第7話 贈り物の条件

 日の曜日の翌日は朝から落ち着かなかった。

 あのバラの帽子は実家に置いてきた。不用意に学園に持ち込んだりはできないし。


 彼は昨日、帰り際に「美しい物は美しいひとへ」と耳元で囁いてわたしを赤面させた。そうして馬車に乗りながら「明日のみんなのおしゃべりはあまり気にしない方がきみのためだよ」と意味深なことを言って帰って行った。




 なるほど。


 呆れるほど昨日の噂が満ちていた。それは日の曜日にヴィンセントがわたしではなく、ミサキを訪れたということだ。


 面白半分にミサキに話しかける子が増えた。そもそも女の子たちは噂話が好きだし、それほど深いつき合いがあったわけではないけど、取り巻きの数がここではものを言う。

 ゲーム画面の左上にはこの『人気指数』が表示されている。ミサキは青、わたしは赤。この件で少し青が増えたことだろう。頭が痛い。ただし、この『人気指数』には尊敬度も含まれているので、エルメラの成績と人望なら問題ないはずだわ。


「エルメラ様、どうかなさいました?」

 なんでもなくてよ、とすらすら定型文が口をついて出る。そのことがなんだか寂しい。

 ミサキと目が合う。

 彼女の瞳にまだわたくしへの嘲りのようなものはない。わたくしの方がずっとヴィンセントに近いと知っているからだ。


 ところが教室に入ると、もっと驚くべきことが待っていた。誰かが野の花を摘んで、薄いピンクのリボンでかわいらしく束ねてあった。それがわたしの席に置かれている。

 みんなは口々に「まあ」とか「うらやましい」などと言った。けれどもそこには半分侮蔑が含まれていた。なにしろ正式な花束ではないのだから。


 席に着くと思った通り、それはヴィンセントからの花束で、紫を中心にしたか細い花を集めて束ねてあり、摘まれた花はどこかくたっとしていた。わたしは頼んで、学校が終わるまでどこかで花瓶にいけてもらうことにした。


 花束にはリボンと同じくピンクの縁どりの入ったカードが付いていて、昨日、会えなかったことへの謝罪と、寂しいという気持ちが書かれていた。

『きみのヴィンセント』というサインにはいささか面食らった。皇太子殿下であるにも関わらず、不用意にこんなことを書いてしまうのがヴィンセントなのだ。キュンと来ないわけがない。


 ミサキが昨日彼と会って、それが話題になったっていいじゃない。会えない日は想いを強くするもの。

 そこまで思って、やはりわたしは幼い頃から慣れ親しんだヴィンセントを想っているのだと思う。ミサキには本当に悪いけど、わたしはわたしのできる限りの力でヴィンセントをつなぎとめたい。こんなことを思ったのは初めてだった。




 なぜって花冠の日からずっと、彼は問題なくわたしのものだったから……。




 廊下を歩いているとエドワードとすれ違う。相変わらず目立つ黒髪の彼は、バカにするように話しかけてきた。

「野山の草花なんてすぐにしおれるんだって、俺はちゃんと教えたんだけど。義姉上には物足りなかったんじゃないですか? しおれない真紅のバラを贈られるようなひとだからな」

 その時わたしの顔は一瞬で青ざめたと思う。なぜ彼がギュスターヴの帽子のことを知っているんだろう?

 ……考えすぎ。そんなはずはないもの。


 周囲の話題は知らぬ間に移り変わっていく。

 なんと、ヴィンセントにミサキが昨日のお礼にと手作りのクッキーを持ってきたというのだ!

 ……日の曜日のチュートリアルで確かにヴィンセントは主人公にやさしい。元々やさしくもあるし、あのチュートリアルで狙いをヴィンセントに定める女子は少なくない。

 そして翌日、主人公は確かにお礼の品を渡す。それには選択肢があって、『手作りクッキー』、『刺繍入りハンカチ』、『金色の縁のティーカップ』のみっつから選ぶ。ハンカチを選ぶと親愛度が上がる。ティーカップだとヴィンセントからの尊敬度が上がる。これは最優秀生徒を目指すには欠かせない要素だ。


 でも、クッキー!?


 わたしはクッキーを選ぶような初心者じゃない。確かにクッキーはタダだけど、クッキーは焦げていて、もらえるのはヴィンセントの笑顔だけ。パラメーター無視してクッキーを選ぶひともいるけど、トゥルーエンドを目指すならここはクッキーを選んではいけない。

 いけないんだよ!!


 なにしてるの、ミサキ!!


「ミサキ、ちょっとよろしいかしら」

 わたしは彼女の後ろからなるべく威圧感を与えないように近づき、彼女を連れ出した。そして、温室まで来ると話を切り出した。

「あの、エルメラ様が直々になんのお話でしょうか?」

 おどおどしている。それはそうだ、呼び出しだもの。でもミサキだって心の中ではヴィンセントをめぐる恋敵だと承知しているはず。


「ヴィンセントにあなた、もうクッキーはあげた?」

「いいえ。帰りにでもと。……どうしてそのことを?」

 うーん、とこめかみに手をやってなにかいい言い訳はないか考える。でもやっぱりダメ。いい手はない。

「噂で聞いたのよ。ねえ、良ければわたしに見せていただけない? お菓子作りの参考にしたいの!」

 うわっ! なんていう理由! 嫌味ったらしい。こんな理由通るわけ……。

「はい、そういうことでしたら! わたし、お菓子はクッキーしか作れないんですけど、その分自信があるんです」

 彼女はガサゴソと紙包みを破らないように開いた。


 え?

 これが、クッキー!?

 囲碁の碁石じゃないのよ? しかも黒い方。


「チョ、チョコレートクッキーかしら?」

「いいえ! あら、王子様ってチョコレートがお好きなんですか? メモしておかないと」

「いえいえ、違うの。そういう訳ではないの。あの、その……言いにくいんだけど、少し焦げてるのではないかしら?」

「そうなんです! 慣れないオーブンは難しいですね」

 ……この子、本当にわたしなのかしら?

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