第55話 ゲームのエンディング

 心の中を占めるのはあの人だけだった。

 わたくしをきっと自由にしてくれる。

 いままでの窮屈だった毎日から解き放って、わたくしからコルセットもハイヒールも取り上げてしまうかもしれない。

 村娘のような格好をして、毎日身分の差を気にせず笑って楽しく生きるの! 彼ならその夢を叶えてくれるかもしれない。


 想いばかりが募っていく······。

 降り積もるはなびらのように、心の中に小さな温かいものが。


「お嬢様の願いが叶って、恋する方のところにお嫁入りできるといいですね······」

 アイリーンのやさしい言葉に自然に笑顔になる。

 そんな夢が叶うことがあるのかしら?

 彼は一体どうやってわたくしを盗むつもりなのかしら? 不安に思う。でも信じてる。

 わたくし、きっとあの方の······。




 感謝祭の休暇は終わり、みんな、学園に戻ってきた。

 わたくしはリアムのところに通うようになって、肖像画を描いていただいた。彼の描くわたくしは微笑みをたたえ、しあわせそうな瞳をしていた。未来の自分のしあわせを見通しているような、そんな。


「わたくし、こんなにしあわせそうな顔はしてないと思いますが」

「そうかな、きみの心の中にはなにかしあわせが芽吹いているのを僕にはわかるよ。しあわせにおなり、エルメラ。それは決して悪いことではないんだ」


 完成した絵をもらう時、彼はそう言った。そうしてその後二度と温室には現れなかった。

 リアムのいない温室は主人のいない館のようで、がらんとして、花たちのお喋りは二度と聞けないように思えた。

 彼は二度と個人的にわたくしに会う気はないんだ······絵を見る度にそう思った。


 それからわたくしたちは最終試験に向けてそれぞれ、勉強を続けた。

 わたくしだって蹴落とされることもあると思うと俄然、やる気が出る。

 例えばゲームの中なら、最終試験だけミサキに持っていかれることも有り得る。油断は禁物。

 遊ぶ時間を惜しんで、勉強に励んだ。


 レオンにはほとんど会わなかった。

 ヴィンセントがわたくしを避けているとすると、レオンとすれ違うことさえ稀だった。それでも目と目で通じ合うものは確かにあって、お互いの気持ちを信じていた。


 ――彼に似合う女になりたい、という新しい願いができた。どうしたら彼に相応しくなれるかしら?


 ヴィンセントの時にはただただ皇太子妃として相応しいわたくし、を思い描いてばかりで、ヴィンセント個人を想って彼に相応しくなりたいと強く願ったことはなかったかもしれない。

 でも、今さらだけど、彼を好きだった気持ちに嘘はない。幼い恋だったとしても。

 あの花冠が、いつか宝石のついたティアラに変わる時をわたくしは夢見て待っていた。

 彼のものになるわたくしを。


 暖かい季節になった。

 緑は萌え、試験のシーズンが近づいているのを感じさせた。

「エルメラ様、余裕ですわね」

 目を上げるとミサキが口角を上げて微笑んでいた。余程自分に自信があるんだろう。わたくしはもう降りたのよ、とは口に出して言わない。決定権はあくまで王陛下にある。


「詩集を読んでいたの。こうして勉強の合間、少し外の空気を吸うことにしているの。そうすることで頭の中が清明になるのよ」


 彼女はわたくしの余裕ある態度が気に入らない様子だった。ここまで追い込んだのに、必死にヴィンセントに泣きつかないわたくしを不思議に思っているように見えた。


「エルメラ様、わたしね、今度の試験が良ければギュスターヴ様のお父様、バロワ公の後ろ盾がいただけるんです。これで貴族に生まれなかったことに負い目を感じずに済むんです!」

「まぁ、そんなことを気にしていたの? それなら良かったじゃない。お勉強がんばって」


 彼女はなにも言わなかったのでわたくしは詩集に目を戻した。美しい言葉の連なりに心が洗われる。言葉は音楽のように綴られ、そして記憶の中に溶けていく。


「どうしてそんなに余裕なの!? 頭に来ないの!? ヴィンセント様だって、あなたとはもうほとんど話もしないじゃない。試験だってバロワ公のつけてくださった家庭教師のお陰でわたしの成績もめきめき上がってるって知ってるでしょう? ここまで来たらこのゲームのエンディングがどうなるか、あなたなら知ってるんでしょう?」


 ぱたん、と本を閉じて彼女を見上げた。そして、大きな声で騒ぐのはみっともないことよ、と諭した。


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