第45話

 それからお母さん達がどう変わるという事はなかった。

 あの口論の翌朝にはケロッとしていて、いつも通りに私に接してきたし、それ以降も私に何を言ってきたりする事もなかった。

 多分お母さん達には罪悪感という感情が欠落しているか、私をペットのようにしか考えていないのだろう。

 そうでなければあんな風に振る舞える筈がない。


 だから私はお母さん達が私を『諦めた』ように、私もお母さん達に何かを期待する事をやめた。

 大人しくしていれば高校までは出してくれるだろうし、それ以降の人生は縁を切って自分の人生を生きてゆけば良いだろう。


 陸の事は気になるけど、今のお母さん達であれば多分陸をまともに育ててゆけると思う。何かあったとしても、私のようにはならないはずだ。


 そんな想いを抱きながら私は中学を卒業し、地元の公立高校へと進学した。


 中学卒業時の私の学力は校内でも上位に位置するくらいまで上がっており、進学した高校はそこそこの偏差値の普通科高校だった。


 中学時代も高校に入ってからも、私には友達があまりできなかった。

 別に他人を避けていたわけではなかったけれど、私はいつも教室の隅で読書をしていたし、時折自分とブツブツ喋っていたので不気味だと思われていたのかもしれない。


 友達ができなかった代わりに、女子グループ間で起こるいざこざやイジメ等にも巻き込まれなかったので、快適な学生生活を謳歌する事ができた。

 少なくとも小学校時代よりはずっとマシだったのは間違いない。


 休日は家にいるのが嫌だったので、一人でカラオケに行ったり、図書館に行ったり、映画を観に行ったりして、優雅なぼっち生活をして過ごしていた。


 そして、私が高校に入学して一月が過ぎた頃だった。


 私は読んでいた小説のワンシーンに影響されて、いけない事だとはわかっていたけれど、学校の屋上で授業をサボってみたくなった。


 休み時間のうちに屋上に上がった私は、塔屋の影に隠れて授業が始まるのを待ち、授業が始まると同時に読書を始めた。

 授業をサボるのは初めてだったので、授業開始のチャイムが鳴ってからもしばらくドキドキが止まらずに読書どころではなかったが、サボりという行為には何ともいえない奇妙な解放感があった。


 すると————


「おい! 誰だ!?」

 突然頭上から声が降ってきて、私は先生に見つかったと思い、本を取り落とす。

 頭上を見ると、塔屋の端からは意地悪そうに笑う男子生徒が顔をのぞかせていた。


「びびってやんの」

 男子生徒はそう言うと、顔を引っ込めて、私のいる所まで梯子で下りてくる。

 その男子生徒の顔はまるで中学生のように童顔で、背は私と同じくらいに低かった。


 確か彼は、私と同じクラスの鈴木なんたらという名前だった気がする。


「えーと、確か……雨宮だっけ?」

 鈴木君は私が落とした本を拾い上げ、汚れを払ってから私に手渡す。


「いつも本読んでるから真面目な奴かと思ってたけど、サボりとか不良じゃん。先生に言ってやろ」

「す、鈴木君もサボりでしょう?」

 私がそう言うと、鈴木君は「違う!」と言った。


「何が違うの?」

「いいか? もし今学校にテロリスト達が攻めてきたとするだろ?」

「……うん」

「まず職員室が制圧されて、生徒達は全員人質にされる」

「……うん」

「しかし、テロリストの奴らは気付いていなかった。屋上で一人の生徒が昼寝をしていた事に」

「……うん」

「学校の異常に気が付いたその生徒は、単身テロリスト達に挑み、次々と生徒達を解放していく。そして一騎討ちの末にテロリストのリーダーを倒し、学校を救ったヒーローとなったのだ」

「……うん」

「そして夕日が沈みゆく校舎を背にして、校庭でヒロインと無駄に長いキスをするんだ」

 鈴木君は一人でウンウンと頷き、ドヤ顔で私を見た。


「……なんの話?」

「つまりだな、そういう事態に備えて俺はサボっていたというわけだ」

「結局サボってるじゃん」

「……まぁ、そうだな」


 そんな出会いをきっかけに私と鈴木君は知り合いとなり、教室でもよく話すようになった。


 鈴木君はアホっぽく見えて意外と読書好きで、私達は互いに好きな本や映画を勧め合ったりもした。

 それからテスト前には、勉強が苦手な鈴木君に私が勉強を教えたりもした。


 鈴木君という友達ができたおかげなのか、家の事で荒れがちだった私の精神状況は徐々に落ち着き始め、両親の事も少しだけ気にならなくなっていった。

 そして私は自分と対話をする事も、自分を俯瞰から見る事も少なくなった。


 そんな日々が数ヶ月続いたある日の休日、私は鈴木君と二人で繁華街に映画を観に行く事になった。

 男の子と二人で遊びに行くのは……というか、友達と遊びに行くのも初めてだったので、正直かなり緊張したけれど、私は私なりにおしゃれをして家を出た。


 初めて見る私の私服姿に鈴木君は、

「馬子にも衣装だな」

 と、失礼な事を言ったけれど、その頃には鈴木君が素直に人を褒められない性格である事はりかいしていたので、それは一応褒め言葉として受け取っておいた。


 そして、映画を見終わった私達が、どこかカフェでも入ろうと話していた時の事だった。


 視界に入ったある人物の姿に、私は体が硬直した。

 私と鈴木君の前方から、友人らしき数人の男の子達と連れ立って歩いてくる人物。

 それは小学校時代のクラスメイト、白石君であった。


 ドクンと心臓が高鳴り、私は自分の精神を慌てて俯瞰に持って行こうとする。

 しかし、久しぶりに精神をコントロールしたせいか、うまくいかずに強い目眩を覚えた。

 それは精神のコントロールをミスしたせいなのか、白石君の姿を見たせいなのかはわからない。

 ただ私は、猛烈に気分が悪くなり、路地裏へと駆け込んで嘔吐した。


「おい! 大丈夫か雨宮!?」

 私は鈴木君に嘔吐する姿を見られたくなかった。

 しかし、その場から逃げようと思っても嘔吐は止まらず、足は思うように動いてくれずに、私は吐瀉物の中に膝をつく。


 そんな私の背中を、鈴木君は靴に吐瀉物がかかるのも構わずに撫で続けてくれた。


 私は情けなくて、虚しくて、悲しかった。


 それから鈴木君は自販機で水を買ってきてくれて、少し落ち着いた私を人気の少ない公園のベンチに連れて行ってくれた。


「体調悪かったのか?」

 鈴木君の問いに、私は首を横に振る。


「……何かあったのか?」

「話すと長くなるから……」

「そうか……」

 それっきり鈴木君は何も言わなかった。

 しばらくして、先に口を開いたのは私だった。


「ごめんね……」

「別にいいよ」

「靴、弁償するから……」

「別にいいって。こんなの洗えば済むし」

「でも……」

 すると、鈴木君は呆れたような表情で言った。


「あのさぁ、俺ってそんなに冷たい奴に見えるか?」

 そう問われたら答えはノーだけれど、その時私の脳内では罪悪感だけが渦巻いており、ただどう謝罪すれば良いのかという事しか考えられなかった。


「別に雨宮が弁償しなきゃ気が済まないっていうならいいけど、俺はエコ推進派だからこの靴洗って使うぞ? んで、二足同じ靴があっても困るし、結局俺ん家の狭い靴箱を圧迫するだけだっつーの」

「うん……ごめん」


「一々謝るなって! めんどくせぇなぁ……。俺達友達じゃねぇのか?」

「……友達なの?」

「じゃなかったらなんなんだよ! ゲロかけられただけに、これで二人は臭い仲ってか?」

 鈴木君の語り口に、落ち込んでいたにも関わらず、私は思わず笑ってしまう。


「臭いとか言わないでよ」

「確かに今のはデリカシーがなかったな。柔軟剤の匂いがした」

「それはそれで嫌だ……」

「お前、もしかして毎朝柔軟剤飲んでるのか?」

「飲むわけないし!」


 そんなやりとりをしばらくした後、鈴木君は言った。


「まぁ、何があったか知らねーけどさ、話くらいならいつでも聞くから。俺にはそんくらいしかできないけど」


 それから私は鈴木君と一緒に公園の水道で靴を洗い、家へと帰った。

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