルメラ?」
わたくしの目は、ヴィンセントと合うことはなかった。目を見て話せるようなことではなかったからだ。
これがミサキなら、噴水の見えるベンチに座ってペラペラとよく喋るところだろう。
「こことはまるで違う世界で。もっとごみごみしてうるさくて、自分のことしか考えない人ばかりで。そう、月の曜日の馬車列のような、毎日が大騒ぎなんです」
「じゃあ、ミサキとエルメラはどうしてここに·····?」
息を吸う。
覚悟を決める。
心拍数が上がる。
「ミサキは飛び込んできたんでしょう。わたくしは。わたくしは·····一度死んだのです。事故にあって。そして気がついたら焦がれていたこの世界に生を受けていた、と言ったら信じていただけますか?」
ヴィンセントは驚いた顔をした。そしてすぐ、考え込んだ。
わたくしは居心地が悪くてもう一杯、紅茶をいれた。
時間が過ぎていく·····。そんな奇妙なわたくしをヴィンセントは受け入れてくれるのかしら?
「さっきから思ってたんだけど、エルメラはこの世界を死ぬ前から知っていたってこと?」
「ええ、まぁ。その、本のようなものに物語として描かれていて·····その本の中では自分が主人公になれるんです·····」
「エルメラが?」
「生前は」
自分で話していておかしくなって笑いをこぼしてしまった。
だって、そんな話ってある?
自分の世界には闖入者がいて、自分の婚約者はその仲間らしい。
ヴィンセントはわたくしを忌々しく思うかもしれない。そしていま以上に遠ざけるかもしれない。
「生前、その物語の中できみと僕は会ったの?」
ぱぁっと、白い花が開いたような幻想を見た。
「お会いしましたわ。幾度も、幾度も。わたくしはその度にどうしたらあなたに近づけるのか思案したものです」
「こんなに近くにいるのに?」
「それはいまの話です」
「ではいまの僕には幻滅してるだろう。そこまでして会う価値のない男だって」
「どうでしょう? ではどうしてわたくしは命を失って、それでもなおあなたの目の前に現れたのでしょう? わたくしはあなたに会いたかったから。わたくし、エルメラとして生まれたことに異議はありません。だって、あんなに恋焦がれたあなたの一番近くにいる権利を手に入れたんですもの――」
「ではなぜほかの男と?」
「あなたにはミサキがいるでしょう? 彼女はじりじりとあなたを囲って攻略してくる。あなたはわかっていて? あなた自身を動かしているのはミサキの小さな行動のひとつひとつなのよ。でもそれは決してすべて悪いことだというわけではないと思うの。わたくしだって――わたくしだって、この世界に生き返るまではあなたを少しずつ誘惑したわ。例え王位を取れなくてもあなたがいればいいと思った時もあったのよ。だけど、そこにあなたの気持ちはなくて。エルメラになってわかったの。あなたたち男性にも気持ちがあるってこと」
ヴィンセントは静かに話を聞いていた。
反対にわたくしは少し興奮気味だった。
「ヴィンセント様のお気持ちを尊重することの大切さを学んだんです。ですから、あなたがミサキと新しい未来を築くと言うのなら」
「言うのなら?」
「わたくしはゲームの敗者ですわ。新しくやってきた女の子に、婚約者をみすみす奪われてしまった」
重ねられた手に、ぎゅっと力がこもった。気がつくとヴィンセントはわたくしを真っ直ぐに射抜くように見つめていた。
「確かにミサキの話は面白かったよ。あの子はいつも斬新だ。でもこれから何十年もの間を共に過ごすには、もっとふたりの間に熟成された時間が必要だと思わないかい? 僕と、きみのように」
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