第14話 月下の邂逅

 コツン。

 窓ガラスになにかが当たる。

 大粒の雨かしら?

 明日の朝には馬車で学園に帰らなくてはならないのに悪天候は憂鬱になる。泥だらけの馬車から降りるのは至難の業だ。


 コツン。

 聞き間違いじゃない。やっぱり音がする。このあとザーッと降るのかしら?

 真っ暗な部屋の中、そろそろと音のした窓に近づく。雨は降っていない。


 ただ。

 ただ、二頭の馬が。

 馬上にいたひとりは、見間違うことなくヴィンセント、そのひとだった。

「エルメラ」

「こんな時間に外出なさるなんて、危ないですわ。大切な身の上であるんですから」

「来なくていいと言ったのに護衛がついてきたんだよ」

 馬上の人物は軽く会釈をした。

「お待ちになって」

 ショールを肩にかけて、足音をなるべく立てないように階段を裸足で駆け下りる。

 心臓の鼓動ばかりが逸る。

 早く、一瞬でも早く。


 もしも家族にバレてしまっても、諭されるだけで済むだろうけど。なにしろ相手が相手なんだから。でも、最新の注意を払って中央の扉は避ける。

「ヴィンセント様!」

 彼は馬からさっと下りると、わたくしの元に走り寄った。

「エルメラ!」

 ふわっと身体が宙に浮く。


 ――嘘みたい。ヴィンセントの腕の中に飛び込んで、それを受け止められた。


 ヴィンセントの腕に力がこもるのを感じる。

 いまさら自分のことを思い出して恥ずかしくなる。

「あの、申し訳ありません。こんなはしたない格好で」

 ショールを胸の前でぎゅっと引き寄せる。裸足の足元に気づかれなければいいんだけど。

「いいんだ。いつもの着飾ったきみは確かに宝石のようだけど、いまのこの夜姿は僕だけのものだ」

 ブルルル……と馬の嘶きが聞こえて、護衛の者が馬の向きを後ろに変える。


「でも、どうしてこんな時間に?」

 ゲーム上、こんな仕様はないはずだ。日の曜日に就寝すると、月の曜日の学園の朝から始まる。

 こんな月下のロマンティックなイベントはトゥルーエンドルートでも見たことがない。そして、こんなに大胆なヴィンセントも。

「ミサキに、どうしてもの用事があると呼び出されたんだ。正直、彼女の家で過ごすお茶の時間は楽しかったよ。そう、確かに楽しくて……。でも僕はきみのことが頭から離れなかったんだ。今日はどうしてもきみに会おうと心に決めていたから。――ほかの誰かが今日は来たね?」

「はい。あの……エドワード様とギュスターヴ様が」


 言い淀むわたしの腕を彼はつかんで離さない。

「強引な男は嫌い?」

 再びその胸の中に引き寄せられる。男の人の香り……。夜着の素肌を暖める。

「いいえ。うれしゅうございます。でも、ご無理はなさらないで」

「きみがほかの男に心移りしなければ二度と無茶をしないと約束するよ」

 その時、家の中からふっと明かりがついた。

 護衛の者が「時間です」と囁く。瞬間、その男はわたしを振り向いた。


 彼の瞳はエメラルドのように煌めいて、わたしの心を突き刺した。

「罪作りなお方ですね」

 しなやかな身のこなしで、わたくしの隣を通る時にそっと囁いた。低く、甘い声で――。

「では」

 二頭の馬はひづめの音を響かせて林の中を走り去っていった。


 わたくしの家の方からはランプを揺らした誰かが走り寄ってきた。

「お嬢様! ご無事ですか!?」

「ミカ、あなたなの。良かったわ、あなたで」

 ミカは釈然としないようだったが、二頭の馬について追求することはなかった。

 庭師である彼にとって大切なのは主人の安否で、それさえわかればいいのだろうと思った。だから彼がぽつりと言葉を落としたのには驚いた。

「……二頭の馬が見えました。ヴィンセント様ですか?」

「どうしてヴィンセント様だと?」

「簡単です。昼間にお見えにならなかったからです」

 そのあとは無言だった。足に触れる芝の音が風に流れた。

 わたしはミカに裸足であることがバレないように気をつかうことで精一杯だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る