第3話

 ここが夢の中なのか、天国なのか、はたまた漫画やアニメに出てくるような異世界なのかは分からない。

 しかし、ただいつまでも座っていても仕方がない事は確かなので、私は心を落ち着けて持ち物の確認から始めた。


 とは言っても、私の持ち物は今着ている学校の制服と、スカートのポケットに入っていたスマートフォンとハンカチだけである。

 スマートフォンは電源は入っていたものの、電波が届いておらず、試しに家や友達にかけても、警察や消防にかけても呼び出し音すら鳴らなかった。


 私は役に立たないスマートフォンで浮島の写真を何枚も撮ってから、屋上の出入り口からマンションの中に入った。

 まずは階段で最上階まで下り、フロアを見渡す。

 フロアには人の姿はなく、私はエレベーターで一階まで下りた。エレベーターのボタンを見る限り、このマンションは十階建てのようだ。


 エレベーターを降りると、すぐ近くにあったドアのプレートには管理人室と書かれており、とりあえずインターホンを押してみる。


 ピンポーン


 呼び出し音は鳴ったものの、誰も出てきてはくれない。


 それにしても、先程屋上から外面を見た時はそんな風には思わなかったが、内から見るとこのマンションはなかなかボロい。壁は燻んでいて所々にヒビが入っているし、デザインも「とりあえず人が住めるようにしました」と言わんばかりのシンプルなもので、まるで古い集合団地の一棟のようだ。


 マンションのエントランスから外に出た私は、断崖に沿って浮島を一周してみるも、人の姿は見当たらない。

 近くを飛んでいる浮島を観察してみても、やはり人の姿は見られない。


 私はどうすればいいのかわからず、ベランダ側からマンションに向かって

「誰かいませんかー?」

 と軽く声を掛けてみたが、誰も窓から顔を出さない。

 ベランダには植木鉢等が置かれているのは見えるが、洗濯物は干されていない。

 「こんなに良い天気なのに、洗濯物を干さないのはもったいない」などとトンチンカンな事を思ってしまった自分に思わず苦笑しそうになる。


 それにしても参った。

 もしかしたらこの浮島には、いや、この島々が浮いている不思議空間一帯には、自分以外には人がいないのではないかという不安が胸を過ぎる。

 もしそうであれば、私はこれからどうすればいいのだろうか。誰かがここまで迎えに来てくれたりしないのだろうか。


 どのような手段であれ、私がここに来られたという事は、帰る手段もあるとは思う。

 多分、あるとは思う……。

 しかし、もし私がヘリコプターや飛行機でここまで連れてこられて置き去りにされてしまったとかであれば、私にはどうしようもない。


 先程から思ってはいるが、そもそもここは現実の世界なのだろうか。

 もしかしたら現実の私は自宅のベッドの上で寝ていて、今ここにいる私はまだ夢の中にいるのではないだろうか。でないと島が空に浮いているだなんていう現状に説明がつかない。


 まぁ、ただ考えていても仕方がない。とりあえず今できる事をやろう。


 それから私はマンション内に戻り、ズラリと並んだドアのインターホンを片っ端から押してみたが、やはり誰も出てこない。


 十軒ほどインターホンを押した後、試しに適当な部屋のドアノブを回してみると、ドアには鍵が掛かっておらずにあっさりと開いた。

 恐る恐る中を覗くと、玄関に靴はなかったものの、下駄箱の上には陶器の置物がいくつか置かれていて、床には足拭き用の敷物が敷かれており、廊下の奥に見えるドアのガラス越しにはテレビやソファーも見えて、生活感がありありと感じられる。


 他にもいくつかの部屋のドアノブを捻ってみたが、驚くべき事にどのドアにも鍵は掛かっておらず、ドアの向こうにはそこで生活をしているであろう人々の個性が感じられる光景が広がっていた。そして、やはりどの部屋にも住人の気配はなかった。

 このマンションの現状に、私はなんとなくマリーセレスト号の話を思い出してしまう。


 もしかすれば奥の部屋には人がいたのかもしれないけれど、このような状況とはいえ知らぬ人の家にズカズカと入っていって、居留守の理由を問いただす度胸も図々しさも私にはなかった。


 あまりにも不可解な状況に、傾げる首が一つでは足りない。


 私の頭上にはいくつもの疑問符がぐるぐると回っており、それらを捕まえて五線譜に並べれば一曲作れてしまいそうだ。


 いくつかのフロアを見て周り再びマンションの外に出た私の目に映ったのは、マンションの入り口横に置かれた飲み物の自動販売機であった。

 自動販売機には電源が入っており、エレベーターが動いた事も合わせて考えれば、どうやらこの島には電気が通っているらしい。

 電線は島の端で途切れていたけれど、どこかに発電機でもあるのだろうか。

 いや、島が浮いているようなでたらめな世界で、電気がどうのこうのだなんて考えても仕方がないか。


 喉が渇いていたわけではなかったが、落ち着くために何か飲もうと考えた私は自販機の前に立つ。そして、そこで自分が財布を持っていない事に気が付いた。


「あー……もう」

 不可解な状況に置かれている事も含めて、急にムシャクシャしてきた私は、やけっぱちに自販機のボタンを適当に押してみた。すると——


 ガゴン


 自販機の取り出し口から鈍い音が響いた。

 取り出し口を開けると、中には缶コーヒーが一本。

 それを取り出すと、缶コーヒーは手の中でヒンヤリと冷たかった。

 缶コーヒーと自販機を見比べ、今度は炭酸飲料のボタンを押してみる。


 ガゴン


 再び鈍い音が響き、炭酸飲料の缶が取り出し口に現れた。

 私はそれを取り出し、二つの缶を見比べる。

 誰かがお金を入れっぱなしにしていたのだろうか。

 釣り銭排出のレバーを引いてもお金は落ちてこない。


 もしかして、これは無料の自動販売機なのだろうか。

 ない事はないだろうが、果たしてそんなものがマンションの入り口に設置してあるものだろうか。それともこの自販機が故障しているのだろうか。そもそもこんな浮島の自販機に誰がジュースを補充しているのだろうか。


 またいくつか疑問符が増えてしまったが、とりあえず私は手元にある飲み物をありがたくいただく事にした。

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