第21話 あなただけを

「やあ、週末はずいぶん楽しかったようだね」

 温室に行くとリアムがまた花を描いていた。まだ下描きが終わらないようで絵の具は出ていない。

 その絵は、わたくしから見えるようでよく見えない位置にあった。

「本当のことを言うと、疲れてしまって。いつも『つまらない』と思っていた土の曜日がどんなに静けさと休息をわたくしに与えてくださっていたのか、よくわかりましたわ」

 ふふっ、と彼は鉛筆を持った手を口に添えて笑った。

「まだまだ騒ぎ足りない年頃なんだろうね、きみたちは。僕にはなかったことだからうらやましく思うけど」


 あ、と思ったことが顔に出てしまう。

 リアム様は足が不自由でいらっしゃるからダンスはなさらないのかもしれない。

「そんな顔をしないで。ダンスはスローテンポのものなら踊れるんだ。ただ……父上が許してくださらなかったからね」

「どうして?」

「さて。これはまだきみには難しい話だろう。しかしきみがヴィンセントと婚儀を済ませたら、この話もきみの耳に入るかもしれない」

 王殿下はヴィンセントが今回のパーティーに参加することに対して少しの反対もなかったと聞いている。それがリアムだと話が違ってしまうんだろうか?


 チリンチリン、とかわいらしい予鈴の音が聞こえる。ゆっくりテーブルに手をついて立ち上がると王子はこう告げた。

「いつかきみの絵を描かせてくれないかな? 少しの時間で構わない。それから、そのほかの時間はなるべくヴィンセントのために有意義に使うべきだと僕は思うよ。きみは少し無防備のようだ」

 ぺこり、とお辞儀をして温室を出た。


 あの、にぎやかで華々しく騒々しかったパーティーの後は、静かな温室に足が向いてしまったのは自然なことのように思えた。

 わたくしは少しひとりの時間が欲しいような気がした。ひとりでこの絡まった想いを解く時間――それこそがいまのわたくしには必要な気がした。




 しかしそんなことは気にもとめず、ヴィンセントは寮に直接会いにやってきた。都合の良いことに護衛もつけず、ひとりで。

「今日は一段と物静かだね、僕のエルメラ」

 彼の手にはクリーム色からピンクへと中心から花びらの縁へと色を変える珍しい薔薇の花が握られていた。それは立派なピンクのサテンのリボンで結えられ、わたしの目の前に現れた。


「僕はどうもいままで、こういうことに無頓着だったようだ。きみを何度も失望させてしまったんじゃないかな?  いつまでも子供気分だったようだ」

 それがこのゴージャスな花束のことを言っているなら、そんなことはちっともなかった。

 いまにもしおれてしまいそうなか弱い草原の草花を美しいと感じる心、それがわたしのヴィンセントだ。

「そんなことありませんわ。薔薇だけが花ではありませんもの」とやっとの思いで口にした。

「そうだね、薔薇や百合や芍薬。アマリリスやフリージア。香り高く凛として美しい花はこの世に五万とあるね」

 目を見て、口元を笑みの形にする。ヴィンセントはロマンティックな碧い瞳でわたくしを見た。


「そう言えばあのパーティーのきみは素晴らしいホストだったけれど、あの事故は残念だったね。あれはリードする側の責任だよ。あの白いマントの男が言った通りにね」

 驚いた。

 ヴィンセントはあれがレオンだったことに気づいていないようだった。いくら仮装パーティーとはいえ、自分の家臣に気がつかないなんて。

 ……それほどミサキとのダンスに夢中になっていらしたということ?


「あの方のドレス、髪の色に映えて美しかったですね」

「壁際の花でいたので僕から誘ったんだが、なかなかの踊り手だったね。驚いたよ」

 そうですね、と一言答えた。


 わたくしはレオンやリアム様と自由に会っておきながら、その間、ヴィンセントがどうしているのかなんて考えてもみなかった。

 どこからわたしたちふたりの心はすれ違ってしまったんだろう――? ヴィンセントは変わり始めてしまったんだろう?


「次の日の曜日には必ずきみの元に行くよ。できればふたりきりで、エルメラ」


 お待ちしております、と言うと彼はわたくしの手を握ってきた。

 ロイヤルガードの一員としての少しの訓練を積んでいるはずの彼の手は、レオンの手とは異なりやわらかで傷ひとつなかった。

 だけどいちばんわたくしを困らせたのは、こんな時に殿方を比べてしまう自分自身だった。

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