第26話

 モヤモヤが収まらぬ私がモヤモヤとスポンジを泡立てながら食器を洗っていると、


 ゴトゴト


 突然玄関の方で物音がした。

 私はビクリとして、音のした玄関の方を見る。

 鈴木君だろうか。

 この世界に物音を立てるものは他にいない。

 まさか鈴木君が私にいかがわしいことをしに……。

 いやいや、そんなバカな。もしそうだとすればタイミングが良すぎる。でも……。


「鈴木君?」

 私が恐る恐るドアに向かって声を掛けると、ドアの向こうから足音が遠ざかってゆくのが聞こえた。

 多分鈴木君で間違い無いだろうけど、一体なんだったのだろう。


 ドアを開けて外を見ると、そこには誰もおらず、代わりに昔の携帯電話のような機械と紙袋が置かれていた。

 携帯電話のような機械は、確かトランシーバーという無線通信機だ。この世界では携帯やインターネットの電波は通っていないけれど、これは無線機なので通話ができるかもしれない。


 私は以前見た戦争映画の真似をして、トランシーバーのボタンを押しながら「もしもし」と話しかける。そしてボタンから指を放すと、雑音と共に向こう側から声が返ってきた


『もしもし、聞こえますか。どうぞ』

 それは鈴木君の声であり、聞き慣れぬ彼の敬語に私は思わず笑いそうになってしまう。


 しかし、鈴木君はなぜ突然トランシーバーを私の部屋の前に置いていったのだろうか。

 確かにこれはこの世界では電話の代わりになって便利ではあるけれども……。

 もしかして、お腹が減った時にこれを使って、ホテルのルームサービスみたいに私を呼び出すつもりだろうか。


「聞こえますよ。これはなんですか? どうぞ」

 私が返すと、また雑音と共に鈴木君の声が聞こえてくる。


『お前、この前の事まだ怒ってるのか? どうぞ』

 この前の事とは、あのビキニの件しかないだろう。


「別に……怒ってはいないけど……。あ、どうぞ」

 そう、別に怒っているわけじゃない。私がただ勝手にモヤっているだけだ。


『じゃあ、なんで俺ん家来なくなったんだよ。どうぞ』

「そ、それは……」

 鈴木君に変な事されるんじゃないかと思って、だなんて言えるわけないではないか。もしくは鈴木君を男の子として見ている自分に戸惑ってだなんて。


「ちょっと色々忙しくて。どうぞ」

『忙しいってなんだよ。どうぞ』

「忙しいのは忙しいの。どうぞ」

 我ながら誤魔化しが下手だ。


『まぁ、いいけど……。あのな、今日はトランシーバーのテストと、とりあえずこの前の事を謝りたいと思って、このトランシーバーを家の前に置かせて貰った。そのまま聞いてくれ』

 謝りたいと言われても、別に怒っているわけじゃないのに。


『そのー……。この前雨宮にビキニを渡したけど、別にあれにエロい気持ちとかは全然なかったんだ。でも、俺とお前しかいないこの世界でああいう事されたら色々警戒しちまうよな。俺のデリカシーが足りなかった。すまん』


 なんと。

 あの鈴木君がこんなに素直に謝罪の言葉を口にするとは……。

 いや、それよりも、鈴木君が私の心を覗いたかのように気持ちを汲んでいてくれた事が驚きだ。そして恥ずかしい。


『それから、あれは冗談の意味もあったんだけど、それだけじゃなくて……』

 あのビキニに冗談以外の意味がある?

 どういう事だろうか。


『ほら、ホームセンターがある島わかるか? あの近くに温水プールがあるスポーツジムが建ってる島があるんだ。その事を思い出して、今度一緒に泳ぎにいかねぇかなって思ったんだよ』

 なるほど、あのビキニにはそういう意味があったのか。

 それを邪推して私は……。

 顔から火が出る程に恥ずかしいとはこの事だ。


『あの時はお前が怒ってると思って言い出し辛かったんだけど、色々誤解させてたならごめんな。以上』


 そう言って、鈴木君からの通信は途絶えた。

 私は何と言えばいいのか分からず、数分程その場に立ち尽くす。そして紙袋の存在を思い出し、中身を見た。


 紙袋の中身は、どこから探してきたのかわからない変なキャラクターのぬいぐるみと、スカートのついたピンク色の水着であった。

 私は今度は堪え切れずに思わず吹き出してしまう。

 そしていてもたってもいられず、鈴木君の部屋に向かった。


 鈴木君の部屋はいつも鍵をかけていないので、ドアを開けてそのまま中に入る。

 すると寝室でトランシーバーを見つめていた鈴木君は、驚いた顔で私を見た。


「なっ!? ノックくらいしろよな!」

 慌てふためく鈴木君を前にして、私は手に持ったままだったトランシーバーに向かって話しかける。


「デリカシーのない男を発見しました。どうぞ」

 すると鈴木君も私に倣ってトランシーバーに話しかける。


「だから謝っただろ。どうぞ」

「なんかこっちこそごめん。どうぞ」

「何でお前が謝るんだよ。どうぞ」

「とにかくごめんなの。どうぞ」

「まぁ、別にいいけど……。どうぞ」

「それから、水着のサイズ合ってないんだけど。どうぞ」


 こうして、ビキニ事変は無事に収束し、その日の夜私達は三日振りに一緒に食事をした。

 そして、その翌日に私達はスポーツジムに泳ぎに行ったのであった。


 結局私はジムで売っていたスポーツ用の水着を着たのだけれど、鈴木君に水着姿を見せるのはやっぱりちょっと恥ずかしかったし、鈴木君の方もちょっと恥ずかしそうにしていた。

 まぁでも、そんなに悪い恥ずかしさではなかった。

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