第56話
目を覚ますと、コンビニの外は夜の闇に包まれていた。
眠りについたのが確か明け方だったので、十二時間以上は眠っていた事になる。
あのような事があったのに、なんだかとても幸せな夢を見たような気がした。
夢の余韻に浸りながら辺りを見渡すが、そこに鈴木君の姿はない。
当然だ、鈴木君は私を助けるために海へと落ちて溶けたのだから。
私はもう二度と鈴木君の姿を見る事も、声を聞く事もできない。
新しい鈴木君を生み出す事はできるだろう。
本物の鈴木君をモデルにした鈴木君ではなく、この世界で共に過ごした鈴木君をモデルにした鈴木君を。
でも、私はそうするつもりはない。
それをしてしまえば、鈴木君が唯一の存在では無くなってしまうから。
だから私は辛くても鈴木君の死を受け入れる。
今度こそ自分の悲しみに自分で立ち向かってみせる。
そう決めたのだ。
カウンター奥にあった水道で顔を洗い、身支度を整えた私は、コンビニを出て上空を見上げる。
無数の島底に遮られて目視する事はできないが、遥か上空には天空マンションがあり、その屋上にはまだ元の世界への帰り道が開いているはずだ。
私は空に向かって跳んだ。
天空マンションを目指して。
そこに待つ『
胸にのしかかる痛みを噛み締め、堪えながら、いくつもの島を渡った。
そしてまだ朝日が登り始める前に、私は天空マンションへと到達した。
☆
駐車場から見上げると、マンションの屋上から伸びる光の柱は三日前と変わらず、夜明け前の空へと向かっている。
鈴木君の消滅を受け入れ、思い出の詰まった天空マンションを前にするのは辛かった。
私はここで鈴木君と出会い、生活し、恋をしたのだ。
このマンションのあちこちに彼との思い出が残っている。
今にもエントランスから、彼がいつもの愛想の無い顔でひょっこりと出てくるのではないかと、ついそんな事を考えてしまう。
でも、そんな事はあり得ない。
そうわかっていながらも、私は彼の面影を探して最後にマンション内を見て回る。
駐車場、エントランス、エレベーターホール、705号室、119号室。
どこを歩いても、彼との思い出が色濃く残っていた。
ほろほろと自分自身が思い出の中に溶けてしまいそうな程に、切なかった。
一通りマンション内を見て回り、再び外に出た私は駐車場の中央に立ち、屋上を見上げる。
多分これが最後の跳躍になるだろう。
元の世界に戻ればこの跳躍能力も消えて、私はただの人となる。
名残惜しさはある。
でも、どんなに楽しい夢にも、どんな悪夢にも必ず終わりが訪れる。
だから私はこの感覚を忘れぬように、力強く跳んだ。
風と共に自らが空に溶けていくようなこの感覚を、いつまでも忘れぬように。
☆
着地した屋上の中央には光の円が描かれており、それが天へと昇っている。いや、逆に天から降り注いでいるのだろうか。
テレビゲームのワープポイントのように、随分分かりやすく親切な仕様だ。
あそこに足を踏み入れれば、魂である私は元の世界の肉体へと戻り、病院のベッドで目を覚ますのだろう。
ふと辺りを見渡すと、屋上の床が所々黒ずんでおり、それはクリスマスの夜に鈴木君が用意してくれた花火のせいだ。
『俺、雨宮といたら楽しいよ。結構』
クリスマスの夜に彼が口にした言葉が耳に蘇る。
「……私も、楽しかったよ」
そう呟いて、私は万感の思いと共に光の円へと足を踏み入れようとした。
しかし————
フッ
光の円が消え、私はその場に踏み止まる。
「……え? なんで? どうして!?」
戸惑う私を背後から巨大な影が覆い、私は振り返る。
そこにいたのは……。
「ナールーミーチャーン……」
マンションよりも大きい、巨大で真っ黒な『人』であった。
スライムのように粘り気のあるドス黒い液体で象られた巨人の額からは、もう一人の私が生えており、私を見てニンマリと笑っていた。
「この世界は死後の世界。だから、あなたにとっての『死』が存在理由である私の言う事を聞いてくれたんだ……。この世界はあなたの死を歓迎してくれるんだってぇ」
彼女が何を言っているのか、私には理解できなかった。
ただ理解できた事は、目の前に存在するそれは私にとっての敵であり、絶望的な程の力を持っているという事。
私はゆっくりと、もう一人の私へと向き直る。
「ねぇ、怖い? 悲しい? 死にたかったんでしょう?」
私がその巨人と戦う事も、逃げる事もできないのは明白であった。
弱い私には鈴木君の最後の願いさえ叶える事はできないのだ。
それでも————
私は今にも全身が震え出しそうになるのを堪え、もう一人の私を睨み付ける。
腫れた目の端から、涙が伝った。
「あなたの願い、叶えてあげるね……」
もう一人の私が右手を振り上げると、黒い巨人もそれに呼応するように右手を振り上げた。
あの手が振り下ろされれば、私は潰れされて死ぬのだろう。
もしくはマンションごと海に叩き落とされるのだろうか。
怖い。
悲しい。
虚しい。
それでも私は目を逸らさずに、精一杯の声で叫んだ。
もう、自分の人生に絶望しないと決めたから。
「バカヤローーーーー!!!!!!」
それと同時に巨人の手がゆっくりと振り下ろされ、私に『死』が迫ってくる。
その時、水平線の向こうから朝日が昇った————
「雨宮、諦めるな」
耳元で鈴木君の声が聞こえ、マンション全体が光に包まれる。
そしてマンションが、いや、島全体が、ゴゴゴと地響きをあげて激しく揺れ始めた。
「うわぁ!?」
思わず尻餅をついた私の目に、信じられない光景が飛び込んでくる。
コンクリートと鉄筋でできた巨大な腕が、巨人の手から私を庇ったのだ。
よくよく見ると、それは天空マンションの一部がロボットのように変形したものであり、マンションの右側は大きく崩れている。
そしてマンションは、もう片方の腕で巨人を殴り飛ばした。
唖然とする私の眼前に一塊の光が舞い降りて、私に手を差し出す。
「言っただろ、お前を守るって」
その光の塊は鈴木君の姿をしていた。
「す、鈴木君……どうして……」
「この世界は人に死を与える。だからあいつに力を貸した。でも、この世界は『生きた魂の集合体』でもある。だからあいつにだけ手を貸して、生きたいと願うお前には力を貸さないっていう道理はねぇだろ」
「ど、どういう事?」
「つまりだな……」
私が起き上がると、マンションは再び大きく振動し、よろめく私を鈴木君が支える。
「後はお前がどうにかしろって事だ!!」
鈴木君の声と共に、マンションから生えた腕はこちらに向かって来る巨人の両肩を掴む。
巨人が動けなくなると、鈴木君はフワリと浮き上がり、もう一人の私へと向かって飛ぶ。そして彼女の胸ぐらを掴むと巨人の額から引っこ抜いて、マンションの屋上へと投げ飛ばした。
「あぐっ……!!」
もう一人の私は屋上の床を転がり、よろめきながら立ち上がる。すると、黒い巨人は液体となって崩れ、海へと消えていった。
「俺にできるのはここまでだ」
鈴木君の体は、徐々に薄れ始めていた。
「……鈴木君」
「前を見ろよ。敵はお前自身だ」
マンションを包む光が消え、マンションロボットは沈黙する。
そしてマンションの屋上には朝日に照らされた私と、恨めしげに私を睨み付けるもう一人の私だけが残された。
私達は対峙し、互いに睨み合う。
「ううっ……うううう……殺す……私を……殺す……」
「……」
私は大きく息を吸い、拳を構えて叫んだ。
「来いよオラァ!!!!」
「あぁぁぁぁぁあ!!!!」
私達はどちらともなく駆け出して、振りかぶった拳を繰り出す。
そして次の瞬間、互いの顔面に全力の拳がめり込んだ。
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