第14話

 そして———— 


 スマートフォンの上での日付は十一月十日。

 私が旅に出てから三週間目であり、この世界にやってきてから二ヶ月が過ぎようとしていたある日の夕方、私が足を踏み入れた島は百島に達した。


 ひゅおうと風がそよぎ、私の髪と、長く伸びた雑草の群れを揺らす。


 記念すべき百島目の島は、木の杭とロープに囲まれた荒れ果てた広い空き地と、それを斜めに横断する砂利道、そしてその中程に設置された自動販売機と小さなプレハブ小屋があるだけの、ろくに調べる場所すらない物哀しい島だった。


 私は自動販売機の上に腰掛け、甘い缶コーヒーを飲みながら、ほぅと息を吐く。

 それから緩慢にポケットからスマートフォンを取り出し、夕陽の沈みゆく空と、島の風景の写真を撮った。

 別に寝不足でも激しい運動をしたわけでもないのに、なんだか酷く疲れていた。

 スマートフォンを再びポケットにしまってから背後を振り返ると、そこには私がこれまで踏破してきた多くの島々が見える。


 そして正面に向き直ると、前方には背後に浮く島々よりもずっと多くの島が浮いているのが見えた。

 正面だけではない。

 右にも、左にもだ。

 上空にも、下方にも、まだ足を踏み入れていない島が沢山ある。

 マンションのある島から虱潰しに調べてきたつもりだが、背後にも調べ損ねている島があるだろう。


 あといくつの島を調べれば、私は元の世界に帰る事ができるのだろうか。

 あとどれだけの夜を一人で過ごせば、私は日常に戻る事ができるのだろうか。


 この三週間、それを努力と呼べるかは知らないが、私は私なりに一生懸命に脱出の手掛かりを探してきた。


 何を探せばいいのか、どう探せば何が見つかるのかもわからないまま、建物を、道を、路地裏を、物陰を、そこに何かがあるかもしれないと、数え切れない肩透かしを喰らいながらも自分を励まして探し続けてきた。


 だけど、何も見つからなかった。

 誰もいなかった。

 そしてこれからも、何も見つかる気がしなかった。

 虚無感と、疲れと、焦りと、不安が、降り積もった雪のように私の心に満ちていた。


 なぜ、誰が、何のために私をこの世界に連れて来たのか、これまで何度も何度も考えた。

 でも今はそんな事はどうでもいい。

 沈みゆく夕陽を見ていると、例の感情がゴポゴポと湧き水のように溢れてくる。


 こんな事ではだめだ。

 まだ何も見つかっていないのに、こんな所で挫けるわけにはいかないのだ。

 夕陽とこの島の風景のせいで何だかセンチメンタルな気分になってしまったけれど、美味しい物を食べて寝ればまた明日には元気になっているだろう。


 大丈夫だ。

 私は大丈夫。

 これまでだってなんとかやってきた。

 この世界は快適だし、跳ぶ事もできる。

 ご飯だって食べ放題だ。

 そうだ、今日は何を食べよう。

 お肉だろうか、お鍋にしようか。

 手に入れば甘い物も食べよう。

 今日はモンブランが食べたい。

 あ、でも、お芋系もいいなぁ。

 暦の上では秋だし、秋といえばお芋だよね。

 この世界に季節があるのか知らないけどさ。

 うーん、でもやっぱり……。


 でも、やっぱり————


 でも、やっぱり私は————


 私は————


 寂しい。


 そう思ってしまった次の瞬間、胸の内で何かが崩れ、目の端から熱い何かが溢れてきた。

 頬を伝ってゆくそれは、私がこの世界で流す初めての涙だった。


 止めようとしても、堪えようとしても、一度決壊した涙腺は止まる事を知らずに涙を体外へと排出し続ける。

 私の意図に反して嗚咽が漏れ、溢れ出す強い感情に歯がカチカチと鳴る。


 誰かに会いたい。

 話したい。


 誰でもいい。

 一瞬でもいい。

 一言でもいい。

 私以外の命がこの世界に存在している事を証明して欲しい。


 寂しさで涙を流してしまった事がなんだか子供みたいで恥ずかしくて、悔しかった。


 私は涙と鼻水を袖で乱雑に拭いながら、震える足で立ち上がり、空を睨みつける。

 そして力の限り足元を蹴り————跳んだ。


 風圧が頬を伝う涙を弾き飛ばす。

 しかし新たな涙がまた溢れてくる。


 私は涙を中空に散らしながら、何度も、何度も、繰り返し跳んだ。

 あの日マンションの屋上で初めて跳んだ時のように。

 どこにいるかもわからない、存在するかもわからない誰かに、自分がここにいる事を知らせるために。

 そして、自分が今ここで生きているという事を証明するために。


 その日私は、孤独とは痛みに似た苦痛である事を知り、私の旅は僅か三週間で終わりを告げた。

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