第17話 秘密の花園
教室にはとてもいられなかった。
みんなの目が、好奇心に満ちてわたしに集まっていた。
わたくしは荷物を抱えてそっと取り巻きの目を盗んで学生の列を飛び出した。
そろっと人気のない方向に向かう。図書館に行こうか、それとも。
そうだ、誰もいない温室がいい。ガラス張りの温室に滑り込む。
中に入ると緊張がぐっと緩む。あんなことになってヴィンセントはわたくしをどう思ったかしら? 口汚い女だと思ったのじゃないのかしら?
荷物を足元に置いて座り込むとハンカチで口を覆った。そうしないと嗚咽が漏れてしまいそうだったから。
「レディ、どうしたのかな?」
立ち竦んで泣いているわたしの足元に誰かの足元が見えた。男物の靴に、声の主を見上げる。わたしの知っている誰とも違うひとだ。
「怪しいものではないよ。安心してほしい。僕は学生ではないがここに来ることを許されているんだよ」
美しく白い指先がわたしに伸びてくる。彼はわたくしを立ち上がらせて、そうして近くのブロンズの椅子に座らせた。同じテーブルにある椅子の向かいには、絵を描くためのイーゼルが立たされていた。
「ああ、なにを描こうか迷っていたんだよ」
ふっと彼は寂しげに笑った。
あ、このひと、知ってる! 誰かは思い出せないけど、このひとは六人目の男性だ。
「絵をお描きになるんですね」
「涙は止まった?」
くすりと微笑むその顔はやさしげで、子供っぽい扱いを受けたと思う。
いいえ、彼は年上なんじゃないかしら? なんとなくだけど、ほかの対象者たちよりずっと落ち着いている。
その証拠にあんなに泣いていたわたしをこんなに上手く扱ってしまった。
「僕には絵を描くことくらいしかできないんだ。ほかの者と同じように私は馬術や剣術はできないんだ」
気をつけて見ると、その方の足は思う通りに動くようではなかった。そうするにはかなりの精神力を要するようだった。
「わかってしまったね? そう、足が悪いんだよ」
彼はおどけて両手を広げた。
「だからね、私は幽霊なんだ。いてはいけない、誰にも見えない存在なんだよ」
「そんなことありません。わたしにはあなたがはっきり見えますわ」
「そうかい?」
椅子に座った男性はやわらかい髪をしていた。そう、ヴィンセントとよく似たプラチナブロンドの――。
「リアム王子ではありませんか!?」
そのひとはなにも言わずに真剣な眼差しでわたくしを見た。
「……人違いでしたら申し訳ありません」
ヴィンセントは実は第一王子ではなかった。ヴィンセントには兄がいた。
ヴィンセントの母ロザリア妃殿下は名前のように美しく豪華な方。しかしその前に王殿下には妃殿下がいらっしゃった。
――リリアナ妃殿下。
百合のように気高く、デイジーのように親しみやすくたおやかな
その上、リアムは生まれつき身体が弱く、足も不自由だったため、王殿下によって、正妃となられたロザリア妃殿下の王子ヴィンセントが世継ぎとされたのだ。
「そうだよ。よくわかったね、僕はリアム。父に似ていないだろう?」
ああ、この木漏れ日のように寂しさとは裏腹な暖かさを持った
だから表に出てこなかったのもうなずける。リアムは学生でもないし、隠された王族だから。
すごい。
なにひとつ策を練ったわけでもないのにリアムが登場するなんて!
わたくしの心は驚きとともに隠しきれないほど興奮していた。
その存在自体が謎、というほどでもないけれど、出現条件がすごく厳しいのだ。
緊張で出してもらった紅茶のカップがカタカタ震える。頬が紅潮する。
「どうしてこんなところに来たの? 授業は?」
「あの……」
「話したくなければ話さなくていい。ここは校内であってそうではない。僕の母がそもそも作らせて管理していたところなんだそうだ。僕は一日のほとんどを人前に出ずに過ごすのだけど、ここだけは特別なんだ。だから、ここは僕の場所なのだからきみもすきにしていいよ」
「ありがとうございます。お言葉に感謝します。リアム様、わたくしは……」
「エルメラ。ヴィンセントの婚約者だね。こう見えてもそれくらいの情報は入ってくるんだよ」
なぜか居心地が悪かった。
花はいつも通り咲いていたし、目の前の男性はジェントルだったけれど、なぜ?
リアム様の鼻筋の通った横顔と銀髪。それはとても寂しい表情を作っていた。
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