第43話 彼の婚約者

 ギュスターヴの馬車に揺られて、少し居心地の悪い思いをしながら家に帰る。帰ると言っても週に一度は帰っている我が家なので、別段、郷愁感が募ったりはしない。


 玄関を開くと、しきたり通り使用人たちが並んで頭を下げてわたくしを迎えてくれる。

 こんなことは長期休暇の時だけにしてほしいとお父さんに頼んだ。みんな仕事があるのに持ち場を離れてわたくしを待つだなんて、時間の無駄だもの。


「お嬢様! 馬車が故障したと聞きました。大丈夫でしたか?」


 ほら、自分たちのことに忙しいお父様やお母様より、いつだってアイリーンの出迎えが早い。いつも通りに迎えてくれて、家に帰ってきたという気持ちになる。


「ギュスターヴ様はこちらへ。暖炉に火を焚いております。お寒かったでしょう」

 ギュスターヴを客間に促しながら、アイリーンは振り向いてウインクをした。お茶目かもしれないけど、隣で気づかれたらどうするつもりなのかしら?


 他の侍女が荷物を運んでくれて、とりあえず自室に下がる。これもまたいつもの土の曜日と一緒。特になにもない。


 と。

 部屋に入るとテーブルの上に大きな花束が置かれていた。手に取るとカードが入っていて、それは思わぬ方からのものだった。


『無事に家には着いたかい? きみをびっくりさせようと思ってね。だがこれを上回る驚きがきみを待っているよ。その時には少しは役に立てるといいけれど』


 リアムからのカードだった。

 彼からのカードも紋章は王家のもの。

 わたくしを驚かせることってなにかしら? はっきり書いてくだされば良いものの。なんで焦らすのかしら?

 うれしい知らせ? 悪い知らせ?




「すっかり温まって眠くなってきてしまったよ。紅茶がね、美味しくて。うちのものと茶葉が違うようだ。芳香が素晴らしい」

「お母様がお好きなんです。ほら、この前もわたくしたち、舞踏会を開いたでしょう? あれもお母様の後押しあって。社交界がお好きなのよ」

「きみは?」


 少し答えに困る。

 素直な気持ちを答えても問題がないのか考えてみる。

 お父様やお母様の社交家としての努力に少しでも泥を塗らないか。


「誰にも言ったりしないよ。僕ときみとのひみつにしたい」


 胸の中で重い塊になっていた空気がホッと放たれて、紅茶一口で唇を濡らす。


「あまりすきではないの。社交界で恥をかかないようにって、小さい頃からあれこれ習わせられたわ。思えばそのお陰で学園でのいまの成績があるわけだけども。あなたは違うわね? 努力家なのね。わたくしは習わされたから学んだだけなの。人形のようね」

「そうして嫁ぐ相手も人形のように決められてしまうわけか。――わかってるよ、これはきみにどうしようもない話だってことくらい。『愛』よりも家柄だ。家柄同士の話がつけば婚約だ」

「ひょっとして、あなたも――?」

「ああ、一応、名だたる家の一員として、長子として、婚約者はいるよ。従姉妹なんだ。年下で、大人しくて、ろくに話もできない恥ずかしがりな子だ」


 その話は勝手ながらわたくしにはとても面白い話には思えなかった。

 ギュスターヴはわたくしだけ見ていてくれるとどこかで勘違いしていた。彼にそんなに聞くだけでかわいらしい許嫁がいたなんて······。

 想像してしまう。彼の顔さえまともに見ることのできない少女。

 それはそうだ。彼の深いブラウンの吸い込まれそうな瞳や、少し顔を動かすだけで揺れるキレイなストレートの髪。誰だって気後れする。


「少しは嫉妬というものを感じた?」


 頬が急に熱を帯びて、どこかに隠れてしまいたくなる。

 バカみたいなわたくし。なにを考えているの? ギュスターヴに婚約者がいてもちっとも不思議ではないし、それに対してなにかを思うなんて。


「今日のエルメラはいつもより素直に見える。その方が僕もきみといて気が楽だよ。もちろん気高い女神のようなあなたも嫌いではないけどね」

「からかわないで」

「ごめんよ。今日ばかりはきみに少しの貸しがあるかと思って、意地悪だったね」

「確かにわたくしにはあなたに借りがあるけれど、それとこれとは話が別だわ」

「まぁ、そういうことだ。僕の方は破談になっても身内のことだ、問題ない」


「そんなことないわ! その女の子はどうなるの? 例えばわたくしがヴィンセント様と破談になれば、ほかの殿方はわたくしに近づきにくくなるものだとわたくしは知ってるわ。破談になるだけの理由がある、きっとそれはわたくしにあると思われるわけでしょう? 彼女だって――」

「ストップ! もしも、の話だよ。きみは本当に誰に対してもやさしくするのかい? そんなことでは大切なものを失う時が来るかもしれないよ」


「大切なもの?」

「例えばヴィンセント。僕はきみがミサキとも仲良くしているのを知っている。その上、彼女の身の上に同情していることも。でもそれでは彼女が『欲しい』と泣いたらヴィンセントをあげてしまうのか?」

「············」


 意地悪を言うだけ言って、彼はやさしくわたくしの目を見て微笑んだ。そんなのはなんだかずるかった。

 まるでわたくしが小さな子供のようだ。そう、ヴィンセントと出会った時のまだなにも知らなかった頃の。

 そうしてシュンとしたわたくしを見つめながら、彼は紅茶を楽しんでいた。

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