第18話 心が痛む

 それは静かなお茶会だった。

 リアムはサラサラと鉛筆をイーゼルに走らせ、わたくしはそれをなんとはなしに眺めていた。そう、彼の絵の向こう側を。

 色とりどりの花が咲き誇る中、リアムのイーゼルには薄い鉛筆の白黒の世界だけが描かれていく。

 それは不思議な光景だった。


「エルメラ様!」

 華奢な温室の扉を思い切り開けた人物は予想に反してレオンだった。


 おおー! 二大隠しキャラ。

 でもレオンはヴィンセントお抱えでこんなところにこの時間、来ることはないし、リアムと会う場面もない。

 だけどそれは画面から見えた世界だけのことで、この世界はひとつの独立した世界として成り立っていることを最近、実感している。

 わたしの知らないところで、知らないことがたくさん起こっている。


「エルメラ様、こちらにいらしたんですか?」

「まあレオン、たまにはきみも紅茶をどうだい? 僕に勧められたら飲まないわけにはいかないだろう?」

 レオンは渋々、納得のいかない顔で席に着いた。

 彼はとても焦っているようで……それはそうか、ヴィンセントに言われてここに来たのだろうから、本来なら報告だけでも早くしなければいけないんだろう。


「レオンの母上、バーハイム公爵夫人もここがすきでね。子供の頃はよく、ここで遊んだね? 覚えているかい?」

「ええ」

 言葉少なにレオンは答えた。

 それに対してリアムは特に気にするところもないようで、かえって先程までより清々しい顔をしてカップに口をつけた。

「トゥルーズ公のことはあまりよく存じないが、こんなに美しい姫がいたなら早速お妃候補に名乗りを上げたことに合点がいくよ。レオンもそう思うだろう? きみは花のように綺麗だ」

 同意を求められたレオンはカップを置いてわたくしの目の底をじっとのぞき込んだ。いけない、そんなに見られたらそのエメラルドの瞳に吸い込まれてしまう――。


「リアム様、ヴィンセント様はエルメラ様をとても大切にお想いです。お戯れはほどほどに」

「女性の話でレオンに叱られるとはね。まあいい。いまは訳あってヴィンセントはエルメラを探しているのだね? エルメラはヴィンセントの元に戻されることに問題はないのかい?」

「リアム様!」

 身を乗り出したレオンをわたくしは手で制した。勘違いで仲違いする必要はないのだもの。


 それに、いくら『隠しキャラ』のリアムが出てきても、いまのわたしはヴィンセントのものだということに揺るぎはないのだわ。

「誤解させてしまって、どちらにも申し訳ないわ。リアム様、お茶をありがとうございました。レオン、探しに来てくれてありがとう。これを飲んでしまったらヴィンセントのところへ参りましょう」


 こういう時に『エルメラ補正』は助かる。ライバル役だった時には憎い相手だったけれど、彼女の人心掌握術は完璧なものだ。

 どちらにしてもリアム様にとっては『取るに足らないこと』だったようで、にこりと微笑まれた。

 そして温室を出る時、「約束は約束だからね」と意味深なことを仰って微笑まれた。


 レオンは激していた。

 それほどとは思わなかったけれど、心の内では怒りの炎がほとばしっていたようだ。温室を出るなり怖い顔をして、エスコートとはかけ離れた手の握り方でわたくしを温室から遠ざけた。

 そうして学舎の手前まで来ると、わたくしを壁際に寄せ、両の手で彼はわたくしの顔のすぐそばの壁に手をついた。それは決してやさしくなかった。


「姫。あまりふらふらなさらないでください。リアム様にあんなところでふたりきりで会われるなど」

「ごめんなさい、軽率だったわ。ヴィンセント様が心配なさってくれたのに」

「……いいえ。私の心が痛むのです」

 彼の瞳は震えていた。少年のような顔をしてわたくしを見つめるエメラルドの瞳は、今日は激しく燃えているように見えた。

 けれどもそれは一瞬のことで彼は顔をふっと下げると、いつもの彼に戻っていた。


「ヴィンセント様がお探しです。エルメラ様が今度また困られるようなことがあったなら、すぐに私に申し付け下さい。ヴィンセント様にご報告して、決してあなたの非になるようにはいたしませんから」

「あなたにも心配かけてしまったのね。そうね、ひとりで悩むより、今度からそうするわ。その方が周りの方々を困らせることもなくなるでしょうし」

「そうです。あなたは皇太子殿下の庇護の元にあることをお忘れなく」

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