第39話 恋の悩み
躊躇いがちに温室を訪ねる。リアムと会ったのはこの前はいつだったのか、時間感覚が麻痺している。
「待ってたよ、レディ」
「ご無沙汰してしまって」
「そうだね、約束を反故にされるのかと思ったよ。覚えてる?」
「絵を·····」
「そう、きみの絵を。きみが無事に皇太子妃になった時に贈ろうか」
お戯れを、と言ってわたくしは顔が上げられなかった。そんな将来が本当にこの先やってくるのか、まったくわからなかった。真っ暗で先が見えない。だからこそ、ここに来た。
「そんな顔をしないで花たちのお喋りでも聴くといいよ」
温室内の温度は適温で、冷えた指先まで溶けるように温まっていく。ここはリアムの居城だけある。
「恋の悩みかい? きみの恋の悩みを僕に聞かせると?」
「冗談がすぎます」
「そうでもないだろう? こう見えて僕は王室の人間だしね。きみとまったく釣り合わないというわけでもないよ。·····ヴィンセントのことで悩んでいるの?」
この人の前で黙っていることができなかった。言葉はひとつひとつこぼれるように口から落ちてきて、最後には涙が一粒こぼれた。
「すごいな! ギュスターヴに婚約を申し込まれたのかい? それにあの堅物そうな
「秘密にしてくださいます?」
「もちろんだよ、さ、悩みはすっかり吐き出した方が身のためだよ」
ヴィンセントの話をするのが辛かった。少しずつ、少しずつ離れていく心。通わなくなる気持ち。信じていたものへの不安。
「ふむ。僕にもヴィンセントの気持ちはわからないね。なぜきみから遠ざかるのか――。ひとつ言えるとすればあれかな? やはり成績を落としたことが尾を引いているのか」
違うんです。
それは、プレイヤーキャラと遊びすぎてしまうと誰にでも起きるんです。
と、言えるわけがなかった。
それに、目の前にミサキの姿がチラついて離れなかった。
「次回の試験ではきっとそうはなりませんわ。確信しております」
「でもきみは自分の気持ちを確信していないわけか?」
くっ、と唇を噛んだ。心の中の澱みがこれ以上溜めておけなくなった。
「愛されてないのにどうして愛されるんです? 教えてください、わたくしはまだ彼を切り捨てられない。ただの執着かもしれない。でもきっとこの気持ちが『愛』だわ。どんな風になっても忘れられない。心から離れない。わたくしは彼をしあわせにして差し上げたい。そのための手助けを――」
「黙って。男はね、愛する女性を守りたいんだ。きみはそんなに強くなる必要は無いんだよ。すべてを打ち明けてしまえばいいのに」
「そんな! 今さらできないわ! ほかの方にも求婚されたり、わたくしはヴィンセントの妻になるには隙が多すぎでした」
「だ、そうだよ、ヴィンセント」
ひっ、と小さな悲鳴のようなものが口から出てしまった。だってこんなことって。
「ここにきっときみはいつか来ると、ヴィンセントは待ってたんだ。もちろんきみと話をするためにね。ロマンティックな邂逅だ」
足を少し引きずり気味にリアムは温室を去っていった。その間、わたくしたちふたりはなにもできなかった。唇ひとつ動かすこともできず。
「この機会をずっと待ってたんだ。兄上に感謝しなくては」
「もう、お話する機会はないのかと」
「なぜ? 僕たちはいまだ、婚約者のままだよ」
わたくしに寄り添うようにヴィンセントは歩み寄った。なのでわたくしはヴィンセントのその頼りない薄い胸を軽く叩いた。
「ではなぜお会いできなかったのですか? わたくしは、わたくしは·····、あなたの知らない遠いところにいた時からずっと、あなたのことだけを想っておりましたのに」
そう、それはとても遠い話。
髪の手入れも肌の手入れもそこそこ、服はスエットの上下、制服をハンガーにかける前にパソコン画面にかじりついていた頃の。
「よくわからないけど、うれしい話のように思うけど」
椅子を引いてヴィンセントはわたくしに座るように促した。そして自分も白いガーデンテーブルに着いた。
「ミサキも不思議な話をするんだ。同じ話なのかな? ミサキはなぜかエルメラならわかってくれると」
「わたくしが?」
「ああ、エルメラなら正しい道を知ってると思うと言っていたよ。彼女の特製クッキーを食べながらね」
「·····ミサキが?」
「きみたちは仲がいいんだね」
ミサキはなにに気がついたんだろう?
わたくしのなにを知ってるんだろう?
そして、一番の問題は――ヴィンセントはどこまで聞いたんだろう?
頭の中はクエスチョンマークばかりが回っていた。
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