第29話  本当にすきなひと

 腑に落ちなかった。


 どうしてミサキは良くて、わたしはダメなのかしら? ミサキに気持ちのすべて持っていかれてしまったから? ううん、ヴィンセントはわたくしの申し出を断れるような方ではないはずだもの、なにかおかしい。


 一番奥にあったヴィンセントの部屋からレオンと歩く。

「エルメラ様、ご他言は控えていただきたいのですが。……と言ってもすぐに噂は広がるでしょう。あなたが知らないのが嘘のようだ」

「なんのこと?」

 思い当たる節はまったくなかった。

 わたくしと一緒の時間がなくても、遠目に見るヴィンセントはいつも通りやさしく微笑んでいた。

「……ヴィンセント様が首席を落とされました」

「え!? 家庭教師たちはなにをしていたの?」

「……なにも。ヴィンセント様は放課後だけではなく土の曜日にさえ、あの娘が来ればご学習をなさらなくなってしまったのです」

 それはわたくしには大きな衝撃だった。

 わたくしとヴィンセントはふたりの見えない繋がりで、皇太子、皇太子妃となるべく努力をしてきたつもりだった。それがこうも簡単に……。


 あれだ!

 あのエンディング!

『ヴィンセントと結ばれるけれど、ヴィンセントは皇太子にならず領地をもらってふたりで新しい生活をする』

 ……まさか、そんな。

 ここまで厳しい学習をがんばってきたことがすべてダメになってしまう! エルメラがかわいそうじゃない! ミサキのせいで!


 そうなんだ。

 わたくしは生前、このエンディングは微笑ましくていいものだと思っていた。ふたりで一から新しい生活をする。

 将来、王妃にはなれないけれどそんなもの重荷でしかないし。

 でもそれだけじゃないんだ。裏側から見るとわかる。ヴィンセントは苦しんでいる。彼にとっては失墜なのだから。


「最優秀賞はギュスターヴ様が。隠していてもわかることでしょうから」

 レオンは苦々しげに言った。もしかするとギュスターヴはものすごく勉強したのかもしれない。なにしろ次期宰相候補。彼はそういうところは実に現実的リアリストだ。必要なものをきちんと見据えている。

 まさかヴィンセントを抜いてしまうという失態を犯すとは思わずに。


「そうだったの……。では尚更、わたくしの顔は見たくなかったわね」

「レディ」

 レオンはわたくしの一言に驚いて、二の句が継げないようだった。

「レディ、仲直りを早くなさるように勧めたのは私です。浅慮でした。エルメラ様のお顔を見て、ヴィンセント様もご自分の立場を思い出されたのではないでしょうか?」

「本当にそう思う?」

「……はい」


「彼が……『もしも』の話だけど、皇太子を辞めるということはないかしら? 元々、気の優しい方だし、王になることに抵抗があるのかも。近くにいられればご相談に乗れるのに。いまのわたくしじゃ無理ね。もう、半分フラれているもの」

 ふたりの足音がしばらく続いた。

 学生寮はそれなりに賑わっていたけれど、わたしたちの間に横たわる沈黙を消してしまうほどではなかった。


 と、不意にレオンの足が止まった。

「どうしてあなたは私の心を揺さぶるのです? 殿下との仲直りは確かに勧めました。けれど、あなたには皇太子妃になる以外の未来は見えないんですか? ――私は、ヴィンセント様が廃太子となったらその時こそあなたを。あなたがたくさんの男を魅了しているのを知っているのです。たかが田舎の騎士風情にあなたを娶ることなどできないと思っていらっしゃいますか?」


 彼の指はわたくしの手首を強くつかんでいた。彼にこんなに激しい一面があることに驚く――ううん、知っている。レオンは情熱的にわたくしを追い詰めてくる。

「お願い、わたくしひとりの問題じゃないことはわかっているでしょう?」

「……。あなたを馬に乗せて国に共に帰りたい。雪が降り始めた頃でしょう。うっすらと白く色づく山々が美しい頃です」

「レオン……わたくし、なんと言ったら」

「レディ、なにも仰らないでください。夢ばかりが大きくなってしまう――」


 その後は本当に静けさの底にわたしたちは沈んだ。だってどうしたらいい?

 たくさんの殿方に思えば求婚されたわ。

 未来を共に生きる方をどう選んだらいいの?

 わたくしがヴィンセントを想う気持ちは確かにレオンの言う通り、国のためなのかもしれない。


 考えなくちゃ。

 わたくしがすきなのはどなたなの!?

 どうして自分で自分がわからなくなってしまったんだろう……。

 みんな、魅力的だからだ。

 わたくしは本当に、それに見合うだけの女なのか、どんなに考えても答えは出なかった。

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