第49話 エプロン秘話と新しい関係
「それに婚約指輪じゃなくても、実質それに等しいものはもらっていますから」
とほのかさんは言うが、俺には全く心当たりがない。
「どういう事ですか?俺が贈ったものって、駄菓子かエプロンくらいしかないですよね?」
「だからそのエプロンですよ。水本の女性に対してエプロンを贈るのはプロポーズに等しく、それを受け取るのは相手を受け入れるという意味なんです」
詳しく説明してもらうと、大戦中の日本では『水本家』も非常に苦しい立場に置かれ、かなりの数の男子が命を落としたそうだ。
そして戦後、お家復興を目指した『水本家』だが、本家の男子は病弱だった三男坊しか残っていなかった。
戦時中は身体の弱さ故に召集を免れ田舎で療養していたのだが、その間に父親と兄達が亡くなって家を継ぐ事になったのだ。
その際に良家の子女との縁談を持ちかけられたのだが、その人には心に決めた相手がいた。
それが療養中に、ずっと自分の世話をしてくれていた女中さんだった。
身分の高くない女性だったが、優しく親身になってくれた彼女に心を奪われた男性だが、その身分違いの恋は周囲の人間から大反対されたそうだ。
女性の方も男性を憎からず思っていたそうだが、彼の迷惑になってはと身を引こうとした。
だがそんな彼女に、彼は割烹着を渡し
「僕の妻になって欲しい。たとえ周囲が反対したとしても、僕は君以外の女性は嫌なんだ。だから、その割烹着を着てこれからも僕を支えて欲しい。君と一緒ならどんな困難にだって立ち向かえる。そう思えるのはこの世で君だけなんだ」
と言ったそうだ。
その後、彼は彼女に支えられながら見事『水本家』を復興させた。
それ以来、割烹着からエプロンに変わりはしたが『水本家』の女性へのプロポーズにはエプロンを共に贈る事が定番となり、今でもそれは続いているという話だ。
ちなみに何故割烹着だったのかといえば、食が細かった彼の為に彼女が工夫した料理を出していたのを感謝していたからだそうだ。
「そういう訳で私は既にエプロンを頂いていますので。婚約指輪の方はまあ、甲斐性を見せろって感じですね」
「甲斐性を見せるって割には婚約指輪の件はヒモみたいな真似しますし、エプロンにだってそういう意図はなかったんですけど良いんですかね?」
「問題ありません。今回は特殊なケースですけど、相手の男性を支える為に身の回りの世話をした例はありますから。それにエプロンの意味は母様から聞いてなかったんですよね?」
「はい。巴さんには何を選べばいいか相談しましたが、エプロンとは一言も言っていませんでしたし、品物を選んだのは俺自身です」
「誘導されていないのなら大丈夫ですね。……それと公平くん、私にとって重要なのは『公平くんが贈ってくれたエプロンを私が受け取った』という事です。それは私が自分で決めましたから」
そう言って、少し照れたように笑うほのかさん。
……だからそれはズルいんだってば、ほのかさん。
そんな顔見せられたら、我慢なんて出来る訳ないでしょうに。
俺は優しくほのかさんを抱きしめ、そっと唇を重ねたのだった。
そして翌日、午後三時頃に帰宅すると伝えた。
すると別れを惜しむように巴さんと遥ちゃんは幸に、ほのかさんは使用人の人達と話をしていた。
そういう訳で、俺はなぜか頼彦さんと光輝くんの相手をする事となったのだが
「あはは、男ばかりで貧乏くじでしたね義兄さん。まあ、姉さんに嫉妬されない為にはこの方がいいんでしょうけど」
「嫉妬って誰にだよ、光輝くん。巴さんや遥ちゃん相手にする必要はないし、まさか使用人さん達にじゃないよね?」
「う~ん、真田ならありうるのでは。義兄さんに庇ってもらえて嬉しそうでしたし」
「……言っておくが、ほのかを泣かせるような真似をしたらただではおかんからな」
「しませんよ!大体、俺にはほのかさんだけで十二分すぎますし、ほのかさんに相応しくなれるよう必死なんです。ほかの女の子に手を出す理由も必要もないですよ」
「……だってさ、姉さん。良かったね、義兄さんに愛されてて」
楽しそうな光輝くんの目線を追えば、俺の後ろに照れた顔のほのかさんがいた。
「……あの、公平くん。そう言ってもらえて凄く嬉しいんですが、人前ではちょっとだけ恥ずかしいです」
「す、すいません!あ、でも言った事は嘘じゃないです。俺はほのかさんに心底惚れていますから」
「……ありがとうございます。私も公平くんを愛していますよ」
そんな俺とほのかさんのやり取りを聞いて、頼彦さんは
「余計な心配だったな。全く、人前で惚気おって」
と、複雑そうな表情でそう言っていた。
そしてついに帰宅する時間となった。
「それじゃお世話になりました。また来月には顔を見せに来ますので」
「うむ。日程が決まれば連絡しなさい。皆、息災でな」
「はい!おじいさまもお元気で。みつきお兄ちゃんも、今度幸が来た時には一緒に遊ぼうね」
「そうだね。またさっちゃんが来るのを楽しみにしてるよ」
「うう~、さっちゃん。もう少しだけうちにお泊りしませんか?」
「いい加減にしなさい、遥。私だってさっちゃんと離れるのは寂しいのよ」
「……いえ、母様はまた理由をつけては橘家に来ますよね?」
最後にそんな会話をしつつ、俺達は武藤さんの運転する車に乗り込んだ。
行きと同じく高坂さんが同乗し、車に揺られる事一時間半、無事橘家に到着した。
「ここまでありがとうございました。高坂さんも武藤さんもお元気で」
「武藤、高坂。また来月には来てもらいますが、その時は頼みますね」
「はい。皆様もどうかお元気で」
「……幼少の頃よりお嬢様とご一緒しお世話してまいりましたが、そのお役目も今日で終わりでしょう。どうか橘様とお幸せにおなりくださいね」
少し涙ぐみながら高坂さんがそう言うと、幸は元気一杯に
「大丈夫だよ!ほのちゃんにはこうちゃんと幸がいるもん!みんなで絶対ぜ~ったいに幸せになるもん!」
と言い切った。
「……そうですね。お二人がおられるのであれば余計な心配でしたね。どうぞお嬢様をよろしくお願い致します」
高坂さんは納得したように微笑み、水本家に帰っていったのだった。
そして随分と懐かしく感じられる我が家だ。
実際には二泊しかしていないのだが、大晦日も含めその間にあまりにも色々な事がありすぎたからな。
俺が先頭で玄関のドアの鍵を開けた。
そして幸と共に先に家に入ると、二人で後ろを振り返り
「ほのかさん、お帰りなさい」
「ほのちゃん、おかえり~」
新しい『家族』をそう言って出迎えた。
そしてほのかさんは、満面の笑みで俺達にこう返した。
「はい。ただいま帰りました。公平くん、さっちゃん」
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