第44話 次に会う約束
ドタン、ドタンとなんだか変に急ぐ足音が聞こえて、入口で控えていたアイリーンが頭を下げて一歩下がる。若い男女をふたりきりにしないのは当然のことだ。ここは学校じゃないんだもの。
――バタン。
「ようこそギュスターヴ殿。バロワ家のご子息に飛んだ失礼を。こんな時に私が家を空けておるなんて。まったくの失礼を。馬車の手入れには気をつけるよう、使用人にはよく言って聞かせましょう」
お父様だ。
また王宮に上がって王陛下のご機嫌伺いをしてきたのだろう。無論、ギュスターヴのお父上ともお会いしてきたはずだ。
「お気になさらず。困った時はお互い様でしょう。それよりいただいた紅茶が素晴らしくて。遠方からお取り寄せされているのですか?」
お父様はすっかり機嫌を良くしてギュスターヴに帰りに茶葉を持たせると約束をしていた。
コンコン、と控えめなノックの後、侍女が現れ、小声で何かをお父様に伝えた。
「ギュスターヴ殿。どうやらようやく馬車が直る目処がついたようです。いや、本当に助かった。なにしろかわいい娘を遠い学園から歩いて帰らせることになるところでしたから」
お父様は強引にギュスターヴの手を強く握った。とはいえ、ギュスターヴも社交術をしっかり身につけている。なんでもない顔をして笑顔で受けた。
「もしもまたなにか手のいる時にはいつでも呼んでください。まだ若輩者ではありますが、いないよりはましなこともあるかもしれません」
「いやいや、宰相殿のご子息をそんな風に扱うわけにはいきますまい。どうぞそれより今度、今日のお礼として晩餐でも?」
ギュスターヴの目ははわたくしを振り向いた。
同時に父上もわたくしを見る。
なにかを言えと、ふたりとも言いたげな表情で。
困ってアイリーンをチラッと見ると、彼女はわたくしに頷いて見せた。
「まぁ、素敵な催しですわね、お父様。お母様もきっと賛成なさいますわ。なにしろわたくし、学園前で寒い中、立っていたところを助けていただいたのでなにかお礼をしたいと思っていたのですから」
ふたりは納得をした顔でまた堅く手を握り合っていた。
どうやら場は凌げたようだった。
お父様は用があると言って実に申し訳なさそうに部屋を出ていった。皇太子殿下以外の若者に興味が無いだけだ。
「どうやら休みの間にきみと会うきっかけをいただいたようだよ」
「そのようね」
彼はイタズラっ子のような丸い目をしてわたくしを見た。
「どう? 僕も立派な紳士ではなかったかな? 少しはお父上にも気に入られただろうか?」
「さぁ、それは父上にしかわからないわ」
今度は切ない夕暮れのような目でわたくしを見つめた。じっと、深いところまで。
「家柄か。実につまらない考え方だ。だってそうだろう? きみの父上は自分より少しでも上の家柄との繋がりが欲しい。その上、うちの父とは折り合いが悪い。それではどうやってきみをするりと攫ってしまえるというんだ?」
「ギュスターヴ······」
「きみに言っても仕方の無いことだ。でもね、エルメラ、皇太子殿下以上の地位にどうやったらなれるというんだ? ヴィンセントを試験で続けて下せばお許しがいただけるというのか?」
「ギュスターヴ。お願い、今日はもう許して。そして次に会う時にはお互いにもっと落ち着いて、リラックスして話がしたいわ。あなたといるとわたくし」
「なに? ぜひ聞きたい」
「······張り詰めた糸の上にいるような気になるの。あなたが嫌いというわけではなくてよ」
ギュスターヴは斜め下を向いた。陰り始めた夕日が窓から差して、彼の横顔だけが明るく目に見えた。
「悪かった。どうしても気がせいてしまうんだ。来年の夏、卒業したらきみとヴィンセントは、それはかつてないほどお似合いの夫婦になるだろう。······僕には時間がない」
失礼するよ、と彼は外套を持って玄関に向かった。わたくしもあわてて後を追う。
カツカツと歩く歩幅はいつもより大きく、使用人が扉を開けると逆光になった彼のシルエットの
「レディ、次の機会に」
決まりきった文言だけを告げて彼は帰っていった。
――なにかを告げるべきだったのではないかしら?
なぜかそのことが頭を離れなかった。
彼の誠意に、気持ちに真っ直ぐに向き合うことはできない。それは事が複雑だからだ。
家のこと、ヴィンセントのこと、そしてよくわからない自分の気持ち。
そんなものが例えわかったとしてもなんの足しにもならないことはわかっている。
わたくしが駄々を捏ねたところで嫁ぎ先は変わったりしないのだ。
もしヴィンセントがわたくしではなくミサキを選んだとして。
その時もお父様は次の方を見つけてくるに違いない。トゥルーズ家に相応しい家柄の。そう、まるで家につけるアクセサリーのように。
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