第38話
その翌日、三月十一日、午前十時————
旅立ちの準備を整えた私は、鈴木君と待ち合わせをしたマンションのラウンジへとやってきた。
鈴木君は朝食を食べた後、準備のために一度705号室に戻ると言ったので、わざわざ待ち合わせをしていたのである。
私は約半年ぶりに、この世界を訪れた時に着ていた制服のブレザーを身に付けている。上下の下着と靴も、あの日身に付けていたものだ。
遠距離の移動に適した格好ではないけれど、もし向こうの世界に戻った時にこの世界の物を持ち出せなければ、私は素っ裸で帰る事になってしまうからだ。
スカートの下には一応パンチラ防止にスパッツを履いている。
他の持ち物は小さめのリュックサックと、その中に最低限の食料とタオル、そしてスマートフォンとトランシーバーだけだ。
数分待つと、鈴木君がエレベーターホールから姿を現した。
鈴木君も背中にリュックサックを背負っており、服装は私が初めてお目にかかる学ラン姿だった。
「悪い、待たせた」
「ううん。学ラン、似合うね」
「そりゃあ、学生だからな」
そう言って鈴木君はフンと胸を張る。
「お前も似合うじゃん。ブレザー」
「……ありがと」
鈴木君の学ラン姿が新鮮で、なんだかこれから制服デートに行くみたいで、少しワクワクした。
私達は互いの制服姿をジロジロと見た後で、エントランスを出て、背後を振り返る。
青空の下に建つ天空マンションは相変わらずボロかったけれど、立ち去るのがなんだか寂しかった。
「今日までお世話になりました」
私がマンションに向かっておじぎをすると、鈴木君もそれに習った。
「わかってると思うけど、まだ帰れるって決まったわけじゃねぇからな」
「うん。でも、もしかしたらもう戻らないのかと思うと感慨深くて」
「まぁ、俺は三カ月ちょいだけど、雨宮はここで半年も暮らしてたわけだしなぁ」
私がこの世界に来てから半年、天空マンションを中心に色々な事が起きた。
この世界に来た初日には、トイレが見つからずにパニックになり、その後跳躍能力に目覚めた。
それから一月は探索をしながら自由を謳歌した。
そして旅に出て、様々な場所から空を眺めた。
マンションに戻ってから一月は、寂しさに苦しんだりもした。
そして、鈴木君に出会った。
この世界には良い思い出ばかりがあるわけではないけれど、鈴木君と出会わせてくれた事には本当に感謝している。
あの日鈴木君に張り手を喰らわせた時には、鈴木君が自分の中でこんなにも大きな存在になるとは思いもしなかったけれど……。
マンションから駐車場の方へ向き直ると、遥か遠くには光の柱が見える。
マンション島から直線距離にして十キロ前後だろうか。
普通の世界であれば徒歩でも二時間あれば着く距離だが、島を渡り歩いてゆくとなると、跳躍能力を踏まえてもその数倍は時間がかかるだろう。
「足、大丈夫か?」
「うん。平気」
「じゃあ、行くか」
私達はマンションに背を向けて歩き出す。
そして駐車場の端まで歩くと、互いに顔を見合わせて頷き合い、下に浮く島に向かって力強く跳んだ。
☆
それから私と鈴木君は多くの島を渡り歩きながら、光の柱へと向かった。
私は療養生活で体力が落ちているかと思ったが、そこに関してはこの世界の健康維持ルールが働いているらしく、以前と変わらないペースで移動する事ができた。
しかし、途中でゲームセンターに立ち寄ったり、オシャレなカフェでお茶をしたりしたせいで、光の柱が昇っている島の隣の島に到着する頃には、夕暮れ時になってしまっていた。
鈴木君と出会う前はあんなに元の世界に帰りたいと思っていたのに、我ながら呑気なものである。自分の危機感の無さを感じたのも久しぶりだ。
「着いたな」
「うん」
今私達が立っている島は、車道沿いにガソリンスタンドが建っているだけの特に変哲のない島である。
私達はガソリンスタンドの屋根に上り、光の柱を観察する。
「あれは……病院だな」
光の柱は島全体から立ち昇っているわけではなく、島の中心にあるかなり大きな病院の中から昇っているようだ。
柱は強い光を放っているが、直径は十メートルくらいで、案外小さい。よくマンション島から見えたものである。
夕暮れに佇む病院は、なんだかホラーチックで不気味であった。
「明日明るくなってから行くか?」
鈴木君の問いに私は少し考えてから、首を横に振る。
今いる島に一泊してから向かっても良かったが、寝ているうちに島が大きく移動してしまっては面倒だからだ。
そして今いる島は、タイミング良く光の柱の島の上を通過しようとしている。
「わかった。じゃあ……行くぞ!」
私達は覚悟を決めて、光の柱が立ち昇る島へと飛び移った。
☆
遠くから見て不気味だった病院は、近くで見てもやはり不気味であった。
しかしここまで来てしまったからには引き返すわけにもいかないので、私達は光の柱の出所を探るために、病院内に入る事にする。
病院の正面にある看板にでかでかと書かれていた病院名は『山下総合病院』で、私も鈴木君も知らない病院であった。
知らないといっても、この世界で私達の記憶は正直あてにならないのだが。
病院内に入ると、電気が点いているおかげか、そんなに不気味な雰囲気ではなかった。
私達は一階、二階、と光の柱の出所を探してゆく。
そして三階を調べていた時だ。
私達は廊下の奥に、光の柱の一部であろう、光の壁を見つけた。
「あそこか……」
私は歩みを進めようとする鈴木君の袖を握る。
「どうした?」
どうしたもこうしたもない。
あの場所に何が待ち受けているのかわからないのだ。
いや、きっと元の世界に帰るための何かがあるのだろうが、もしかすると鈴木君と二度と会えなくなる可能性もある。
そう考えると、私の足はすくんでしまうのだ。
「大丈夫だ」
鈴木君はそう言って、私の手を握った。
私もその手を握り返す。
鈴木君は小さいくせに、こういう時は男の子だなぁと実感させられる。
私は鈴木君の目を見つめて言った。
「ねぇ、私の事、忘れないでね」
「忘れるかよ。男ってのはな、初恋の相手の事を死ぬまで忘れないんだ」
鈴木君の言葉に、私は一瞬唖然とする。
「……初恋?」
「だ、だから……俺はお前が好きだって言ったんだよ」
思えば、鈴木君が私を好きだとハッキリ言ってくれたのは初めての事だった。
「わ、私も! 私も鈴木君が好き! だから、絶対に忘れない!」
そして私が鈴木君への想いをハッキリ口にするのも、これが初めてであった。
「本当かよ。元の世界に帰ったらすぐに彼氏作ったりするんじゃねぇか?」
「そ、そんな事ありえないよ! そもそも私モテないし……」
「はぁ? よく言うよ……」
「何が?」
私が問うと、鈴木君は少し躊躇いがちに言った。
「俺にこんなにモテてるくせによ」
顔を赤くしながら口にした、あまりにキザな言葉に、私はついつい吹き出してしまう。
「おい! 笑うなっつーの!」
「だ、だって……あははははは!!」
一頻り笑った後に鈴木君の顔を見ると、鈴木君は困ったような笑みを浮かべていた。
「どうだ? ちょっとは勇気出たか?」
そうか、鈴木君は私を勇気付けるためにわざとあんなキザな事を言ったのだ。
「……うん、ありがとう」
「別に、俺は思った事を言っただけだからな」
こういう所はやっぱり素直じゃない。
いや、逆に素直なのかな。
でも、私はそんな鈴木君の事が好きだ。
誰よりも、何よりも大好きだ。
「行こう」
「うん」
私達は手を強く握り合い、光の壁へと向かって歩き出す。
光の壁は私達が触れた瞬間にフワリと消え、私達の前には一つの扉が現れた。
扉のプレートには『集中治療室』と書かれている。
一瞬にして様々な想像が頭の中を巡り、私の中の勇気は再び引っ込みそうになる。
しかし、鈴木君は私の手を更に強く握り締め、扉を開いた。
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