第40話


 一息ついた彼女は、再び話し始める。


「記憶が消えているのは、この世界の自浄作用っていうのかな……。魂が溶け込むときに悪い感情を持ち込ませないために、元の世界での嫌な記憶とかを全部消しちゃうんだよ。この世界に来た時点で」

 という事は、多くの記憶が消えている私や鈴木君は、元の世界で余程嫌な事があったのだろうか。特に家族や友人等の人間関係に関する事で……。

 それが、彼女の言っていた『元の世界に戻ってもろくな事にならない』に関係するのだろう。


「で、島の事だけど、これはこの世界に来た魂が、スムーズに『新しい生命体』に溶け込むために、自我を失うまで長い孤独を経験する場所なの。長い孤独の生活で自我を失った魂は、温もりを求めて自然と海に惹かれて落ちてゆく仕組みなんだよ。ただ、さっき言ったみたいに魂が溶け込むのに邪魔になる悪い感情を極力排除するために、何かと快適に生活できる仕組みになってるみたい。だから、沢山浮いてる島もそうだし、空とか太陽とか月も全部作り物みたいなもんなの」

 

 彼女の説明だけでは理解できない部分もあるが、道理で都合の良い世界だと思った。

 もしかしたら天国とか地獄とか、今際の際とか黄泉比良坂とか三途の河とか、そういうのを諸々ひっくるめた死後の世界という概念は、一度この世界を訪れてから元の世界に戻る事ができた人間が広めたのではないだろうか。

 特に雲の上にあるとされている天国なんて、まさに私達が今いるこの世界そのものではないか。


 すると、首を捻りながら話を聞いていた鈴木君が、また不満そうに口を開く。


「いや、それにしてもおかしいだろ。死にかけてる人間なんて元の世界にいくらでもいるだろうし、なんでこの世界には俺達しかいないんだよ」

 確かに鈴木君の言う通りだ。

 この世界に浮いている島群は広いとはいえ、せいぜい直径数百キロくらいだ。元の世界で何人の人が、何匹の生き物が現在進行形で死にかけているかは知らないが、半年も生活していて全く出会わないという事があるだろうか。


「あなた達、この世界がこの『星』一つだと思ってるの?」

「どういう事だよ?」

「だーかーらー、あなた達がいるこの『星』は、『新しい生命体』の細胞の一つに過ぎないの。んで、あなた達の魂がどの細胞に送られるかは、ほぼランダム。だから、例え元の世界で一億人が死にかけていたとしても、同じ『星』に送られる可能性は天文学的な確率なの」


 スケールが大き過ぎて、思わず私はポカンと口を開けてしまった。確か人間の体は何十兆という細胞で構成されていると聞いた事がある。その細胞のどれか一つを全人類でランダムに選んだとして、誰かと被る事はまずないだろう。鈴木君と私が出会った事は、きっと奇跡を越える超奇跡なのだ。


「あなた達が気になっていたみたいだから一応説明したけど、この世界の事は理解できた?」

「まぁ……少しは。で……結局私達は元の世界に帰れるの?」

 そう、なんやかんやと説明されてきたが、大事なのはそこだ。


「うん。あなた達の肉体は一命を取り留めたみたいだし、帰れるよ。じゃないとこの場所への道標は出ないはずだから」

 帰れるという彼女の言葉に、私はひとまず胸を撫で下ろす。

 道標とは、あの光の柱の事だろう。


「でも、私はずっと帰りたいと思ってたのに、どうして今更?」

「それは……過半数を取ったからかなぁ。あなた達は何かと珍しいパターンみたいだから、この世界の知識を与えられた私にも分からない」

 過半数というと、鈴木君と私の意見が一致したからという事だろうか。

 何にせよ、二人で元の世界に帰れるのであればそれで良い。


「色々教えてくれてありがとう。で、どうやったら帰れるの?」

 私が問うと、彼女はまた眉を顰め、モジモジとし始めた。


「だからぁ……そのー……。そこのベッドに寝ているあなたに触れたら二人共記憶が戻るようになってて、その後あなた達がこの世界に来た時の場所に戻れば元の世界に帰れるんだけどぉ……。記憶を取り戻したら帰りたくなくなるかもよ? それでもいいの? ここなら自我を失うか海に落ちるまでずーっと快適に過ごせるんだよ?」


 そう言われると少し身構えてしまう。

 きっと彼女の言う通り、これまでの私の人生はあまり良いものではなかったのかもしれない……。

 でも、今の私には、これからの私には鈴木君がいる。


「この世界の記憶は元の世界に持って帰れるの?」

「さぁ? 人によるとしか……」

 曖昧な答えだ。

 それでも、希望があるのならば私は前に進める。

 鈴木君を見ると、鈴木君も私の顔を見ていた。

 そしてその目には決意と覚悟が宿っている。


「わかった。ありがとう」

 私が二度目のお礼を言うと、彼女は複雑そうな表情を浮かべた。


「じゃあ……」

「……おう」


 私と鈴木君は手を繋いだままベッドまで歩き、どちらともなく手を放す。


 そして二人同時に、ベッドに横たわる私に手を触れた。

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