第55話

 それから私は最下層まで降り、鈴木君の姿を探した。

 海を探し、島の上を探し、拡声器まで持ち出して、声が枯れるまで周囲に呼びかけた。


 しかし、鈴木君の姿も、もう一人の私の姿も、どこにも見当たらなかった。


 自分でもわかっていた。

 あの時見た光景が幻ではない事など。

 それでも探さずにはいられなかった。


 鈴木君の姿を探す間、彼と過ごした三ヶ月の思い出が幾度となく脳内を巡った。


 こんな事になるならば、この世界に残る事を選択すれば良かったと幾度となく思った。


 そうすれば鈴木君が消える事などなかったのに。

 こんなに悲しい思いをしなくて済んだのに。


 自分の愚かさをどれだけ悔いただろうか。

 これが自らの死さえももう一人の私に押し付けた罰なのだろうか。


 飲まず食わずで睡眠もろくに取らずに、鈴木君の姿を探し続けて三日が過ぎた頃、私の体は限界を迎え、躓いた拍子に地面に倒れ込む。


 空腹も、喉の渇きも、疲労も感じなかった。

 ただ視界がボヤけ、身体には力が入らなかった。


 このまま死んだらどうなるのだろう。

 私のために用意されたこの島群は消え、私も海に落ちて溶けるのだろうか。

 そうすれば鈴木君と一つになれるのだろうか。

 そんな考えが頭をよぎった。

 いっその事そうなれば良いと。

 鈴木君と一緒にいられるなら、それでも良いと。


 すると、そんな私に語りかける声があった。


「そんなヒロイックな事考えちゃって。鳴海はバカだなぁ」


 聞き覚えのあるその声は、あの日消えたはずの明子ちゃんの声だった。

 辺りに明子ちゃんの姿はなく、その声は私の内側から語り掛けているようであった。


「鈴木君はそんな事望んでないって、自分でもわかってるでしょう?」


 鈴木君は私と一つになる事を望んでいない?

 では、鈴木君は何を望んでいるというのだろうか。


「ほらほらぁ、よーく思い出して」


 思い出す……何を?

 鈴木君との思い出は、この三日間に反芻し尽くした。

 記憶が擦り切れる程に。


「あー、また悪い癖がでてるねぇ。辛い事から逃げる症候群」


 確かに私はこれまで辛い事や苦しい事から目を背けて生きてきた。

 辛い現実から逃れるためにもう一人の私を生み出し、失恋の痛みから逃れるために鈴木君を生み出した。明子ちゃんだって、孤独の恐怖から逃れるために生み出した存在だ。


 そんな私が目を背けている鈴木君との記憶。

 それは————


「鈴木君が海に落ちた時……?」

「正解」

 そうだ、私は鈴木君が消えたという事実から目を背けて、この三日間鈴木君を探し続けていた。

 でも、あの時の事を思い出して何になるというのだろう。


「本当に好きだったんなら、最後の言葉くらい聞いてあげたら?」

「最後の……言葉……」


 ボヤける意識の中で、私はあの時の記憶を再生する。

 悲しみが胸をギリギリと締め上げるが、それでも私はかき分けるように記憶を辿った。


 私が鈴木君の名を叫んだあの時、鈴木君は私を見た。

 そして、何かを言った。


 鈴木君の声は遠過ぎて聞こえなかった。

 彼は最後に何と言ったのだろう。


 更に深く、鮮明に記憶を探る。

 鈴木君の最後の姿を。


 記憶の中で、遥か遠くにいる鈴木君の口が小さく動いた。


 海へと落下しながら、彼が最後に私に向かって言った言葉。

 それは————


『生きろ』


 生きろ。

 彼は私に生きろと言ったのだ。

 それが、鈴木君の最後の言葉、最後の願いだった。


「いやー、別に私はね、彼の言うことを無理して聞く必要はないと思うんだけどね、せめて思い出すくらいはしてあげなきゃかわいそうじゃない?」

「明子ちゃん……」

「じゃあ、後はご自由に」


 それっきり、明子ちゃんの声は聞こえなくなった。

 それと同時に、鈴木君が本当に消えたのだという実感が津波のように押し寄せてくる。

 それはこれまで感じた事のない、吐き気がするほどの悲しみの奔流であった。


 私は泣いて、泣いて、泣いて、やがて立ち上がり、体を引きずるようにして歩いた。


 そして近くにあったコンビニに入ると、ドリンクコーナーに置かれていたペットボトルの水を飲み干す。

 更に私はおにぎりを手に取り、引き裂くようにパッケージを開けて、食らい付く。

 三日間何も食べていなかったせいか、大き過ぎる悲しみのせいか、胃は食料を受け付けずに、私は吐いた。

 それでも私は新しいおにぎりを開けて、また食らい付く。

 そして空腹が満たされるまでひたすら、食べて吐いてを繰り返した。


 そして満腹になった私は、気を失うように眠りについた。


 眠りの中で、私は夢を見た。

 夢の中で、私は鈴木君と手を繋いで歩いていた。

 そこがどこかもわからない、ただ真っ直ぐな道を、いつまでもいつまでも歩いていた。

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