第15話 主君の命があれば
次々と学園の車止めに馬車がやって来る。
愛おしいひとの馬車もたぶん、その中にあるはず。無意識に視線をさまよわせてしまう。
「ヴィンセント様、おはようございます」
聞き覚えのある声が元気よく挨拶する。ミサキだ。ゲームの中のミサキにはなにもない。あるのはコリンの魔法だけ。あとは持ち前の明るさと無邪気さで男性の心を射止めるしかない。
「昨日は我が家にお越しいただきありがとうございました」
「いや、いいんだ。レディが困っている時に助けるのが騎士道だよ」
嫌でも目が行ってしまう。わたくしの馬車はなかなか車止めにとまることができず、ふたりの会話を見ていることしかできない。
――昨日のことは本当だったのかしら?
夢だったのかもしれない。だってふたりはあんなに親しげだ。
その時、ひとりの男が徒歩で馬車までやってきた。マントで身を目立たぬよう隠しているようだったけど、逆にそのマント姿が様になりすぎていて妙に目立っていた。
「失礼。エルメラ様、王子からの伝言です。授業が終わったあと、温室であなたを待つと」
マントのフードからその顔がちらりとのぞく。
間違いない。エメラルドの瞳、少し色味の濃いハニーブロンド。彼は。
「レオン」
呼びとめた人物は行こうとしていたところをターンして戻ってきた。
「なぜ私の名前を?」
「なんとなく。どこかで聞いたような気がしただけ。王子に了解の意を伝えてちょうだい」
再び彼は戻って行った。
思い出した!
あの男はロイヤルガードのレオン。皇太子であるヴィンセントの側近だ。ちなみに年上の二十二歳。
すらりとして見える身体には訓練で身に付けた逞しい筋肉がついている。
剣術、そして馬術。弓に至るまで他の者の追随を許さないと聞く。
彼は隠し攻略キャラだ。
ヴィンセントとの仲が一定値以上になると現れる。でもわたくしはミサキじゃないから、同じ法則が当てはまるかわからない。昨日の昼間のミサキへの訪問で、レオンはミサキに会ったのか?
もし会ったんだとすると、わたくしの恋は絶望的だ。ヴィンセントとミサキとの仲はそれほどまでに親密だということだ……。
と、後ろの方で大きな音がしてわたくしの馬車が揺れた。どこかの馬車が順番を無視して車止めに着こうとしたらしい。
衝撃は二度、三度と続いた。
仕方が無いので御者に場所を譲るように告げたのだけど。御者は引こうとしない。
あろうことか誰にでも聞こえる大きな声を上げた。
「この馬車の主人をどなただとお思いか? 恐れ多くも皇太子妃とおなりになる予定のエルメラ様であらせられる。それを聞いても我らが馬車の場所を無理に割り込んで先んじようとするのか? もしそうなら名乗りを上げよ」
……前代未聞のことだった。
身分を盾に取り馬車止めの位置をとろうだなんて聞いたことがなかった。非常識甚だしい。さあっと顔が青ざめていく。指先は冷たくなって震えた。
みんなの視線はわたくしの馬車の真後ろにあったミサキの馬車へと注がれた。それでもわたくしは恥ずかしさで泣いてしまいそうだった。
――ヴィンセントの馬車が平行線上に見えるのに。なんて無様。
うつむいてスカートをぎゅっと両手でつかんでいると、先程の男、レオンがやってきた。
「王子がこちらの馬車に移るようにと」
くすぐったい低音でわたくしに小声でそう告げた。
馬車を降りたわたくしに注目しない者はいなかった。ここで馬車を降りるなんて考えられないことだ。しかも、見た目はほっそりとした背の高い男にエスコートされて。
「ありがとう。こんな役目を買ってくれて」
「王子の命とあればどんなことでも請け負います。そうして俸禄をいただいておりますから」
エメラルドの瞳はうつむきがちだった。通り道が馬車で狭まっていたからかもしれないし、わたくしを気づかい、怪我をさせまいとしたのかもしれない。
どちらにしてもレオンのエスコートは完璧で、わたくしは無事に王家の馬車に乗り込んだ。
「大変だったね。ここだけは身分の差はなく無法地帯となっているから」
「ええ……怖い思いをしました」
ヴィンセントはそれ以上、余計なことは口にせず、やがて順番が来て学園に降り立つことができた。
馬車から降りる時のエスコートもレオンが請け負ってくれた。
「あなたがいてくれて本当に助かったわ。心から感謝します」
「命に従っただけです。さあ、姫君、ここにいる者みなの視線を集めております。どうぞ胸を張って、次期皇太子妃としての威厳をお見せ下さい」
彼は今度はわたしを真っ直ぐに見ていた。
わたしはうなずいた。
レオンの明るい髪色が光に透けてまぶしかった。
一歩、二歩、……。これはあなたのエスコートがあるから歩けるの。
そうしてわたくしは当たり前のことのようにヴィンセントに引き渡される。
最上級の笑顔を作って、礼をする。
あちこちの馬車から、ため息が溢れ出す。
レオン=バーハイム。
わたくしの心をいつでも引っ掻くどうしようもない方。そっと振り返ると、彼はわたしに一礼をした。
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