第33話
一月九日。
その日私は119号室の寝室にて、大きなリュックサックに必要な物を詰めて、出掛ける準備をしていた。
それは別に鈴木君の『マンションから出ていけばいいだろ』発言を間に受けて、引っ越しをするためではない。とある調査をしに行くためだ。
あの元日は、私と鈴木君に不仲を与えた。
でも、それだけではなかった。
あの日の会話の中で、私は次に調べるべきものに気が付いたのだ。
この世界には謎がいくつもある。
空に浮く島、消えた住人、いつの間にか補充されている物、どこから引いているのか分からない水や電気、移ろわぬ季節、跳躍能力、数えればキリがない。
それらを解き明かす事が、この世界からの脱出に繋がるのではないかと私は思っている。
そして、それらの謎の中に、まだちゃんと調べていないものが一つある。
それは、あの意識が吸い込まれる『海』だ。
私は海に意識を吸い込まれそうになったあの日以来、探索の旅の中ですら、怖くてあまり海に近付かなかった。でも、海という形で確かにそこに存在しているのだから、調べる事は可能なはずだ。
調べても何もわからないかもしれないけれど、今はただがむしゃらにできる事をやるしかないのだ。
そういうわけで、私は海を調べるために最下層へと向かう準備をしていたというわけだ。
荷物を詰め終えた私は、リュックを背負って119号室を出ると、エレベーターで一階まで降りた。
そしてエントランスからマンションの外に出た時だ————
「「あっ」」
私は鈴木君と鉢合わせてしまった。
買い物帰りらしき鈴木君は、インスタントラーメンやスナック菓子の入ったビニール袋を両手に抱えている。
もしかしてこの一週間、ずっとこんなものばかり食べて生活していたのだろうか。いくらこの世界では病気にならないとはいえ、少し心配になってしまう。
まぁ、鈴木君からすれば余計なお世話だろう。
私は元の世界でもこんなお節介な人間だったのだろうか。
私が気まずさに目を泳がせると、鈴木君が口を開いた。
「……出て行くのか?」
ハッとした私は首を横に振る。
「ううん。ちょっと探索に出ようと思って」
「……長くなるのか?」
「明日には戻るよ。ちょっと下の方を調べに行くだけだから」
私がそう言うと、鈴木君はほんの少しだけ安心したような表情を浮かべて、「そうか」と言った。
私達はどちらとも動けずに、気まずい沈黙が当たりを包む。
そして、次に口を開いたのはほぼ同時だった。
「「あの……!!」」
言葉が被ってしまった私達は、口を開いたままお互い硬直する。
「鈴木君からどうぞ」
私は鈴木君に向かって、どうぞと手を差し出す。
「雨宮から言えよ」
鈴木君も私に向かって、ビニール袋ごと手を差し出す。
そんなやり取りを数回繰り返して、結局先に折れたのは私だった。
いや、心の中では先に折れようと決めていた。
だって、私は自分が悪いという事に気付いていたから。
「この前はごめん」
私が頭を下げて顔を上げると、鈴木君はプイと目を逸らした。
「この前は私、なんかしつこくしちゃって……。嫌な思いさせちゃったよね」
鈴木君は何も言わない。
「それから、私、これまで鈴木君に甘えてた。一人じゃ何も見つけられないくせに、脱出できない事を心のどっかで鈴木君のせいにしてた。それもごめん」
鈴木君はチラリと私を見て、また目を逸らす。
「私、一人でも頑張ってこの世界から帰る方法を見つける。それで、もし帰る方法が見つかったら……」
そこまで口にして、私はようやく自分の気持ちに気が付いた。
私はこの口の悪い男の子と、鈴木君と、これからも一緒にいたいのだ。
男女の好きとか嫌いとか、そういう気持ちなのかはまだ分からない。でも、私は確かに鈴木君と一緒にいたいと思っている。
「一緒に帰ろう。私、もっと鈴木君と一緒にいたいから」
思えば、私はこれまで鈴木君に散々脱出を手伝うようにお願いしてきたけど、一緒に帰ろうと言ったのは初めてだった。
本当はずっとそうしたいと思っていたのに、帰りたくないという鈴木君の気持ちを尊重するふりして、ずっと言えなかった。
素直じゃないのは私の方だったのだ。
すると、鈴木君はゆっくりとこちらを見た。
そして呟く。
「ズルいよな」
「ズルい?」
別に何かズルをしたつもりはないのだけれど、どういう意味だろうか。
「……何でそういう事を恥ずかしがらずに言えるんだよ」
なるほど、そういう事か。
「だって私、鈴木君と違って素直だから」
それは嘘だ。
でも、少しくらい意地悪言ってもいいよね。
私はこれまで鈴木君の事でずっとモヤモヤしていたんだから。
「大体、俺と一緒にいたいならこの世界にいればいいだろ!」
「だって私は帰りたいんだもん」
「わがままかよ!」
「わがままだよ。鈴木君はどうなの?」
私がそう言うと、鈴木君は一瞬フリーズする。
そしてしばらく口籠もり、私の目を見て言った。
「……俺も、雨宮といたいよ」
愛の告白じゃないけれど、青空の下で鈴木君の顔は明確に赤くなっていた。きっと私の顔も赤くなっていただろう。
「で、でも! それとこの世界から帰るかどうかは別だからな!」
「わかってる。だから、脱出方法が見つかったら、ちゃんと話そう。ずっと二人でこの世界で暮らすか、二人で元の世界に帰るか」
「……おう」
やるべき事はやり、想うべき事は想う。
誰かや何かに振り回されるフリをして、自分を見失ってはいけない。
それはきっと元の世界でも活かされる教訓だろう。
別れ際に、鈴木君は小さく「気をつけて行けよ」と呟いた。
それを聞いた私は頷いて、駆け出し、島の端から大きく————
跳んだ。
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