第28話 済まない

 部屋に戻って今日、戴いたブローチを見つめる。ロイヤルブルーのそのブローチを記念にもらうことが、毎学期のわたくしの目標だった。


 みんなが違うのは知ってた。

 年頃になると意中の殿方のところに放課後訪れていることも、それを話題にみんなで盛り上がっていることも。

 わたしもヴィンセントのところに毎日、会いに行くべきだったんだわ。いままでは誰もが遠慮してヴィンセントを訪ねなかったんだもの、でもこれからは違うの。

 女はきっと待ってるだけじゃダメなんだわ。


 今日はもう遅い。それにミサキが先に行っているに違いないもの。

 明日、なにもせずにヴィンセントを訪ねましょう。そうだわ、それこそクッキーでも作って。


「エルメラ様!」

 レオンは学生寮にあるヴィンセントの部屋を守護していた。彼はわたくしを見て大きく驚いた。

「たまにはいつもと違うことをしてみてもいいんじゃないかと思ったの」

 カゴの中には小瓶に入れたクッキーと、摘んできた草花が入っていた。


「あの、申し訳ないのですが殿下は来客中なのです。いまお会いすることはできません」

「その方はわたくしより重要な方? わたくしはわたくしたちの未来を思って今日、ここに来てみたのだけれど。わたくしもヴィンセントも本来はなにも変わっていないはずよ。話せばまた少しずつわかりあえるはず……」


 レオンはわたくしを隠すように立つと、小声で囁いた。

「ああ、エルメラ様。一足遅かったのです。もう少し早くおいでになってくだされば。私にはそれほど大きな権限はないのです」

「レオン、お願いよ。わたくしも考えたの。わたくし、浮かれすぎていたわ。皇太子妃になったあとのことばかり考えていて、いまのヴィンセントとの関係を疎かにしていたのだわ。……それでもふたりの未来は繋がっていると自惚れて」


 レオンはため息をついた。

 こんなことを彼に切々と訴えてもなんにもならないのはわかっていた。それは単に自分自身への戒めの言葉だった。

「……やってみましょう」


 レオンは不意に扉に近づくと、わたくしから受け取ったバスケットを持って扉を開けた。そうして「失礼いたします。こちらの品をレディがお持ちになっていらっしゃるのですが、先客があると断ってしまって構わないでしょうか? ――いつもならそうするところですが、ご相手がご相手ですからご相談に上がりました」


 部屋の中はわたくしからは死角となってまるで見えなかった。

 とにかくレオンが入ったことで、中で起こっていたすべてが音をなくして止まったということ、それだけがわかった。もう談笑も聞こえない。

「彼女たちを会わせないように上手くやれるかな?」

「かしこまりました。善処いたします」

 ミサキはヴィンセントの部屋の応接間でお喋りを楽しんでいたようだった。わたくしは隣の空き部屋で待たされ、そして部屋に通された。


「ヴィンセント様!」

 わたくしは少し大袈裟に彼の名を呼んだ。彼は「やあ」と弱々しく言った。

「わたくし、先日の日の曜日にお会いできなかったものですから、自分から会いに来てしまったんです。……女から会いに来るなんて卑しいことだとこれまで思っていたのですが、それを上回ってどうしてもあなたにお会いしたくて」

 わたくしたちはテーブルを挟んで座った。男女間の正しい距離感、そう、なんの関係もない方なら。


「ごめんよ、昨日は用事があってね」

 ぐっと言いたい気持ちを我慢する。その用事というのはわたくしに会うことより大切なんでしょう、きっと。わたくしは色褪せたのでしょう。

「今日はお渡ししたいものを持ってきただけなの。また伺ったらご迷惑かしら?」

「さあ、それはどうかな。僕も少し勉強をがんばらなければきみに追いつけそうにないし。いまの学力では王陛下は僕を皇太子にはさせないと思うよ」

「まあ、そんなことは」

「エルメラ様、お帰りの時間です。ご夕食の時間に遅れます。お送りいたしましょう」


 なにごとかと思うように、レオンから声がかかる。ヴィンセントは「頼む」と一言いった。わたくしには腑に落ちなかったけれど、確かに時間は遅かったので送ってもらうことにした。

「では、ご機嫌よう」

「ご機嫌よう、エルメラ。……本当に済まない」

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