第21話

「『なんで』って……」

 質問には質問で返してはいけないと誰か偉い人が言っていたような気がする。

 もしかして鈴木君は私の言葉を聞き逃して、『なんて?』と聞き返したのだろうか。確かに私は地声が小さくて何を言っているのかわからないと言われる事もあるが、今の渾身の質問をこの距離で聞き逃すはずがない。

 よし、取り敢えずもう一度聞いてみよう。


「あの……この世界から元の世界に帰る方法とかは……」

「だから、何でそんな事聞くんだよ。もしかして帰りたいのか?」

 彼は馬鹿なのだろうか。

 他にこんな質問をする理由などあるはずがないではないか。


「そりゃそうだよ! 鈴木君は帰りたくないの!?」

 私が声を荒げた次の瞬間、衝撃的な答えが返ってきた。


「いや、別に」


『イヤ・ベツニ』

 どういう意味だろうか。

 アイヌかどっかの地名でない事は確かだ。

 もしかして一つ前の質問に対して『いや、別に何も見つからなかったよ』と返しているのだろうか。この距離でそんな衛星電話の会話みたいな事があるはずない。

 という事はつまり……。


「帰りたく……ないの?」

「全然」

「本当に?」

「ちっとも」

「嘘でしょ?」

「これっぽっちも」

 私は貧血になった時のように頭がクラクラとした。

 なんという事だろう。

 これをジェネレーションギャップというのだろうか。

 最近の若者の考えがさっぱりわからない。

 鈴木君が脱出の方法を知らなくても、『これから脱出を目指して二人で頑張りましょう』と、よろしくやっていこうと思っていたのに、まさか彼に脱出の意志が無いとは。

 孤独が解消されたとはいえ、沈没しかかった船でようやく見つけた救命胴衣に穴が空いていた気分だ。


「だって、別に帰る必要ないだろ」

「必要あるよ!」

「なんで? 働かなくても衣食住全部タダで手に入るこの世界に何の不満があるんだ? 娯楽だってあるし」

 あー、浅い。

 考えが浅いなー。

 私だってある程度はそう思っていた時期があった。

 でも、時間の経過と共に孤独と不安に耐えきれなくなってしまったのだ。

 あれ? でもこの世界に来たのは鈴木君が先なんだっけ。


「時々寂しくなったりするでしょ?」

「いや、別に」

「家族とか友達に会いたくない?」

「別に」

 不毛だ。

 この鈴木少年の心にはぺんぺん草一本生えていない。

 きっと彼は元の世界でも孤独な生活をしていたのだろう。


「ていうか、お前向こうでの生活の事覚えてるのか?」

「え? どういう事?」

「家族の事とか友達の事とか、俺あんまり覚えてないんだよな。家族構成とか、学校に通ってた事は確かに覚えてるけど」

 私はふと自分の記憶を思い返してみる。

 家族の事は……覚えている。

 友達の事も……覚えている。

 うん、大丈夫だ。


「私は覚えてるよ」

「じゃあ、何か思い出とかはどうだ? 家族とどこに行ったとか、具体的な思い出」

 そう言われて、私は再び思い返す。

 なぜかツキツキと軽く頭痛がしたが、それでも頑張って思い返す。

 そしてしばらく思い返そうとして————ゾッとした。


「え……嘘……なんで?」

「な?」

 そう、私は元の世界にいた時の具体的な思い出が殆ど抜け落ちている事に気付いたのだ。

 家族がいた事も、友達がいた事も、自分がどういう人間であったかも、高校に入学した事も、読んだ本の内容も、確かに記憶にある。でも、それらを通して具体的に何が起こったのか、何を思ったのかは、殆ど覚えていないのだ。

 それだけじゃない。家族も友達も、顔をはっきりと思い出す事ができない。髪型や体型は思い出せるのに……。


「思い出せないものに会いたくはならないだろ? 遠い親戚みたいなもんだ」

「でも! 私は家族や友達に会いたいってずっと思ってたよ!」

「それはお前が寂しがり屋なだけだろ。一人でいるのが不安で、誰かに会いたくなっていただけじゃないか?」

 つまり私は他人と接触できれば誰でも良かったという事だろうか。言われてみればそうである気もするけれど、そうは思いたくない。いや、でも……。


 そこで、私はもう一つ気が付いてしまった。

 普通に家族と生活している者であれば、何日も家族に会えず、連絡も取れない状況で、絶対に考えるべき事がある。


 それは『家族は心配していないだろうか?』という事だ。


 この世界に来て三ヶ月、私は何度も家族に会いたいとは思ったが、その事については一度も考えなかった。それはつまり、私の家族に対する気持ちが抜け落ちている事の証明ではないだろうか。


「会いたい人がいないのなら、向こうの世界への未練もないわけだ。それならなんでもやりたい放題のこの世界にいた方がいいだろ。まぁ、新作のゲームや漫画が楽しめないのは残念だけどな」


 なぜだろう。

 なぜ記憶が消えているのだろう。

 この世界にいると記憶が消えてゆくのか?

 いや、初日に家族の心配について考えなかった時点で、私の記憶は最初からこの状態だったのだろう。でも子供の頃の事を覚えていたりするし……。


 鈴木君と出会って何もかも謎が解けるかもしれないと思っていたのに、ここにきて更に謎が追加されるとは思わなかった。


 そして、私があれだけ元の世界に戻りたいと思っていたのが、ただの孤独からくる帰巣本能だったというのがショックだった。

 私はこの世界の謎に挑む挑戦者ではなく、ただの寂しがり屋だったのだ。


「ウソー……やだぁ」

 私が虚しさのあまりテーブルに突っ伏したところで、時は現在に戻る。


「なんだ? また泣くのか?」

「泣きたいけど……泣くになけぬ」

 私はもう何に泣けばいいのかもわからなかった。

 なんだか元の世界に帰りたいという意欲まで失せてしまった気がする。


「でもさ、ずっとこの世界にいてどうするの? 病気になってもお医者さんいないんだよ? お爺ちゃんになって、歩けなくなっても誰も介護してくれないよ?」

「それは多分大丈夫だ」

 そう言って鈴木君は自分の鼻を指した。

 なんの変哲もない、鼻屋さんに並んでいそうな綺麗な鼻だ。


「鼻がどうかした?」

「昨日お前にぶっ飛ばされた時、多分骨が折れてた」

「そんな大袈裟な」

 いや、待てよ。

 確かに昨日張り手を食らわせた時、やけになっていた私はかなりの強さで鈴木君の鼻を打った気がする。あの時鈴木君は一メートル以上は吹っ飛んだし、折れていてもおかしくはない。


「でも、骨折してたらもっと腫れてたりするはずじゃ……」

「治ったんだよ。寝てるうちに」

「えぇ!?」

 そんな馬鹿な。

 骨折が一晩で治るはずがない。

 でも、そんなあり得ない事が起こるのがこの世界である。


「つまりな、この世界では怪我や病気になってもすぐに治るんだよ。というか、この世界で俺達の体は常にベストな状態に保たれるようになってるんだ」

 言われてみればそうかもしれない。

 この世界に来てから私は怪我をした事はないけれど、食べ過ぎてもお腹が痛くなったりもしないし、どれだけ運動しても筋肉痛にもならない。クタクタになるまで探索をした日も、一晩寝ればスッキリ回復していた。

 相変わらず驚く程都合の良い世界だ。どうせならメンタルのケアもしてはくれないだろうか。


「じゃあ、私達にとってお医者さんは必要ないし、多分死ぬまで元気なんだね」

「そういう事だな」

 ますます帰る理由がなくなってきた。

 いや、でもまだ納得がいかない。


「でも、この世界でずっと一人でいたら、いつか絶対寂しくなるよ」

「あのなぁ、寂しさなんてのはただの思い込みだし、どこにいようと所詮人間なんて孤独なもんだろ。群れる必要があるのはそこに一人じゃ解決できない『不便』があるからだ。『不便』がないこの世界にいれば誰かと群れる必要なんてないだろ」


 ぐうの音はでるけれども、その先が出てこない。


「それに、雨宮がいれば寂しい事もないだろ」

「……それって私にずっとこの世界にいろって事!?」

「帰りたければ帰れば」

「帰るよ! 帰りますとも!」

「どうやって?」


 今度はぐうの音も出ない。

 すると、鈴木君はこんな事を言い出した。


「まぁ、お前の方も俺がいれば寂しくないだろ」

 こんな状況でなければなんとなくドキッとしてしまいそうなセリフだ。


「何、その古いドラマみたいなセリフ」

「『俺が一生お前のそばにいてやる』的な?」

「『もう二度とお前を離さない』的な」

「『俺にはお前さえいればいい』的な?」

「『お前を絶対一人にするもんか』的な」


 私は鈴木君の事をあんまり好きになれそうにないけど、微妙にノリが合いそうなのが無性に腹立つ。


「そういえば、屋上から下がってる垂れ幕書いたのお前?」

「うん」

「お前成績悪かっただろ。welcomeの綴り間違ってるぞ」


 やっぱり私は彼と一生を過ごすのは無理そうだ。

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