第10話

 買い物を終えた私は商店街の外れにあるレトロな喫茶店に入り、カウンター裏にあるオーディオで勝手に適当なジャズのCDをかけながら、昼食がてらに先程手に入れたどら焼きを食べていた。

 私はコーヒーは甘い缶コーヒーしか飲めないし、コーヒーの淹れ方も分からないので、冷蔵庫から引っ張り出した牛乳をセルフサービスでグラスに注ぐ。どら焼きにはコーヒーよりもやっぱり牛乳だ。

 というか、あの咳止めシロップよりも遥かに苦い液体のどこが美味しいのか、私にはまだわからない。大人になればわかるのだろうか。


 どら焼きと牛乳の完成されたコンビネーションに舌鼓を打ちながら、私はこれからどうするかを考える。

 別にわざわざ喫茶店に入る必要はなかったのだけれど、昼間から喫茶店で今後の予定を考えるというシチュエーションがオシャレでいい感じではないかと思ったのだ。


 壁掛け時計の示す時刻はまだ昼過ぎ。

 日暮れまではまだ時間もあるし、少し遠出して、まだ足を踏み入れていない島を探索してみてもいいかもしれない。


 正直、脱出の手掛かりが見つかるような気はしていなかったが。


 別にやる気がないわけではない。

 でも、この二週間いくつもの島を見て回ったけれど、新しい暇潰しスポット以外は何も見つかっていないのだ。二週間もぴょんぴょん跳び回って何の成果も得られていないのだから、多少不貞腐れてしまっても仕方ないではないか。

 ファンタジー映画やゲームのように、わかりすく祭壇に祀られているアイテムや、壁に描かれている意味深な暗号、ヒントをくれる喋る動物なんかもいやしない。これがゲームならばいわゆるクソゲー認定してしまうところである。


 なんだかなぁ……跳躍能力に目覚めた時は、もっと胸躍る大冒険が待ち受けているかもしれないと思ったりもしたけれど、結局そんなことはなく、私は毎日ダラダラと地道な探索作業ばかりしている。モチベーションは日々下がるばかりだ。


 とはいえ、このまま何もせずにこの世界で成人を迎えて還暦を迎えて棺桶に入るまで一人ぼっちで過ごすわけにもいかないので、私は残りのどら焼きを牛乳で流し込み、ちゃんと後片付けをしてから喫茶店を出た。

 今日こそは脱出の手がかりを何か見つけてやるのだ。


 それから商店街島を後にした私は特徴のない島を三つほど渡り歩き、小学校が丸々一校と、その周辺の住宅が何軒か建っている『小学校島』へとやってきた。

 因みに小学校の入り口に掲げられた校名は『第二山田小学校』で、どこにでもありそうな校名だけれども私の知らない学校だ。


 私はこの島にも以前立ち寄ったことがあり、その時は小学校の中まで探索したりもしたのだけれど、誰もいない学校というのはなんだか気味が悪くて、早々に校舎を後にしたのだった。


 小学校か……。

 私が小学校を卒業したのはもう四年も前になる。

 小学生時代の私は今と変わらず読書好きでありながら、結構やんちゃで、気の弱い女子にちょっかいを出す男子と喧嘩したりもした……ような気がする。


 校舎を見ながら昔のことを思い出していると、ツキンと少しだけ頭痛がしたけれど、すぐに治ったのであまり気にしなかった。


 懐かしさに駆られて少しだけブランコを漕いだ後、私は小学校の屋上まで跳躍して上り、辺りを見渡す。すると、島の周辺にはまだ足を踏み入れたことのない浮島がいい具合にいくつか見えた。


 パッと私の目についた島は二つ。

 一つは小学校島と同じくらいの高さにあり、墓石がズラリと並んだ墓地がある島。そしてもう一つは、この島よりもやや下方にあり、生い茂る木々の合間に小さな神社らしき建物の屋根が見える島だ。


 私は大して迷うことなく、神社のある方の島を選んだ。

 先程商店街島を選んだ時のように、これまた大した理由はないのだが、実は私は怖いものが結構苦手であり、お墓とかそういうお化けが出そうな場所があんまり得意ではないのだ。

 別に晴れている日の昼間のお墓なんてそんなに怖くはないだろうけれど、お墓と神社の二択を選ぶのであれば、やはり神社を選んでしまう。それに神社というと、なんだかいかにもありがたい情報やヒントが隠されていそうではないか。こういうのも『ゲーム脳』というのだろうか。


 神社のある島はゆっくりとこちらに近づいてきてはいるが、普通に跳び移るにはまだ少し遠い位置にある。

 別にこのまま島が近づいてくるのを待っていても良かったのだけれど、高さのある屋上からであれば『いける』と判断した私は、屋上の中央付近まで下り、落下防止の柵に向かって助走をつけて走り出した。


 一……二の……三っ!!


 スピードが乗ったところで、私はタイミングを計って思いっきり床を蹴る。

 すると————


「うわぁっ!?」

 勢いよく跳躍した私は柵の先端に靴のつま先を引っ掛けてしまい、空中で大きく一回転する。しかし跳躍の勢いは完全に死んではおらず、中途半端に跳んで小学校島から飛び出してしまった。


 やばい。

 周辺に着地できそうな島はない。

 遥か下方には海が見える。

 このままでは海まで真っ逆さまだ。


 海に落ちたらどうなるのだろうか。

 少なくともこの世界で落下死する事はないだろうけど、跳躍能力は足場がなければ使えないだろうし、下手すれば二度と島郡まで上がることができなくなってしまうかもしれない。

 そうなればどこか陸地まで泳いでいくしかないのだけれど、そもそもこの世界に他に陸地があるかは分からないし、あったとしても天空マンションからも見えないほどに遥か彼方だ。到底泳いで辿り着けるとは思えない。


 とにかく、今私はピンチに陥っていた。

 私は落下しながら、咄嗟にスカイダイビングのように体を大の字に広げる。

 全身に風圧がかかり、体を傾けることによって少しならば落下位置を調整できそうだ。


 私はできるだけ下にある島に狙いを定め、体を傾けて落下位置を調整する。そして————


 ボフン


 水面近くを浮いている島の畑の上に、全身で着地……いや、墜落した。


 口に入った土を吐き出しながら、私はゆっくりと立ち上がる。

 服や靴は土まみれだし、この様子では顔も酷いことになっているだろう。これが洋画であれば「シット!」とか、「オーマイガー!」と言いたいところだ。


 辺りを見渡すと、そこは畑と鉄塔があるだけの小さな島であった。

 上空を見ると、無数に浮いている島の底が見える。

 どうやらかなりの距離を落ちてきてしまったようだ。

 これでは夜までにマンション島に帰れるか分からない。面倒なことになってしまった。

 しかしながら、海に落ちなくて済んで本当によかった。


 私は全身についた土を払いながら島の端へと歩み寄り、下を覗き込んだ。

 二十メートルほど下方には、近くで見ても美しいブルーハワイの水面が見える。辺りにこの島よりも低い位置に浮いている島も見当たらないし、恐らくここが島群の最下層であり、水面に一番近い島なのだろう。


 透き通った水面はかなりの深さまで見通すことができるが、海底は見えず、魚も泳いでいる様子はない。

 その時、ふと水面を見下ろしている私の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。


 ……コレは本当に海なのだろうか。


 私はこの世界に来てから、これまでその存在を海だと疑うことは無かった。しかし今、眼下にある明らかに海でしかないものが、どうしても海だとは思えない感覚に陥っていた。


 海だと思っていたものが海ではない。

 それは本来恐ろしいと思うべきことなのであろうが、私は不思議と怖くはなかった。むしろ、それはなんだか穏やかで暖かく、力強く優しい存在のように思えたのだ。


 水面を見続けていると、意識がスーッと水面へと引き寄せられてゆく。

 全身から力が抜けて、ぐらりと体が傾いたところで、私はなんとか意識を引き戻した。

 慌てて水面から視線を切った私は、頭を軽く振りながら数歩後ろへと下がる。


 もしかして今、私は結構危なかったのではなかろうか。

 今の現象は一体何だったのだろう。

 しばらくその場で考え込んでいたが、結局答えを出す事はできずに、私はマンション島へと家路に着くのであった。

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