第56話 退場するだけ
「どうして――」
「わたくしだって以前はミサキだったわ。そう、斉藤みさき。あなたは?」
「······遠藤美咲」
「やっぱり、あなたはわたくしではなかったのね。この世界での振る舞いやゲームの進行の仕方を見ていて、もしかしたらって思ってたの。いまとなっては関係ないことかもしれないけど······。
わたくしは生前、このゲームをとことん遊んだわ。どの方とのエンディングをどうやったら迎えられるのか、あのイベントを起こすフラグはどうしたらいいのか、そうね、研究してたのよ。恥ずかしい。そのわたくしがエルメラになってここに転生して、初めてここの人たちにも人生や感情があることを知ったわ。
――でもね、その前からわたくし、プレイヤーだった頃から、彼らを『落とせればいい』とは思わなかった。だって本当に愛していたの、みんなを、ヴィンセントを······。
あなたがこのゲームを終えたらこの世界がどう続いていくのかはわからない。でもあなたが来る前からあったんだから、平行世界のひとつとして残るのだと思うの。
あなた······心の欠片だけでもヴィンセントに残してあげて? そうしたらここのあなたはいなくならないかもしれないから。じゃないと彼、ひとりになってしまうわ」
「······エルメラ様はヴィンセント様と」
「あなたと結婚したヴィンセント様の、あなたを失った隙間にすっと入れと? わたくし、そこまで意地汚くはなくてよ」
ミサキはわたくしの座っていたベンチに腰を下ろした。顔は項垂れたままだった。
「ただのゲームでしょう? そう言ってください······。わたし、ヴィンセント様を惑わせて道を外れさせてしまったかもしれないってこと? ただ、タイトル画面を見て、この王子がいちばん好みだって思っただけなのに、傷つけちゃった? 私はその後のことなんか知らないまま、元の世界に帰るのに――」
「ただのゲームよ。これはただのゲーム。あなたにはなんの罰則もないわ。戻ったらきっとこういう交流も忘れてしまうと思うの。次にNew gameを選んでエルメラが出てきてもきっとなんとも思わないと思うわ。そうねぇ、鼻につく女、くらいじゃない」
ミサキは肩を震わせて笑った。
「ねぇ、たかがゲームだけどヴィンセント様のこと、愛してる?」
ミサキはぎょっとした顔をした。そして、やはり目を逸らして俯いた。
「ごめんなさい、そこまでゲームに入り込んでるわけじゃなくて······」
わたしは彼女の前に回ってしゃがんでその小さな手を取った。
「それが普通よ。わたしみたいにハマりすぎてゲームの中に転生するのがおかしいのよ」
「そんなに?」
「そんなに」
ふたりで笑った。女の子らしく、くすくす、くすくす。そうしてたぶん、わたしたちの心も落ち着いてきた。
「本当にいいんですか?」
「どうなるかわからないけど、でも、わたくし、待っている方がいるの。秘密よ。どうぞベストエンディングを目指してこのゲームを好きになってちょうだい」
「泣くくせに」
「ええ、きっと泣くわね」
向こう側から歩いてきたのはヴィンセントだった。まさか自分の話でわたくしたちが盛り上がっているとは思わないだろう。
「やあ、ずいぶん楽しそうだね」
「ええ、卒業したらなにをしたいか話し合っていたの」
「············」
ヴィンセントは苦い顔をして黙り込んでしまった。わたくしは話を楽しい方に逸らすことにした。
「夏のはじめでしょう? サマーハウスで避暑もいいわよね。うちのサマーハウスは高原の湖のほとりにあるの。ミサキもぜひ来たらいいわ。ヴィンセント様はいらしたことがおありよね?」
「ああ。静かで空気のいいところだよね。こことはまた違った草花が······」
「そう、草花がキレイなの。一緒に摘んで持って帰ったのよ」
「そんなこともあったね。エルメラ、きみはあの頃からちっとも変わらない。輝くような美しさだ」
「そんな取ってつけたように褒めたってなにも出ませんよ」
ふたりは共に去っていった。
わたくしも詩集を持って立ち上がる。この詩集はヴィンセントからの贈り物だ。もっとも彼はすっかり忘れてしまったようだったけれど。
――美しい人として、彼の記憶の中にわたくしは留まるのかしら?
もしもミサキがいなくなったら。その時はもうわたくしはたぶん。
隣に立っていつでも支えて差し上げたかったけれど、ほかの方に心を移されたのではもうしてあげられることはなにもない。
ただ静かに退場するだけ。
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