第46話

 家に帰り着いた私が二階へと上がろうとすると、リビングからお母さんが私を呼んだ。

 リビングに入ると、ダイニングテーブルにはお母さんとお父さんが座っており、私はその対面に座らされる。


 そして私が「どうしたの?」と聞く前に、お母さんが口を開いた。


「男か?」


 私は最初、お母さんの言葉の意味がわからなかった。


「今日は男といたのか?」


 どこか憎しみのような感情が混じったその声に、私はお母さんが何を言っているのかをようやく理解する。


「なんで知ってるの……?」

 お母さんが言っている『男』というのは鈴木君の事で間違いないだろう。

 しかし、私は鈴木君の事をお母さん達に話した事はなかったし、お母さん達が鈴木君の事を知っているはずがなかった。

 よしんば私のクラスメイトとして存在を知っていたとしても、今日遊びに行った相手が鈴木君だと分かるはずがない。

 知る術があるとすれば、それは偶然街で見かけたか、もしくは————


「もしかして……私のスマホ覗いたの?」

 私は他の可能性が思い浮かばなかった。

 そしてそれは正解だったらしく、お母さんの目が一瞬泳ぐ。


「覗くって言い方は私が悪い事をしたみたいじゃないの」

「言い方なんてどうでもいいよ! 覗いたの!? それともアプリか何かで監視してるの!?」


 それを口にしているだけで、私の背筋に寒気が込み上げてくる。


「あなたがお風呂に入っている時に、汚れ物が無いかと思って部屋に入ったら、たまたまスマホが目に入ったの。だからちょっと中を見ただけよ」

「そんなのおかしいよ! 部屋は綺麗にしているから入らないでってお願いしてたでしょう!? ちゃんと毎週チェックもさせてるでしょう!? それにスマホにはロックもかけてるのにたまたまなんて……」

 お母さんの嘘はあまりにも稚拙だった。

 すると、それまで黙り込んでいたお父さんが口を開く。


「そんな事は今はどうでもいい。それより鳴海、お前ちゃんと避妊はしているのか?」

「な、何言ってるの……?」

「最近の子供は平気でそういう事をするらしいからな。おい、お母さん」


 お父さんがそう言うと、お母さんはテーブルに置いていたポーチから、安っぽいキャラクター物の巾着を取り出す。

 そしてそれを開けて、中身を取り出した。

 巾着の中身は避妊具であった。


「鳴海、万が一の事がないように、お母さんがこれ買ってきてあげたからね。する時は必ずつけさせなさいよ。使い方はお母さんがメモに書いてあるから」

 お母さんは避妊具を巾着袋にしまうと、それを私の手に握らせる。


 私は幻覚を見ているのだろうか。

 それともこれは悪夢なのだろうか。

 脳にヒビが入りそうな程に受け入れがたい状況の中で、私は今にも発狂しそうだった。

 私は巾着袋を投げ捨てて叫ぶ。


「違う!! 私と鈴木君はそんなんじゃない!!」

「今はそうだとしても、いつそうなるかわからないでしょう? ほら、男の子ってそうじゃない?」

「うるさい!! うるさいうるさい!! あんたが鈴木君の事を喋らないで!!」

 すると今度はお父さんが呑気な声で言う。


「もしかしてスマホを見た事を怒ってるのか?」

「それだけじゃない! 全部! 全部だよ!! どうしてわからないの!?」

「親が子供の心配をするのは当たり前だろう?」

「違う! あんた達は私を心配してるんじゃない! ただコントロールしたいだけだ!!」

「親に向かってそんな言い方をするな! 大体お前の生活費も学費も俺が稼いできた金だし、スマホの金だって俺が払ってやってるんだ。中を見て何が悪い。やっぱり何か後めたい事があるのか?」


 私はカバンから取り出したスマホをテーブルに叩きつける。

 それは、高校の合格祝いとしてお母さん達がプレゼントしてくれたスマホだ。

 私は必要ないと言ったけれど、『何かあった時に便利だから』と。


「中を覗かれるってわかってたら、こんな物使わなかった!!」

「せっかく俺が買ってやった物になんて事をするんだ!! それがいくらしたかわかってるのか!?」

「いくらしたの!? 返せって言うなら返すよ!」

「お前がそんな金持ってるはずがないだろ。バイトもしていないくせにできもしない事を言うな」

 お父さんは馬鹿にしたように鼻で笑う。


「返すよ……。バイトでも援助交際でもして返すよ!!」

 次の瞬間、お父さんはテーブルの上にあったティッシュ箱で私の頭を打った。

 角が当たって皮膚が切れたのか、額に鋭い痛みが走る。


「そんなみっともない事をさせるか!!」


 すると、私の額を液体が伝う感触があり、お父さんは息を呑む。


「……やっぱり、素手で叩いてはくれないんだね」


 私はお父さん達に対して、何かを期待するのは諦めたつもりだった。

 しかしそれでも、叩くなら素手で叩いて欲しいと思っていた。

『親』であって欲しいと、思っていた。


 私はカバンを手に取り、フラフラとする足で家を出て行こうとする。

 行き先など無いけれど、とにかくこの家にはもういたくなかった。


 私がリビングのドアを開けると、そこには陸が立っていた。


「お、お姉ちゃん……。おでこ……」

 陸は必死に手を伸ばし、私の額の血を拭おうとしている。

 私にとって陸はあの両親から生まれた禍々しい存在で、あの両親に大切にされている壊してしまいたい存在だ。


 でも私は、陸をこの家に一人残してどこかに行く事はできなかった。

 もしかしたら、出て行く度胸がなかっただけかもしれないけれど……。

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