第27話 大切にするもの
「エルメラ=トゥルーズ」
わたくしはみなにお辞儀をして席を立ち上がった。
今日は上半期の最優秀生徒の発表の日。男子学生ではおそらくヴィンセントが選ばれたはず。
将来の、王、妃殿下となると勉強も疎かにはできない。国民を率い、そして加護を与えるために、国の仕組みの何たるかを学ばなければならない。
その点、エルメラは本当に優秀で、いまでもギュスターヴの父上の代わりをできるほど……というのはほんの冗談。国の政治は難しい。内側だけをおままごとのように動かしてあげればいいわけじゃないし、踏み込むにしても踏み込まれるにしても戦争があれば民は疲弊し、国土が荒れる。
焼け果てた荒野だったこともあるこの国の、わたしの知らない当時の姿をまた見るのは嫌だと思った。
「エルメラ様はすごいですね。お勉強もいつもおできになるんだもん」
珍しいことにミサキがわたしのところにやってきた。嫌味のひとつでも言いに来たのかしら?
「ねぇ、朝、ご一緒に馬に乗っていた方はどなただったんですか? わたし、ヴィンセント様にバレちゃうんじゃないかとドキドキでしたよ」
まるで裏はないといった満面の笑みを浮かべてミサキは言った。わたしをゆするつもりなのかしら? もっとも、レオンのことは誰にも言うつもりはないの。彼の非になってしまったら後悔しても遅いもの。
レオンはなにも悪くない、と言いたい。
でも今朝の出来事は本当のことを言えばやりすぎになってしまう。皇太子殿下付きの騎士が皇太子殿下妃候補の女性を馬に上げるなど、あっていいことではない。
レオンが罷免されてしまう可能性があるから。
だから、ミサキにそのことはバレたくない。
「なんのことかしら? それよりミサキ、今朝は馬車は良い位置に着けて?」
彼女はそれまでわたしに見せたことのない顔をした。シュンとしたのだ。
「なかなか難しいんですね。わたしがここに来る世界ではこういうものはなくて、なんでも並んで順番を取ったので、自由に取りたい場所を取るなんて難しくて。秘訣、ありますか?」
小さくなってしょぼくれた彼女が子供のようで少しかわいらしく見えた。そして、少し滑稽だった。
「あの場所でも見えないようで列はあるのよ。だからあなたは流れに任せていればいいの。それが最良よ」
「そんな! エルメラ様はヴィンセント様と同じタイミングで馬車を降りたくないんですか? この前みたいにエスコートされたくないんですか?」
「いいこと、ミサキ」
わたしは彼女にとても親しい女友達にするように優しく語りかけた。彼女がゲームだと思っている、その刹那だと思っているこの世界はゲームが始まる前も終わったあとも連綿と続いている。そのためには『いま』だけじゃダメなんだ。
「わたくしもエスコートされるのはとてもすきよ。ロマンティックですもの。――でもこれから卒業をしてわたくしが皇太子妃になった時、公式の場で何度も完璧にエスコートされなければならないでしょう? 殿方に恥をかかせてはいけないもの。だからね、学生時代のエスコートはいわば練習なの。胸はときめくけどね」
「とりあえずいまが素敵なら、結婚後のことはそれから考えたらいいんじゃないんですか?」
「皇太子妃になるということは、浮かれてはいられないことなの。そのための勉強を子供の頃からうんとしたわ。わたしはそれでもお相手に恵まれているからがんばれるの。ヴィンセント様のご期待に添いたいと思えばかんばれるのって、しあわせだわ」
ミサキは唖然とした顔をしてしばらくなにも言わなかった。それはそうだ、ミサキとわたくしとでは覚悟が違うもの。ヴィンセントを落とせばそれで国の中心に背筋を正して立てるわけじゃないもの。
「でもね、エルメラ様? ヴィンセント様はご学習なんてとっくにやめてしまわれましたよ。日の曜日は別として、ほかの曜日はほとんど、放課後ふたりで池のほとりを散歩するんです。ゆっくり、時間をかけて。ヴィンセント様って面白いですよね。王子様なのに、水鳥の種類をよく知っていらっしゃったり、道々草花を摘んで歩いたり。女の子みたい」
ああ、これは嘘じゃない。
少なくともこの子、ヴィンセントとあの池のほとりを歩いたんだ。簡単に目に浮かぶ。ヴィンセントがわたしにしてくれたように水鳥の名前を教えてくれたり、散歩の終わりには草花をくださったり。
そういう大切な思い出の中に、もう踏み込まれてしまったんだということに絶望した。
目の前にヴィンセントを呼んで問い質したかった。「誰が特別なのか」ということを。
「放課後、エルメラ様はいつもお勉強ですってね。『僕より優秀になられたら立場がないな』と仰っておりましたよ」
では失礼、約束がありますので、と彼女はいつもの飛び跳ねるようなステップで消えていった。
大切にするものを間違えてる!?
ヴィンセントのためにほかの子と同じように遊ばずにいたのよ。そう、何年も!
ヴィンセントが微笑んでくれるから、だからわたしは――。
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