第30話

 スマートフォンの表示で一月一日。

 元の世界では年が明けて、お正月を迎えていることだろう。


 この世界に来た当初は、まさか私も年明けまでこの世界に滞在することになるとは思っていなかった。

 この世界に来てから、なんだかんだでもう四ヶ月目である。

 もしかしたらこのままズルズルと過ごして、半年、一年、十年と滞在してしまうのではないだろうか。

 いや、帰ろうにも、そもそもこの世界から帰る方法がわからないのだけれども。


 あのクリスマスから一週間が過ぎようとしていたが、私は相変わらず脱出方法も探さずにダラダラと過ごしていた。

 そして、もしかしたら帰還の鍵になるかもしれない鈴木君の説得もしていなかった。


 あの日鈴木君が寂しげな顔で言った言葉。


『なぁ、ずっとここにいないか?』


 あの言葉が気になって、私は迂闊に鈴木君に『帰ろうよ』と言えなくなってしまったのだ。

 出会った当初、鈴木君は一人でも寂しくないというようなことを言っていたけれど、もしかしたら彼は私に帰ってほしくないのではなかろうか。

 だから花火など用意して私を引き止めようと……。

 いやいや、それは流石に考えすぎだろう。

 あの花火もただクリスマスだからという事で用意しただけで、あの言葉も専属のコックとしてこの世界にいてくれ的な意味合いだったのだろう。

 そうでなければあの鈴木君があんなこと言うはずがない。


 でも……。


 何だかまたモヤモヤモードに入ってしまった。


 自室で考え込んでいた私が窓の外を見ると、空は相変わらず呑気な青空であった。

 まるで、『もう何も考えなくていいじゃん。とりあえず本気で帰りたくなるまでのんびりしちゃいなよ』と語りかけているようである。

 いかんいかん。元の世界に帰るという目標を見失っては、本当にこの微睡のような世界に囚われてしまう。そうなれば私は鈴木君とこの世界のアダムとイヴになって一生を……。

 以前よりも、そのイメージを強く拒絶できない自分の心境に焦りを感じた。


 好きとか嫌いとか、まだそういう段階ではないのだろうけれども、私は確かに以前よりも強く鈴木君を異性として意識するようになったとは思う。

 クリスマスの時だって、屋上で私の肩に上着をかけてくれた時は『男の子っぽいなぁ』とか思ったりもした。

 でも、今はそんな事にかまけている場合ではないのだ。

 色恋だの何だのは元の世界に帰ってから、普通の人生を歩みながらいくらでもすれば良い。

 でも、もし二人共この世界から帰れる事になって、鈴木君がこの世界に残ると言い出したら私はどうすれば……。


 ああ、鈴木君の馬鹿野郎。

 鈴木君と出会った時は確かに脱出の予感を感じていたのに、今は彼のせいでこんな風に悩む羽目になっているではないか。とんだ厄介者だ。


 思考が煮詰まってきた私は、こうなったらやけ食いで気晴らしをしようと、今朝作ったお雑煮に入れるお餅をベランダの七輪で焼き始める。

 この七輪と炭は他の島の古い民家の庭から拝借してきたものだ。やっぱりお餅は七輪で焼くに限る。味がどう違うかはハッキリとはわからないけど、雰囲気的にね。


 すると、寝室のテーブルに置いていたトランシーバーがザザッと音を立てた。


『メーデーメーデー、上階の雨宮宅から火災のもよう。何やら香ばしい匂いが漂ってまいります。どうぞ』

 私は七輪のもとを離れ、トランシーバーを手に取る。


「火災ではありません。お餅を焼いているだけです。どうぞ」

『左様でございますか。俺の分はありますか? どうぞ』

「焼けばあります。食べたかったらうちまで来てください。どうぞ」

『了解、直ちに急行します。通信以上』

 私はトランシーバーをテーブルに置き、小さくため息をつく。

 そう、鈴木君の声を聞いて思い出したのだが、腹が立つのはあれから鈴木君があのクリスマスの事を何も言ってこないという事だ。


 あんな思わせぶりなことを言っておいて一体どういう了見だろう。おかげで私はこんなにモヤモヤしているというのに、彼は毎日呑気な顔で食事をせびりにくるだけである。

 昨日は『お節料理って、かずのこと栗きんとん以外はあんまり美味くねえよな』などと言っていたが、私がおせちまで作ると思っているのだろうか。まぁ、一応栗きんとんは作ったけれども。


 網の上でぷっくりと膨れる餅に習い、私もぷっくりと頬を膨らませた。

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