第52話

「ねぇ、本当に元の世界に戻ってもいいの?」

「お前がそうしたいならそうするべきだろ」

「だって、元の世界に鈴木君の体は無いんだよ?」

「別にそれは構わねぇよ。俺は元々そういう存在なんだし、なんならお前の体が俺の体だ」


 鈴木君が私の頭の中に入ってくると考えると、なんだか恥ずかしい気もする。

 いや、でも元々鈴木君は私の中にいたわけだし、私の事は全部知ってるのか。

 しかし、この世界で個人として過ごした事により、鈴木君は新しい自我を得ただろうし、元の鈴木君とは結構違うのかもしれない。


「元の世界でお前を守れなかった事はショックだったけど、俺はこの世界に来れて良かったと思ってるよ。お前に作られた存在としてじゃなくて、ちゃんと俺としてお前を好きになれたからな」

「……うん」

 この鈴木君が私の中にいてくれるのなら、私はきっとやっていける。自分を好きでいてくれる人が、いつも自分の中にいてくれるのだから。

 私はもう、自分の人生を恨んだりはしない。


「鈴木く……」

 私が話しかけようとした時、鈴木君は口元に人差し指を立てた。

 そして私の背筋を悪寒が襲う。


「……あいつだ」

 鈴木君は窓から離れると、私の手を引いてレジカウンターの裏に隠れる。


 そして店の外から、固いもので何かを引っ掻くようなギリギリという音が聞こえてきた。


「鳴海ちゃぁん、どこにいるのかなぁ」

 もう一人の私の声と共に、ギリギリという音は徐々に私達のいるレストランへと近付いてくる。

 あの音は恐らく肉切り包丁で窓ガラスを引っ掻く音だろう。


「やっぱり追いかけて来たか……」

「もしかしたら、鈴木君が私のいる場所を感じ取れたみたいに、あの子にも私のいる場所が感じ取れたのかも」

「マジかよ」


 彼女が病院で私を追って来なかった理由をもっと早くに考えるべきであった。彼女には私を確実に捕まえる自信があったのだ。


「近くにいる事はわかってるんだよぉ。ほら、出てきてぇ」


 ガシャンと、近くにある店のガラスが割れる音が聞こえた。

 どうやら私のいる場所を正確に探知できるわけではないらしい。しかし、危機的状況にある事には変わりない。


「どうしよう……」

「隠れててもいずれ見つかるし、正面から出てもあいつに捕まるだけだ。あいつが少し離れたら裏口から逃げるぞ」


 私は小さく頷く。

 そして、一つの事に気付いた。


「あ、リュック……!!」

 そう、私は先程ソファーからカウンター裏に移動してくる時、リュックサックを置き忘れてきたのだ。

 このままでは窓から覗かれると、リュックサックを見られてしまう。


 私はリュックサックを取りに行こうと、カウンターから身を乗り出す。

 しかしその時、窓ガラス越しに人影が映った。

 人影、それはもう一人の私のものに他ならない。


 私は慌ててカウンターへと引っ込み、鈴木君を見た。

 すると鈴木君は、

「……雨宮、トランシーバーの電源は入ってるか?」

 と聞いてきた。

 心臓が破裂しそうな焦りの中で私は頷く。

 万が一何かあった時のために、トランシーバーの電源は常に入れていたはずだ。


 鈴木君は頷くと、

「絶対に動くなよ」

 と言い、側に置かれていた大きなダンボールを私に手渡し、カウンターの陰から厨房へと入ってゆく。

 私は鈴木君の意図が理解できなかったが、取り敢えずダンボールを頭から被る。

 暗闇が私を包んだ。


 すると————


「鳴海ちゃん、ここにいるのぉ?」

 窓ガラス越しに、もう一人の私の声が私を呼ぶ声が聞こえた。

 私は悲鳴を漏らしそうになる口に手を当てて、彼女がリュックに気付かずに通り過ぎてくれる事を祈る。


 しかし。


「あ……」

 それは明らかに何かを見つけた声であった。

 そして、ドアに設置されていたベルがカランカランと音を立てる。


「鳴海ちゃん、かくれんぼは終わりだよぉ。何もしないから出てきてよぉ」


 古今東西でそのセリフを吐いて本当に何もしなかった人物がいるだろうか。

 いっそカウンターから飛び出して逃げようかと思ったが、今の私は体の震えを堪えるので精一杯であった。

 足音が一歩一歩とこちらに向かって近付いて来る。


 その時————


『雨宮! そっちにあいつが向かってる! すぐそこを離れろ!』


 突然、リュックサックに入れていたトランシーバーから鈴木君の声が響いた。

 そしてその直後に、厨房の奥でドアがバタンと閉まる音が聞こえた。


「鳴海ちゃんいたぁ!!」

 もう一人の私が歓喜の声をあげると、ダンボールに隠れた私がいるカウンターの横を足音が駆け抜けてゆく。

 そして厨房の奥から再びドアの開閉音が聞こえた。


 私はダンボールを脱ぎ、震える手足でハイハイをしながら店内を見渡す。

 すると、鈴木君がレストランの入り口から私を手招きしていた。

 鈴木君は私がレストランの裏口から逃げたと思わせて、正面に回り込んでいたのだ。


 私はカウンターを抜け出し、ベルを鳴らさぬように手で押さえながらレストランを出る。そして泣きそうになりながら鈴木君の手を握った。

 私だけでなく、鈴木君の手も小さく震えている。


「うまくいって良かった。あいつが向こうを探してるうちに離れるぞ」

 私は頷き、鈴木君と共に駆け出した。

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