第15話 放っておけない人

「橘くん、ちょっとお話があるんですがお昼休みいいですか?」


「あっ、はい。弁当買いに行くので多少遅れますが構いませんか?」


「はい。それじゃお弁当を持って会議室に来て下さいね」


 翌日、早速橘くんに話しかけて話し合いの場をセッティングした。

 まずは現在の状況を確認する必要がありますからね。

 そしてお昼休み、会議室で待っていたら橘くんが現れた。

 なるべく表に出さないようにしてはいるが、かなり憔悴しているみたいだ。


「お待たせしました、水本先輩。それでお話というのは……」


「とりあえず食事しながら話しましょう。時間も勿体無いですし」


 そして私はお手製のお弁当を、橘くんはコンビニのお弁当を食べ始めた。


「それで橘くん、お話というのは貴方の近況についてです。何でも亡くなった姉夫婦の子供を引き取ったと聞いたんですが……」


「……誰から聞いたんですか、それ」


「渡辺本部長からです。貴方の事を気にされていましたよ」


「そうですか。申し訳ありません。自分でも周囲に迷惑をかけている自覚はあるんですが……」


 橘くんはそういうと、沈んだ顔になった。


「あっ、勘違いしないで下さいね。決してそれを責めようという訳ではないんです」


「いえ、ミスしてるのは事実ですし。あくまでも個人的な事情ですから」


「……その姪っ子さんですが、そんなに酷い状態なんですか?ご両親が亡くなられてずっと落ち込んだままだって聞きましたけど……」


 私が聞くと、橘くんは辛そうに顔を歪めながら話してくれた。


「……亡くなったのは自動車事故が原因なんです。姪は幸という名前なんですがその事故では、俺の姉である母親に庇われて奇跡的に無傷だったんです。姉夫婦の亡骸を確認して病院へ向かうと、事情が分かっていない幸が無邪気に笑いかけてきました。

……俺は、そんな幸を抱きしめて二人が亡くなった事を告げたんです。……その事を理解したのか、理解したくなかったのかは分かりませんが壊れてしまったかのように泣き続けました。そしてそれ以来、幸はずっと落ち込んだままなんです」


 そこで橘くんは一度言葉を切った。

 橘くんの方を見ると、その目からは涙が溢れていた。


「……何で綾姉が、正彦さんが、幸がこんな目に会わないといけないのかって本気で思いましたよ。綾姉にはずっと苦労させていましたから、正彦さんと結婚して、幸が産まれてようやく幸せになれるんだってそう思っていたのにッ!正彦さんだって結婚する以前から面倒を見てもらっていた兄のような人でした。……そんな二人が残した忘れ形見なんです、幸は。他に頼れる親族なんて誰もいないんです。だから俺が幸を引き取ったんです。……俺が、幸の支えになってやらないといけないのに。なのに、全然上手くできなくて。幸を、あの娘を守るって誓ったのにッ!」


 悔しそうな表情でボロボロと涙を流す橘くん。

 人によっては男のくせに涙を流すだなんて、と言う人もいるかもしれない。

 だけど私には、その涙が何よりも尊いものに思えた。

 だってこの涙は、その姪っ子さんの事を思って流しているのだから。


 橘くんの望みはそのに立ち直って欲しい、元気になって欲しいというものだ。

 その為だけに慣れない生活に身を置き、その娘と生活を共にしている。

 上手くはいっていないようだし、そこに関しては反省すべき点もある。

 だけど橘くんにとって、その娘がとても大切な人だというのは理解出来た。


 だったら私のやるべき事は決まっている。

 ……仕方ないじゃない。私自身が橘くんを助けたいって思ったんだもの。


「橘くん、どうして上手くいかないのか理由は分かりますか?」


「……俺が不出来な人間だからです。きっと綾姉や正彦さんだったらもっと……」


「違いますよ。上手くいかない原因は、貴方がその問題を全部一人で抱え込んでいるからです」


「でも俺以外に親族はいないんです。わざわざこんな事に巻き込まれたい人間なんているはずもないですし」


「それはつまり、巻き込まれてもいいという人間がいたら協力される事はやぶさかではないと?」


「……あの、水本先輩?」


「どうなんですか、橘くん?」


「それは、確かに協力してくれる人がいたら助かりますけど……」


 よし、言質は取った。


「でしたら私が協力しましょう。まずは仕事のサポートと、一度その姪っ子さんにも会っておきたいですね」


「ちょ、ちょっと待って下さい!いくらなんでもただの会社の先輩にそこまでしてもらう訳にはいかないですよ!」


「ではただの会社の先輩後輩でなければいいんですよね?……でしたら橘くん、私とお友達になって下さい。お願いします」


 そう言って、私は右手を差し出した。


「……何で、水本先輩はそこまでしてくれるんですか?俺と先輩はそこまで親しい訳じゃなかったでしょう?」


「きっかけは従兄である渡辺本部長から頼まれたからではあります。でも、手助けしたいって思ったのは、橘くんがその娘の事を本当に大事に思ってるのが伝わったからですよ」


「ですが、先輩にそこまで迷惑をかける訳には……」


「では業務の一環という事で。仕事にも影響がありますし、ここは先輩のサポートが必要だと判断しました。橘くんはもっと周囲に頼りなさい。そういうのは先輩として見過ごせません」


「……強引過ぎませんか、それ?」


「それが何か?……橘くん、貴方が一番に考えるべきは私への迷惑だとか、先輩後輩だからとかではないでしょう。まずは姪っ子さんが元気になる事。違いますか?」


「……それは、その通りです」


「でしたら私の手を取りなさい。一人で抱え込む必要は無いんです。貴方の目の前には巻き込まれてもいいって言ってる人間がいるんですから」


 複雑そうな顔をする橘くんが、迷ったように口を開く。


「……頼っても、いいんでしょうか?俺には先輩にお返しできるものなんて何もないのに……」


 そんな橘くんに、私は笑顔でこう答えた。


「見返りが欲しい訳ではないですよ。貴方がその娘に、お姉さん達にそう願ったように、私も貴方がもっと幸せであるべきだと思ったからこうしているだけなんです」


 頑張っている人は報われて欲しい。

 それが自分の為ではなく、他人の為に頑張っている人ならばなおさらに。


「だからこの手を取って下さい。私に貴方の手助けをさせて下さい」


 橘くんは一度大きく深呼吸をしてから私の方を見た。

 そして


「……お願いします。俺を助けて下さい。幸を救う手助けをして下さい」


 そう言って、私の手を取ったのだった。

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