第12話 自由の民

 土の曜日は地味だ。

 これはゲーム上の仕様だ。

 学園に慣れないミサキが、各教授から講義を受けたり、自学をする。いわゆるパラ(メーター)上げ。

 ごくたまに夜、忍んでやってくる殿方がいらっしゃるけど、ヴィンセントはああ言っていたし、いまのところ、エドワードもギュスターヴもわたくしを想っている。

 わたくし以上に彼女にとってはイライラする曜日だろう。


 羽根ペンを置く。

 エルメラになってわかったのだけど、なんで彼女がいつも成績優秀なのか……。

 エルメラは一度習ったことはその場で身についてしまうのだ。『悪役令嬢特性』と言えるかしら?

 だから土の曜日のエルメラはつまらない。

 異国の本を読んだり、趣味のレース編みをする。


 窓の外でチッ、チッと小鳥の鳴き声がして、青い鳥が飛び立って行った。いまのわたくしにはその自由がうらやましい。

 もっとも、ミサキだった頃は週末の休みもヴィンセント一筋でそれ以上にリアルな人生を楽しめずにいたけど。

 つまりわたくしは相当の『陰キャ』だった。言うまでもないことね。


 青い小鳥は少し高い木の枝でさえずり続け、木を槌で打ち付ける場違いな音がする。気になって窓の下をのぞく。

「ああ、お嬢様。うるさかったですかね?」

「ミカじゃないの。そこでなにをしているの? 小鳥がずっと騒いでいるわよ」

 梯子に上った庭師の息子の彼は木でできた箱をわたくしに見せた。箱には小さな穴があいていた。

「小鳥たちの巣箱ですよ。空き時間ができたら作ってやろうと思ってたんですわ」

 そう言えば庭の木の枝の間にはたまに巣箱がついていた。かわいらしい小鳥のお家を数えながら散歩したこともあった。


「興味がおありでしたら、降りていらっしゃいませんか?」

「……そうね。ちょうど暇を持て余してたのよ」

 普段着のドレスはさすがに宝石なんか付いていない。裾丈も引きずるほどではないので、気軽に移動できる。鏡を見て髪だけ直して、すぐに表に出た。

「ここですよ、お嬢様」

「今度はこの木につけるの?」

「さいです、これをつけるんですわ」

 手に持たせてもらうと、確かに小さな木のお家だった。幼い頃に遊んだドールハウスみたいな。

「これをね、針金を使ってこう……」

「危ないわ、そんな高いところで」

 わたくしは反射的に梯子を支えた。ミカはぽかんとした顔をした。

「お嬢様、御手が汚れます」

「構わないから早く取りつけてしまいなさいよ」

 彼は器用に巣箱の位置を決めて、針金で固定した。


「おいらたちは普段からもっと高い木の枝の整理も行ってるんです。あれくらい、なんともないですよ」

「まあ! 落ちたら死んでしまうわ!」

「誰もしたがらない仕事をするからこそ、対価をいただけるんです。おいらなんか、庭師の仕事がなければ村に下りて税を取り立てられるために働く小作人ですわ。ご主人様には感謝しかありませんよ」


 小作人、というのは知っている。

 事情があって自分の土地を売って、他人の土地を借りる。そうして借り主に作物の何割かを搾取され、領主からも搾取される。つまり手元にはほとんど作物は残らない。

 だけど彼らは小作人でいることをやめない。

 もしもやめてしまったら、次に待っているのは住むところのない流人だからだ。


「そんなに湿気た顔をしないでくだせぇ。平民なんてそんなもので、その中でもおいらは恵まれている」

「そう、それなら良かったわ」

 巣箱の取り付けられそうな木を探しながらふたりでブラブラ歩く。使用人とふたりきりでいるなんてあまり好ましくないだろうけど、興味深いことでもあったし、なにより暇だった。


「……ところでお嬢様は、『自由民』というものをご存知で?」

「さあ、聞いたことのない新しい言葉だわ」

「……さいですか。まあ、次期皇太子妃のお嬢様にはいらない話ですな」

「……知らなくていい話なんてないわ」

「じゃあお話しましょうか」


 ミカが言うには、最近、近隣の領主が『自らが切り開いた土地は自らのものにして良い』という御触れを出したらしい。

 小作人たちは作っても作っても搾取されてきた。それが今度は一部の税を除いてすべて自分のものになるという。税は土地の広さに比例して、小作人だった時に比べるとずっと少ない。


「ミカは自由民になりたいの?」

 特に考えて口に出したわけじゃなかった。素朴な疑問、というやつだ。

「お嬢様はどう思います?」

「そうねぇ」

 ミカは手を伸ばすと赤々とした林檎の実をひとつくれた。手の中で大事に持って困っていると、器用に皮をむいて切り分けてくれた。

「ミカがいなくなるのはちょっと寂しいわね。だってミカの方がちょっと年上だから、わたくしが生まれた時からここにいたわけでしょう? でも、ミカが自由民になることを望むなら止めないわ。『自由』ってなによりも大切な気がするもの」

 林檎の芳香が鼻をくすぐる。

 その赤さがわたしの気を引く。

 沈黙。

 ふたりの足音だけが聞こえて、次第に静寂が重さを増してくる。


 ……ちょっと待って。

 ミカはわたくしを誘っているとはとれないかしら?

 貴族をやめて、自由に生きようと。

 いや、考えすぎかもしれない。考えすぎだろう、きっと。

 ふと横を向くと日に焼けてそばかすのできた浅黒い肌と、綺麗なラインを描く鼻梁が見える。髪は明るめのブラウンで、夕陽に透けるとオレンジが美しかった。両方の瞳はアンバー。不思議な色をしている。

 わたくしの背は彼の肩くらいまでしかなくて、自然、彼の顔をじっと見上げていた。

 それを見ていたわたくしに気づいたミカは、わたくしに、にっと微笑んだ。


「どうしたんですか? 十八年も一緒におりますのに初めて見たような顔をして」

「そ、そうよね。でもほらお互い、大きくなったから、久しぶりにゆっくり見ちゃったというか」

「そうですか? おいらはもったいなくてお嬢様の姿を真正面から見るなんてとてもできませんよ。女神様のように、あのちっこい女の子がなっちまった。いや、お小さい頃からノエルにツリーにぶら下げる天使の人形のようにかわいらしく見えましたよ」


 ああ。

 肩をがっくり落とす。

 ミカもなんだ。こんなにいいひとなのに、攻略対象なのね。

 確かにそんなこともあったかもしれない。ミサキはエルメラに誘われて泊まりに行った時、粗野だけど純朴な青年に出会う――。

 窮屈な貴族社会に飽き飽きしていたミサキは、ミカと自由民を……というシナリオを思い出した。


 どうしようもない事だけど、この世界はゲームでできている。

 わたしたちはある意味『自由民』ではないんだ。

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