第9話

 私がマンション島から跳び移ったのは、住宅街の一端と広い公園が並んでいる、全長二〜三百メートル程の中規模の島だった。

 この島はマンション島の近くを浮いている事が多いので、私も何度か足を踏み入れた事がある。通称『公園島』だ。


 この島群には公園島の他にも様々な島がある。

 多くの島は特徴の無い住宅街や森林やオフィスビルで埋められているが、中にはショッピングモールが建っている『モール島』や、小さな映画館がある『映画館島』、他にも『美術館島』や『学校島』等、特定の施設を中心としている、名前を付けやすい島もあるのだ。


 私は適当な住宅の屋根に上り、公園島を見渡す。そして手をメガホン代わりにして大きな声で叫んだ。


「誰かいませんかー?」

 毎度の事ながら返事はない。

 マンション島以外の島を調査し始めた時は、新聞屋さんの勧誘のように島にある建物を一軒一軒訪ねて回っていたけれど、いくら探しても誰も見つからないので、今では初めて訪れる島でも一通り島の中を歩いて回りながら呼びかけをするだけである。まぁ、それでも結構手間はかかるのだけれど。


 この島はもう調査済みなので、私は他の島へ移動するために、軽く助走をつけてから島の対岸を目掛けて走り幅跳びのように大きく跳ぶ。

 全身に受ける風が少々肌寒いが、凄いスピードで景色が後方に流れてゆくのは気持ちが良い。

 私の跳躍能力は縦方向への移動だけでなく、平面での移動にも使えるのだ。一回のジャンプで跳べる距離はせいぜい百メートルくらいだけど、角度を調整すれば障害物を無視できるので、連続して跳べば原付バイクで移動するよりかは早いと思う。


 しかしながら、移動が早くて楽しいというのは良い事だ。

 いつになるかはわからないが、元の世界に戻ればまたえっちらおっちら歩いて移動せねばならないと思うと少し憂鬱になる。


 何度か跳ぶと、マンション島から着地したのとは逆の島端に辿り着く。

 そこから見渡すと、近くを浮いている島がいくつかあり、タイミング的には二つの島に飛び移れそうだ。


 ほぼ真横を通過しようとしているのは、昔ながらの商店街らしき街並みがある『商店街島』、そしてやや下方に見えるのは、二階建ての小さな図書館が建っている『図書館島』だ。

 どちらも何度か訪れた事のある島ではあるが、今日の私は商店街のある島を選んだ。


 商店街島を選んだのには別に深い理由はない。

 ただ探索のついでに『買い物』をしていこうと思ったからだ。


 走り幅跳びの要領で商店街島に跳び移ると、そこはちょうど商店街のメインストリートだった。

 民家を改装したようなレトロな商店が、燻んだタイルの道に一直線に並ぶ光景は、古い邦画に出てくるワンシーンのようで、どこか懐かしさを感じさせる。


 私が元の世界で住んでいた町にはこんな商店街はなかったし、買い物といえばもっぱらコンビニや大型スーパーや複合施設であったけれど、それでも青空の下にありながら夕暮れ時を感じさせるこの商店街は、なんとなく懐かしいような気がしてしまうのだ。人間の感覚とは不思議だ。


 この島も先程の公園島と同じで、いつ来ても無人である。

 一応呼びかけをしてみるものの、やはり人は出てこない。

 先程の公園島は人が出歩いていなくてもそんなに違和感はなかったけれど、昼間の商店街という本来ならば人が出歩いていなければ不自然な空間に人がいないというのは、ゴーストタウンのようでどこか物悲しい。


 もしかして天空マンションもこの商店街も、私と同じで元の世界からここに飛ばされてきたのだろうか。そうだとすれば、ここにいた人達はどうなってしまったのだろうか。

 この世界に来てから何度も考えた事だが、結局自分で解答を出すのは不可能だった。


 考え込んでいても仕方がないので、私は『買い物』をするために商店街を歩き出す。

 この世界での私の買い物のやり方は少し変わっている。

 まず店に立ち寄って商品を選び、それを肩掛けカバンに入れて、一礼をして店を出る。これがこの世界での私の買い物だ。

 そう、この世界での私の買い物には会計という過程がないのだ。元の世界でいうところの泥棒である。


 まぁ、これは他の部屋の物を持ち出したり食べたりするマンションでの生活の延長のようなものだ。

 他人の物を盗んだり勝手に使う事は悪い事であるが、この世界に他人が居なければ『他人の物』は存在しないというわけで、即ちこの世界の物は全て自分のものであるという理論だ。

 この世界で快適に生きるコツは、いかに開き直るかである。


 正直、この世界に来た当初よりもかなり薄れてはいるが、罪悪感がない事はない。

 泥棒まがいの買い物の件だけではなく、マンションでの勝手気ままな生活についてもだ。

 しかし、私がこの世界に存在しているからにはこの世界に適応しなければならない。この生活スタイルは私なりのこの世界への適応なのだ。


 それから、店の商品はマンションの冷蔵庫の中身と同じで、一度取ってもまた別日に来るといつの間にか同じ物が補充されている。そしてやはり腐ったりする事がない。この現象は本当に不思議だ。


 さて、今日は何を『買って』帰ろうか。


 私はまず桜屋という看板が出ている小さな和菓子屋に入り、どら焼きを二つカバンに入れた。

 ここのどら焼きは生地もあんも美味しくて、甘いもの好きな私はこの島に立ち寄るたびについ買ってしまうのだ。

 ただ、この店は商品がショーケースに入れられているので、カウンターの裏に回って商品を取り出さねばならない。これではますます泥棒である。


 次に私は食料品も売っている雑貨屋でシリアルとレトルトカレーと缶詰めを、それから本屋に立ち寄り何冊かの文庫本をカバンに入れた。

 本屋を出るときにチラリと漫画雑誌の棚を見ると、そこには『立読み禁止!』の張り紙の下に週刊の漫画雑誌が並んでいた。そして、それらは全て私がこの世界に来た二週間前のものである。


 「どうせなら毎週新しいのに変わってくれればいいのに」と思った私に、「いつまでこの世界にいるつもりだよ」と、もう一人の私がツッコミを入れた。

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