第45話 飛んで行けない
失礼します、と呼び出されたわたくしはお父様の執務室に行った。
お父様はしかめつらで、先程ギュスターヴと話をしていた時とはまるで違う顔だった。座るように命じられる。
「お前は『婚約』という言葉の意味をどう考えている?」
「なにを仰るの? ギュスターヴはただ善意からわたくしを助けてくださったんじゃないですか。わたくしだけじゃなく、馬車の修理の手配までしてくださったのよ。それをそんな言い方なさらないでください」
「······テーブルの上にある手紙を読みなさい」
テーブルの上には奇妙なことに、蝋に王家の印で封をされた手紙が置かれていた。
一日に二度も王家からの手紙を受け取るなんて······緊張が走る。
「王直々に招待状をいただいた。エルメラ、お前のものだ。王家からの招待ではなく、へスティング家のプライベートなパーティーだということだ。そこに呼ばれるということがわかるか? もう半分は王家の一員として認められているということだ。半端な気持ちではいけない。いつまでも学生ではいられない。特に男の学友はいかん。バロワ家の子息と仲良くしてなんの足しになる。バロワは小賢しい男だ。お前の足元をチョロチョロして、変な噂を立てられても困る。エルメラ、お前ほど賢ければわかるだろう? バロワの息子にはきちんと礼を尽くして借りを返そうじゃないか。だがこれからはヴィンセント様にだけ笑顔を向ければいい。――わかっているな? 花嫁修業として卒業前に家に戻らせることもできるのだぞ」
へスティング家の――。
お伽噺のようだった婚約の話が次第に現実味を増していく。
結婚?
みんながそう囁くけれど、流れの方向にしかわたくしは向かえない。
卒業して家に帰ったら少し、サマーハウスにでも行って、のんびりしたい。勉強も結婚も忘れて。
いままで以上に草花やチョウの名前を覚えて、小鳥の種類を覚えて、先のことはそれからじゃいけないのかしら?
誰と結婚するんだ、と聞く人のいないこじんまりとした家。
訪れる人もほとんどなく――。
そうしたらその時、わたくしは誰にいちばん会いたいと思うのかしら?
そんなことを知ったところで結婚は変わらない。
でも、わたくしはわたくしを知りたい。
部屋に返されて花束の主からの言葉を思い出す。
『その時には少しは役に立てるといいけど』
なるほど。
ソファに深く沈む。
確かに王家のパーティーといえば気の沈むところだけど、ヴィンセントもいるし、リアムもいてくれる。もちろんあのエドワードもいるんだし。
そう考えると重かった心が少しだけ軽くなる。
明日はきっと採寸だ。
サイズのぴったり合ったドレスを誂えるんだろう。色は? 柄は? 布地は?
――そんな時期はとうに過ぎてしまって、わたくしは本当に滑稽なくらい人形になってしまったんだ。
ミサキだった頃の方がしあわせだったかしら?
少なくとも家族はわたくしを大切に思ってくれてたし、それに許嫁なんてまずいない世界だったし。
毎日、現実にいない素敵な男の子のことを考えて暮らしてた。ゲームの攻略サイトやグッズ販売情報、そんな意味の無いものに時間を費やしていた。
意味が必要?
すきなことはすき、一生懸命すき、それだけでどうしていけないの?
ミサキだった陰キャなわたくしに友だちは確かに少なかったし、彼氏なんてもちろんいなかった。
でもそんなわたくしが毎日を送れたのはすきなものがあったから。
·····そういう意味ではヴィンセントにすべてを捧げてしまうべきなんだわ。
ずっとわたくしに微笑みかけ、悩んでいても癒してくれたのはやさしい彼だった。
ちょっと王子にしては気の弱い彼。守ってあげたくなったり。
いまのわたくしはどう?
ヴィンセントがきちんと見えてる?
曇った目で見ていない?
気の弱さから、わたくしとミサキを選べない。
どちらか選んでくれたなら――その時、わたくしは素直にどなたかのところに飛んで行くかもしれない。
わたしだって選べない。
だってもう決まった人がいるんだもの。
誰の気持ちにも真剣に応えられない。誰かを本気ですきになってはいけない。
それは宙に浮いたままの想いになってしまうから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます