第17話
「ねぇー、ごめんてばぁ」
夕暮れが迫る商店街島のメインストリートを、私は背後から追いかけてくる明子ちゃんの謝罪の声を聞きながら、そっぽを向いて歩いていた。
「別にいいってば」
「だって怒ってるじゃん」
「怒ってないよ」
「絶対怒ってるじゃん」
「怒ってないってば」
「でも怒ってるんでしょ?」
「そりゃ怒るよ!」
正直にいえば私は怒っていた。
怒らいでか。
だって、ただ苦手なホラー映画を観せられるだけならともかく、明子ちゃんは要所要所でわざと声を出したりして私を驚かしてきたのだ。おかげで私の心臓は何度跳ねあがった事か。
賭けに乗って映画を観た私も私だけど、あれはフェアな勝負ではない。
よって、私は怒っているのだ。
「鳴海は大人気ないなぁ」
「それはそっちでしょう! 五回悲鳴あげちゃったからギブアップしようとしたのに、出口塞いだりして!」
「だって、最後まで観たかったけど、一人で観るの怖かったんだもん……」
「じゃあ最初から観なきゃ良かったじゃん!」
「それは、そもそもポンコツ女子高生映画技師が怖い映画を流したのが悪いわけでして……」
確かに。
それを言われたら一歩譲らねばならない。
適当に操作したとはいえ、まさか三分の一のハズレを引くとは、私も運が悪い。
「まぁしかし、私も少々やり過ぎたとは思っているわけでありまして、この通り深く反省していますゆえに、ここは一つ謝罪の言葉だけでお許しいただけないでしょうか、お奉行様」
「ならぬならぬ! ならぬぞ! そもそも汝は普段から素行の悪さが目に余る! よって汝には罰として、市中引き回しの後に今後一週間の料理当番を命ずる!」
「ひぇ〜! ご堪忍を〜!」
そんな茶番を演じていると、私の怒りはいつの間にか収まっており、口角が自然と上がっていた。
明子ちゃんは確かに人の話を聞かなかったり、意地悪をしてくる事もあるけれど、なんだか許せてしまう不思議な魅力があるのだ。
すると、明子ちゃんが突然立ち止まったので、私は振り返る。
「ねぇ鳴海、ありがとう」
「え? 何が?」
明子ちゃんからの突然のお礼に私は戸惑う。
明子ちゃんの頬が赤らんで見えるのは夕陽のせいだろうか。
「一緒に映画観てくれて」
「一緒にっていうか、無理矢理だったけど……別にいいよ」
そう、確かに怖かったけれど、明子ちゃんのおかげで今日を楽しく過ごす事ができたし、それくらい何という事はない。それに、この世界で明子ちゃんが一緒にいてくれる事に比べれば……。
「それから、この世界で私と一緒にいてくれてありがとう」
「え?」
「あのね、もし私が鳴海と出会えなくて、この世界でずっと一人ぼっちだったとしたら、私すごく怖かったと思うんだ。自由だし、勉強しなくても、夜更かししても、いつまで寝ていても誰にも怒られないし、お菓子も食べ放題だけど……それでも、凄く寂しくて不安だったと思うんだ」
そっか、明子ちゃんも私と同じように思っていてくれたんだ。
「私、こう見えて結構寂しがり屋だから、もし鳴海と出会えていなかったら、多分今頃泣いちゃってたかもしれない。だから、一緒にいてくれてありがとう」
明子ちゃんの言葉に、思わず目頭が熱くなる。
「ううん。違うよ! お礼を言いたいのは私……私の方だよ! 私ずっと寂しかったの……。誰もいないこの世界で、ずっとずっと寂しかったの! だから……だから、お礼を言わなきゃいけないのは私の方なの!」
そう、壊れそうだった私の心を救ってくれたのは明子ちゃんだ。明子ちゃんがいなければ私は今頃どうなっていたのか想像もつかない。もしかしたら寂し過ぎて、イカダでも作って人のいる新天地でも目指していたのではないだろうか。
あれ? でも、私と明子ちゃんはどこで出会ったんだっけ?
旅の帰り? それとも天空マンション?
思い出せずに首を傾げていると、明子ちゃんはこう言った。
「ねぇ、鳴海。私達、元の世界に戻ってもずっと友達でいようね。もしかしたらこの世界の記憶とか、そういうの全部消えちゃうかもしれないけど、それでも絶対にまた会おうね」
何よりも嬉しい申し出だ。
私ももちろんそのつもりでいた。
例え記憶を無くしたとしても、私達はこの不思議で出鱈目な世界で一緒に過ごした仲間であり、友達であり、家族だ。
だから、きっとまた巡り会える。
そして、きっと友達になれる。
「うん、私絶対に明子ちゃんの事忘れない。もし忘れちゃったとしても、絶対に探し出す。そしたらまた一緒に映画観ようね。あっ! でも、ホラー以外だよ!」
「あはは! うん。約束だよ」
すると、明子ちゃんは右手の小指を差し出した。
その瞬間、私の心臓がドクンと高鳴る。
「ねぇ、指切りしよう。元の世界でも絶対に会おうっていう約束の指切り」
「指……切り?」
なぜだか分からないが、それが絶対にやってはいけない行為のように思えて、私は後ずさる。
「そう、指切り。知らない?」
しかし、明子ちゃんは不思議そうな表情を浮かべながら、小指を差し出したまま私に歩み寄ってくる。
「ううん。知ってる……知ってるけど……」
そう、知っている。
私は指切りという行為を知っている。
当たり前だ。
指切りを知らない人などいるはずがない。
「私と指切りしたくないの?」
「そうじゃないよ! そうじゃないけど……!!」
そうだ。
そんな事はない。
そんな事あるはずがない。
私は明子ちゃんと再会の約束として指切りをしたい。
そして、明子ちゃんとずっと一緒にいたい。
「じゃあ、指切りしようよ。ほら」
「で、でも指切りしたら……!!」
そう、指切りをしたら————
「もー、鳴海は照れ屋さんだなぁ」
「だ、ダメ!!」
指切りをしたら————
明子ちゃんが本当は存在しないという事を認識してしまうから。
フッと、私の手を取ろうとした明子ちゃんの手がすり抜けた。
そしてその瞬間、私の眼前から明子ちゃんの姿が跡形も無く消える。
「……め、明子ちゃん? 明子ちゃんどこ?」
いくら辺りを見渡しても、明子ちゃんの姿は見当たらない。
「明子ちゃん!! 明子ちゃん出てきて!! 私を一人にしないで!! 明子ちゃん!!」
私は明子ちゃんの姿を探して商店街島を駆け回る。
しかし、島の中をいくら探し回っても、いや、この世界の浮島を全て探しても、明子ちゃんが見つかるはずがないことは私自身が一番よくわかっていた。
「あ……ああ……あああああああ!!!!」
地べたに膝をつき、頭を抱え、自らの声に顔を埋める。
消えた。
また消えてしまった。
明子ちゃんは二度と私の前に現れる事はない。
これでもう三人目だ。
孤独に耐えられなくなった私が作り出した想像上の友達は。
吉岡明子などという人間はこの世界に、いや、どの世界にも存在しない。
私は今日、一人でマンションの屋上で監視をし、一人で商店街で遊び、一人で映画を観て、一人で想像上の友人との友情を演じていたのだ。
想像上の彼女達はいつも突然に、いつも些細なきっかけで消えてしまう。
どれだけリアルにイメージしても、どれだけ本物だと思い込んでも、所詮イメージはイメージ。
決して触れる事はできないし、触れなくても私がそれをイメージであると意識してしまった時点で消えてしまうのだ。
「あはは……あはははは……」
私は自重気味に笑ながら立ち上がる。
日は既に沈み、孤独が夕闇と共に私に襲い掛かる。
「もうやだ!! もうやだ!! もう一人はイヤぁぁぁぁぁぁあ!!」
孤独と不安によって、私の心はメリメリと引き裂かれてゆく。鈍く重い胸の痛みに今にもおかしくなりそうだった。
空だ……こういう時は空を見るんだ……
空を見て心を落ち着けるんだ……
自己暗示と共に空を見上げると、上空前方には夕闇の中に聳える天空マンションの姿があった。
あそこなら……あそこならまだ元の世界との繋がりを感じられる。私の心を守る事ができる。
そう考えた私は脱兎の如く駆け出し、天空マンションを目指した。
何度も転びながら、躓きながら、跳躍と助走を繰り返してマンション島まで辿り着く。
そして、闇に追われるようにエントランスの中に駆け込んだ。
急に激しい運動をしたせいで、肺と脇腹が悲鳴を上げている。私はエントランスの床に膝をつき、息を整える。
ヒンヤリと冷たい床に、そのまま横になってしまいたかった。
目が覚めたら元の世界に戻っているのではないかという甘い妄想を抱きながら眠ってしまいたかった。
すると————
チーン
私の耳に、聞こえるはずのない間の抜けた音が聞こえた。
もし幻聴でなければ、今のはエレベーターの到着音だ。
このオンボロマンションのオンボロエレベーターのボタンを押す人間は、この世界には私しかいない。
だけど————
まさか————
顔を上げると、エレベーターの前に人がいた。
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