第16話 助けたい

 あの後色々と話を聞いて、翌日の土曜日に橘家にお邪魔する事となった。



 そして土曜日の午後、私は橘くんに教わった住所を頼りに橘家へ向かう。

 手にした買い物袋には、途中の商店街で購入した今晩の食材が入っている。

 姪っ子さんを元気づける為には、やはり美味しい食事も大事だろう。

 昨日聞いた姪っ子さんの好物であるハンバーグ、肉じゃがを中心に幾つかの料理を披露する予定だ。


 料理は花嫁修業の一環としてやってきたので得意だし、一人暮らしを始めてからもほぼ自炊していたので腕は落ちてはいないのだが


『身内の贔屓目もあるかも知れませんが、姉の料理はかなり美味しかったです』


 という橘くんの証言があるので油断できない。

 特に今回のような場合、求められているのは専門店の味ではなく家庭の味だ。

 どんなに私が美味しく作ったとしても、それは橘家の味ではないのだから。


 少し歩いて到着した橘家は、外観は特に変哲もない普通のお宅だった。

 表札で橘という名前を確認してチャイムを鳴らす。

 少しして玄関の扉が開いて


「いらっしゃいませ、水本先輩。どうぞあがってください」


「はい、おじゃましますね」


 橘くんに迎えられて家の中へと入っていった。

 この家に橘くんと姪っ子さんの二人暮らしでは、やや大きすぎる印象だ。

 本来であれば、正彦さん夫婦ももっと家族を増やす予定だったのだろう。

 それを思うと、少しこの家の広さが寂しく思えてしまう。


 家の中は比較的綺麗に掃除されている。

 橘くん一人で掃除するのは大変だろうが、そこはお掃除ロボットが活躍していると本人が語っていた。

 まずはキッチンに案内してもらって、買ってきた食材を冷蔵庫に入れておきたい。

 こういう時にさりげなく荷物を持ってくれるのはポイント高いですよ、橘くん。


 さて、食材を収めたら今度は姪っ子さんとの顔合わせだ。

 そこで注意しておかないといけないのは


「呼び方は『公平くん』『ほのかさん』で。間違えないように気をつけましょう」


「……あの、それってそこまで重要ですか?ちょっと気恥ずかしいんですが……」


「とても大事ですよ、公平くん。『ただの会社の先輩』と『お友達』では幸ちゃんに与える印象がまるで違いますからね。それじゃ、一度呼んでみて下さい」


 私がそういうと、公平くんは少し恥ずかしそうに


「……あ~、えっと、その……ほのか、さん」


「照れてちゃ駄目ですよ。はい、もう一度」


「あ~もう!ほのかさん!これでいいですか?」


「はい、十分です。でも、もうちょっと優しく呼んでもらえると嬉しいですね」


「……努力します」


 こうして、姪っ子である幸ちゃんに会いに行くのだった。



「ここが幸の部屋です。俺が先に行くので呼んだら部屋に入って下さい」


 そういい残して部屋に入ってゆく公平くん。

 部屋の中から話し声が聞こえ、少ししたら公平くんの


「いいですよ、入って下さい」


 と私を呼ぶ声がした。

 驚かせないようにそっとドアを開けて部屋に入ると


「……お姉ちゃん、誰?」


 と床に座って、こちらを見てそう呟く少女がそこにいた。

 ……そのを見た瞬間、何故公平くんがここまで憔悴していたのかが理解できた。

 この娘の目には、生きる気力も未来への希望も何も無かったからだ。

 とてもじゃないが、四歳の女の子がしていい目じゃない。


「……ほのかさん、この娘が姪の幸です。幸、この人は俺の友達で、今日はお前の為に晩ごはんを作りに来てくれたんだ」


 一瞬呆然としてしまったが、公平くんの言葉で我に返った。


「はじめまして、私は水本ほのかです。公平くんのお友達ですよ」


 私の挨拶にも反応は鈍い。

 ……一体この娘は、この年齢でどれだけ深い心の傷を負ったのだろう?

 それを考えると涙が出そうになるが、今必要なのは同情などでは決してない。


「……こうちゃんのお友達?」


「はい。貴女が幸ちゃんですね?公平くんから聞いてますよ。……ねえ、幸ちゃん。私とお友達になってくれませんか?」


 この娘とまともに話すには『公平くんのお友達』だけでは足りない。

 このままではきっと次に会う時、私の名前さえ覚えてはいないだろう。

 もっとこの娘の印象に残らなければ、元気づけるなど夢のまた夢だ。


 その為にはもっとこの娘に寄り添う必要がある。

 この娘に必要なのは、失った大切な人達との温もりであり、それでもなおこの娘を大切に思う人間が近くにいるのだと理解する事だ。


 出来るだけ優しく微笑んで、幸ちゃんを見つめる。

 同時にこの娘の両手を包み込むように握りしめた。


(私はあなたの味方です。あなたを傷つけたりしませんよ)


 思いが通じるように幸ちゃんの瞳を覗き込む。

 すると、ほんの僅かだが幸ちゃんの瞳が揺らいだように見えた。


「……うん、いいよ。幸とほのかお姉ちゃんお友達だね」


 表情は変わらなかったが、少しだけ雰囲気が柔らかくなった気がした。


「よろしくお願いしますね。それじゃ、腕によりをかけて美味しい晩ご飯を作りますから待ってて下さいね」


 そう言って公平くんと二人、幸ちゃんの部屋を出た。

 そしてキッチンまで行くと


「……公平くん、貴方が抱えているものの大きさがようやく分かりました。私も協力しますから、一緒に幸ちゃんの笑顔を取り戻しましょう」


 そう公平くんに告げた。

 公平くんはそんな私に


「ありがとうございます。幸を、あの娘を助けたいんです。ほのかさんの力を貸して下さい」


 少し涙ぐんだような声でそう言ったのだった。

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