第25話 美しい人
土の曜日はひとしきり勉強をすることでやり過ごした。
夕方になるとミカと庭をなんとなく散策した。庭師のミカの話は聞いたことのない話ばかりでわたくしを楽しませた。
美しい薔薇がどうして美しく咲くことができるのか、そんな疑問をこれまで持ったことはなかった。なぜなら薔薇はいつでも『飾るもの』だから。
「そんなわけで薔薇はなかなか意固地な手のかかるやつなんですわ。それでも手をかけてやればやるだけ美しい蕾をつける。世話をしてやるのも楽しみのひとつなのですよ」
開き始めのピンク色の薔薇をミカは髪に刺してくれる。
「似合うかしら」と聞くと「それはもう。お嬢様のための薔薇ですから」とうれしそうに答えた。
夜が来て、朝が来る。
今日は誰ともお会いしたくないの、と言うとアイリーンは「かしこまりました」と意を汲んでくれた。
部屋から出ずに、窓辺にも立たない。
馬の嘶きが聞こえればその度に胸は踊り、そして凍った。待ち人は訪れない。
「お嬢様! 大変でございます。ただいまありったけのおもてなしをと命を受けまして」
アイリーンはバタバタとわたくしのクローゼットからいろいろなものを取り出していく。それらはベッドの上に並べられて組み合わせを考えられる。
「どの色がお好みでしょう? お嬢様はご存知じゃありませんこと?」
「わたくしにはさっぱり、さっきからなにが起こっているのかわからないのよ。どなたかがいらっしゃったことは確かなのでしょうけど、それはヴィンセント様ではないのでしょう?」
「お嬢様……」
ひしっとアイリーンは彼女の胸にわたくしを押し抱いた。
「大変でございます。リアム殿下が」
「リアム様が? まさか?」
「どちらでお知り合いになったのですか? リアム様と言えばお身体の具合から皇太子ではありませんけれども、それでも第一王子に変わりはありませんわ。どういたします? ご無礼はいたしかねます」
リアムのことを思い浮かべる。いつも白と黒のスケッチばかり描かれているあの方に、なにをお見せしたらいいのかしら。
わたくしの方が伺いたいことだわ。
「それではお嬢様、いつまでもお待たせすることはできませんのでアイリーンにお任せ下さい」
きゃっと思うほどの速さでアイリーンはコーディネートを決めてしまうと、わたくしの髪を今日は特別に先だけ緩く巻き、髪の間に真珠の飾りを散らした。
そう、ドレスも靴も、すべて真珠色だった。
「やあ。いつも通りの格好で良かったのに」
「リアム様がそう仰っても、家の者はそう思いませんわ」
ソファに座った姿勢でふわっとリアムはリラックスした表情を見せた。
「きみは美しいひとだ。僕の筆に余るくらいね。すまないことをしたね。僕は女性を訪ねたことがないので、作法を間違えたのだろうか? なにやら屋敷中がざわざわしている」
「それはリアム様のように高貴な方が突然見えたからですわ。屋敷中を上げておもてなしさせていただきます」
「そんな大袈裟なことはやめておくれとエルメラ、きみから言ってくれないか?」
「わたくしでもいまからではもう止められませんわ」
リアム様とふたりきりの時間は食事が終わるとすぐ、まるで誂えたかのようにやって来た。
黙っていても微笑みが絶えないところはヴィンセントによく似ている。結局のところ、ふたりは義兄弟なのだから。
「きみが悲しんでいると、温室の花たちが教えてくれてね」
「まさか。リアム様とはいえ、それはありませんでしょう?」
「本当さ。その証拠にきみは温室に現れなくなった。前に会ったのは幾日前のことだろう?」
「大袈裟ですわ」
バルコニーに二脚の椅子を用意したのは、リアム様の足を思ってのことだ。アイリーンが音も立てずにやって来て「失礼します」とリアム様にひざ掛けをかけた。
「僕はきみの絵を描きたいとお願いしたのを忘れたのかい? 頭の中で何度もきみの絵を考えたんだ。きみにどんな装飾を与えたら良いのか……。そんなことは考えすぎだったようだね。無垢な真珠がとても似合うよ、レディ」
わたくしはリアムの言葉は砂糖菓子でできているのではないかと疑った。なんて甘い言葉だろう。
すっかり熱を帯びてしまった頬を夜風が冷やしてくれるといいのだけど。
「僕はいわば王室の幽霊だ。きみになにも望んでいないよ。絵さえ描かせてもらえれば本望。だから、僕の前でそんなに緊張せず、いつものように穏やかな微笑みを見せておくれ」
月が雲に隠された。
わたくしのすっかり言葉に酔ってしまった顔を王子に見られたのかどうか、わたくしには判断がつかなかった。
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